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天皇皇后両陛下、能登地震の被災地お見舞い

ラベンダー

こんにちは、ラベンダーです。

天皇皇后両陛下、能登地震の被災地お見舞いされました。

ご苦労様でした。

素晴らしいです。

とりあえず、両陛下の長い1日を見てみます。

目次

天皇皇后両陛下の長い1日

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天皇皇后両陛下、羽田空港から能登へ
日テレNEWS 2024.3.22
羽田から能登へ

 両陛下は午前9時40分すぎ、羽田空港に姿を見せられました。

 特別機に乗りこみ、能登空港に向かわれます。

 能登空港に到着後は自衛隊のヘリコプターに乗り換え、1月1日の地震で甚大な被害を受けた輪島市と珠洲市を訪れ、被災地の状況を視察し避難所を見舞われる予定です。

 現地の負担とならないよう、食事は持参しての日帰りの日程となっていて、現地の移動には職員らと同じマイクロバスを利用されます。

 両陛下は、地震の発生直後から心を痛められてきましたが、被災者の気持ちや現地の状況をふまえて、お見舞いの日程は慎重に検討されてきました。

 両陛下は先月6日、長女の愛子さまとともに気象庁長官らから能登半島地震について説明を受け、今月8日には、被災地で活動した日本赤十字社の医師・看護師らを御所に招き、話を聞かれていました。

 両陛下の被災地へのお見舞いの訪問は、2019年12月、台風被害を受けた宮城県と福島県を見舞われて以来、即位後2回目となります。

日テレNEWS 2024.3.22

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天皇皇后両陛下、能登空港に到着
能登空港に到着

 能登半島地震の被災者を見舞うため特別機で羽田空港を出発していた天皇皇后両陛下が先ほど、石川県の能登空港に到着されました。

 両陛下はきょう午前11時前、石川県輪島市の能登空港に特別機で到着されました。 飛行機から降りると、両陛下は出迎えた石川県の馳浩知事や石川県警の細田正本部長などと挨拶されました。

 両陛下は元日の能登半島地震で被害が大きかった輪島市や珠洲市を訪問し、被災した現場を視察するほか、市内の避難所で被災者を見舞い、災害対応にあたった関係者を労われます。

 現地での移動には陸上自衛隊のヘリコプターも利用されます。 宮内庁によりますと、両陛下は被災地の復旧の妨げにならないようにとのお気持ちを示されていて、日程は日帰りで夜に帰京されるということです。

 両陛下が被災地を見舞われるのは2019年に台風19号で大きな被害を受けた宮城県と福島県を訪れて以来で、陛下の即位後としては2度目です。

TBS NEWS DIG 2024.3.22

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両陛下、自衛隊ヘリで輪島市に到着
輪島市に到着

石川県を訪問中の両陛下は、陸上自衛隊のヘリコプターで能登空港を出発し、22日午後0時45分、輪島市の航空自衛隊輪島分屯基地内臨時ヘリポートに到着されました。

 両陛下は、坂口茂輪島市長の出迎えを受けられました。 このあと両陛下は、甚大な被害を受けた輪島市内を訪れ、被災地の状況を視察し、避難所を見舞われる予定です。

 現地の負担とならないよう、食事は持参しての日帰りの日程で、現地の移動には職員らと同じマイクロバスを利用されます。

 両陛下は、地震直後から心を痛められてきましたが、被災者の気持ちや現地の状況をふまえ、お見舞いの日程は慎重に検討されてきました。

 輪島市内のお見舞いのあとは一旦、能登空港に戻り、再び自衛隊のヘリコプターで珠洲市を見舞われる予定です。

 両陛下の被災地へのお見舞いの訪問は、2019年12月、台風被害を受けた宮城県と福島県を見舞われて以来、即位後2回目となります。

日テレNEWS 2024.3.22

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天皇皇后両陛下が「輪島朝市」に到着
「輪島朝市」到着

22日午前、特別機で石川県の能登空港に到着した天皇皇后両陛下は、ヘリコプターに乗り換え、午後1時前、輪島市内の航空自衛隊基地に降り立たれました。

その後、マイクロバスに乗り換え、午後1時半すぎ、「輪島朝市」に到着されました。 両陛下は、坂口茂輪島市長の説明を受けながら、被害の様子をご覧になりました。

輪島市では102人が亡くなり、いまだ5人の行方がわかっていません。約3割の家屋が「全壊」、「半壊」以上は半数を超えています。

両陛下は、地震と大規模火災で多くが失われた場所に向かい、深く頭を下げられました。市内では避難所で被災者を見舞い、災害対応に尽力した人たちもねぎらわれます。

その後、珠洲市を見舞われる予定です。

日テレNEWS 2024.3.22

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両陛下 輪島市で被災者お見舞い
被災者お見舞い

能登半島地震の被災地を訪問した天皇、皇后両陛下は22日、避難所に身を寄せる人たちに、住まいや体調を気遣う言葉を掛けられた。

 床に膝をつき、同じ目線で語り掛ける姿に、被災者からは「心が和んだ」と感謝する声が上がった。

 大規模火災で一帯が焼け野原となった石川県輪島市の朝市通り周辺で、両陛下は深く頭を下げ、約10秒間目を閉じて黙礼した。坂口茂市長によると、黙礼は「周辺で15人が死亡した」と説明した直後。両陛下は朝市の復活や、輪島塗の復興も願っていたという。

 避難所の「輪島市ふれあい健康センター」では、膝をつき、段ボールベッドに座る被災者と目線の高さを合わせ、一人一人と言葉を交わした。

 天皇陛下は、同市の新谷満さん(60)に「自宅は大丈夫なんですか」と質問。皇后さまは隣に座った80代の新谷さんの母親を「お体の方は大丈夫ですか」と気遣った。新谷さんが住めなくなった自宅の状況を説明すると、両陛下は何度も「大変ですね」と述べた。

JIJI.COM 2024.3.22

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ヘリで珠洲市へ移動 被災者お見舞い
珠洲市で被災者お見舞い

石川県を訪問中の天皇皇后両陛下は、輪島市内の視察とお見舞いを終えた後、22日午後4時半前、珠洲市・野々江総合公園の臨時ヘリポートに到着されました。

両陛下は泉谷満寿裕・珠洲市長の出迎えを受けられました。

その後、両陛下は被災者の避難所となっている珠洲市緑丘中学校を訪れ、市長から被害状況の説明を受けた後、避難している被災者を見舞われました。

珠洲市では、103人が亡くなり、現在も42か所、およそ1089人が避難生活を余儀なくされています。

この後、両陛下は、被害の大きかった場所を視察し、また被災者や災害対応に尽力した人と会われる予定です。

22日は現地の負担とならないよう、食事は持参しての日帰りの日程で、現地の移動には職員らと同じマイクロバスを利用されています。

両陛下は珠洲市のお見舞いの後、再び自衛隊のヘリコプターで能登空港に戻り、22日夜、帰京される予定です。

日テレNEWS 2024.3.22

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天皇皇后両陛下 被災した飯田港で拝礼
天皇皇后両陛下が珠洲市をご訪問

 両陛下はきょう、輪島市内の視察とお見舞いを終えた後、午後4時半前、珠洲市内の臨時ヘリポートに到着されました。

 その後、避難所となっている緑丘中学校を訪れ、被害状況の説明を受けたあと避難している被災者を見舞われました。

 珠洲市では、103人が亡くなり現在も40か所、1079人が避難生活を余儀なくされています。

 このあと両陛下は、津波の被害を受けた飯田港を視察されました。 このあと、再び自衛隊のヘリコプターで能登空港に戻り、今夜、帰京される予定です。

テレビ金沢 2024.3.22

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両陛下 能登半島地震被災地の輪島市と珠洲市のお見舞い終え帰京
訪問を終えて帰京

天皇皇后両陛下は、きのう、能登半島地震の被災地を見舞うため石川県を訪問し、夜に帰京されました。 両陛下は、きのう一日をかけて輪島市と珠洲市を訪問されました。

輪島市の避難所では、両陛下はひざをついて被災者を見舞い「大変でしたね、お体を大切に」などと声をかけられました。

珠洲市の避難所では、4月から大学生になる高校生に皇后さまが「大変な中で受験を」と労い、陛下が「大学生活、楽しみですね」などと話しかけられました。

また、両陛下は珠洲市の消防団の団長らの活動を労われました。 「お仕事で一番ご苦労なさったのは、どういうところですか?」 被災地で多くの人を見舞われた両陛下は、きのう午後9時ごろ、特別機で羽田空港に戻られました。

全体をリポートした記事

被災者お見舞い

天皇皇后両陛下は、能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県の輪島市と珠洲市を訪れ、被災した人たちを見舞われました。

両陛下は、午前11時前に特別機で石川県の能登空港に到着し、午後、自衛隊のヘリコプターで輪島市の中心部に入られました。

両陛下が発生から間もない自然災害の被災地を訪問されたのは、天皇陛下の即位後2回目です。

<住民らが沿道で歓迎>

石川県輪島市では、住民などが沿道に立って天皇皇后両陛下が到着されるのを待ちました。午後1時半ごろにバスが通過すると、集まった人たちは手を大きく振って歓迎しました。

両陛下も窓を開けて笑顔で手を振られていました。

野球をしているという輪島市の12歳の女の子は「すごく元気づけられたし、みんなも笑顔になったのでよかったです。グラウンドの状態が悪いけど野球を続けたいと思います。これからも頑張ります」と話していました。

また、生後4か月の子どもを連れて訪れた輪島市の女性は「こんな機会はないのでよかったです。地元が少しずつ復興していってくれればいいと思います。元気をもらえてよかったです」と話していました。

輪島市では、災害関連死の疑いを含め102人が亡くなり、「朝市通り」で大規模な火災がありました。

倒壊したビルや家屋など地震の爪痕が残る市街地を車で通り、火災があった現場に到着した両陛下は、坂口茂市長から当時の状況について説明を受けたあと、焼け跡に向かって深く一礼されました。

両陛下からねぎらいのことばをかけられた輪島市消防団の副団長の山吹英雄さん(64)は、「朝市通り」で起きた大規模な火災で消火活動にあたりました。

山吹さんは「地震で道路が寸断されたり消火活動に使う水がなくて戸惑ったりしたことをご説明すると、『大変でしたね』というおことばをいただきました。市民もうれしく思っていますし、元気をいただいて復興につなげていけたらと思います」と話していました。

また、発災当初から被害状況の把握にあたり、安否不明者の捜索活動を指揮した輪島警察署の小坂裕署長(57)は、「『警察の活動としてどのようなことが大変でしたか』と質問され、元日で署員の数が限られる中で対応にあたったことをご説明しました。被災された住民の方々と同じようにねぎらいの言葉をいただき、大変感激しています」と話していました。

続いて両陛下は、100人余りが避難生活を送っている近くの公共施設を訪ねられました。

おふたりは、ひざをついて被災者と同じ目の高さになって「おけがとかは大丈夫ですか」とか、「お体をお大事にしてください」などとことばをかけられていました。

また、災害対応にあたった警察官と消防団員にもねぎらいのことばをかけられました。

<自宅半壊の男性「たいへん心和む思い」>

天皇皇后両陛下は、輪島市内の避難所を訪ね、30分あまりかけて被災者20人あまりと懇談されました。

このうち、自宅が中規模半壊し、80代の母親とこの避難所に身を寄せている新谷満さん(60)は、「両陛下から、『おけがはなかったですか』とか『自宅は大丈夫ですか』などと聞かれました。

母と私は、地震後非常に不安な生活を送っていましたが、両陛下にお会いして優しい言葉をかけられて、たいへん心和む思いがします。勇気づけられました。

2階のすべての方々にお声がけをされて、すごいなと思っています。優しい目元でお声がけされていたので、みんな心和んでいました」と話していました。

<輪島市の男性「前を向いて頑張っていこうと」>

石川県輪島市では、両陛下が避難所で被災した人たちを見舞ったあと、再び市の中心部を通られた際にも、沿道に多くの人たちが集まりました。

訪れた人たちは「ありがとうございます」などと言いながらバスに向かって手を振り、両陛下も窓を開けてにこやかに手を振られていました。

自宅で被災した輪島市の70代の男性は「両陛下が来られて励みになりました。家の片づけなどがありますが、なんとかやっていこうと思います」と話していました。

また、自宅が壊れて傾いているという輪島市の60代の男性は「被災地に来られて私たちの気持ちに寄り添っていただけて、本当にうれしく思います。1月1日からの3か月はあっという間でした。来ていただいたことを励みに、前を向いて頑張っていこうという気持ちになれました」と話していました。

<輪島市長「復旧復興に向けて頑張っていく」>

輪島市の「朝市通り」で火災や地震による被害の状況について説明した坂口茂市長は、「元日に起きた火災はなかなか鎮火せず、周辺で15人の方が亡くなったことを両陛下にお伝えすると、黙礼をされました。朝市のともし火を消さないために金沢市で『出張朝市』が始まることをご説明すると、皇后さまからは『1日も早く復興できれば良いですね』とおことばをいただきました。復旧復興に向けてさらに頑張っていくための良いきっかけになったと感じています」と話していました。

<珠洲市でも被災者と懇談>

両陛下は再びヘリコプターに乗って、午後4時すぎに、災害関連死の疑いを含め103人が亡くなり津波で広い範囲が浸水した珠洲市に入られました。

そして、80人あまりが避難生活を送っている近くの中学校を訪ね、被災者と懇談されました。

さらに両陛下は、地震と津波で被害を受けた飯田港に移動し、泉谷満寿裕市長から被災状況について説明を受けられました。

時折うなずきながら話を聞いていた両陛下は、被害が大きかった地区の方に向かって深く一礼されました。

両陛下が発生から間もない自然災害の被災地を訪れたのは天皇陛下の即位後2回目で、輪島市と珠洲市の避難所では、自治体や警察・消防の関係者など災害対応にあたった人たちにもねぎらいのことばをかけられました。

両陛下は、このあと石川県を発って、午後9時ごろ東京に戻られました。

<道沿いから手を振って歓迎>

石川県珠洲市でも、両陛下が通過された道沿いに多くの人が集まり、手を振って歓迎しました。

石川県珠洲市でも、両陛下が通過された道沿いに多くの人が集まり、手を振って歓迎しました。

今月、2次避難先の金沢市から珠洲市に戻ってきた男性は、「水が出ないけどみんなで協力して元気に過ごせたらいいなと思っています。両陛下のお姿をひと目見ることができただけで元気が出ました」と話していました。

<避難の男性「お顔を拝見し 勇気100倍」>

両陛下は夕方、珠洲市内の避難所を訪ね、ここでもひざをついて、被災者一人一人と目を合わせながらことばをかけられました。

このうち、自宅が半壊した橋元繁幸さん(69)は「『おけがはありませんでしたか』などとことばをかけられ、とても大きな励ましになりました。われわれに寄り添い、一人ひとりに優しく丁寧に声をかけていただいて、先月の天皇誕生日の記者会見で受けた印象のとおり、そのままを実践されている、誠実な方だと感じました」と話していました。

妻のひろみさん(65)は「『お体を大切に』とおっしゃっていただき、両陛下の優しさが伝わってきました。目線を合わせられるので、こちらのほうが恐縮してしまいました」と話していました。

また、輪島市に自宅があり勤務先のある珠洲市で避難生活を続けている岡田哲男さん(68)は、「『お体は大丈夫ですか』とことばをかけられ、両陛下の優しさに感激しました。今回の地震で地域の人のつながりがバラバラになってしまいましたが、おふたりのお顔を拝見して、勇気100倍でこれからやっていこうと思います」と話していました。

<ことばをかけられた男性「多くの方々の勇気になる」>

珠洲市の避難所で両陛下からねぎらいのことばをかけられた泉谷信七さん(74)は、自主防災組織の本部長として、避難所の運営を担っています。

泉谷さんは「わざわざ珠洲に来ていただいてすごく感謝しています。何をお話ししたか、緊張してあまり覚えていませんが、元気にやっているというお話をしました。皇后さまからだったと思いますが、避難所で感染症になる人がいないかどうかや、トイレの問題について質問を受けました」と話していました。

珠洲市の消防団の団長として住民の避難誘導や救助などにあたった秋前一雄さん(75)は「お心遣いや、私たちの活動に関心を持っていただいたことを非常にうれしく思っています」と話していました。

また、各地で避難所の支援に取り組んでいるNPO法人「ピースウィンズ・ジャパン」の国内事業部次長を務めている橋本笙子さん(58)は、「支援に入った経路や人数について質問をいただきました。『東日本大震災でも活動してきましたが、今回は本当に大変な状況になってしまいました』とお伝えしたら、両陛下とも悲しそうな目をされて、『そうですか』とおっしゃっていました。珠洲に来ていただけるだけで、多くの方々の勇気になると思いました」と話していました。

<珠洲市長「心から感謝」>

両陛下に被害状況などを説明した珠洲市の泉谷満寿裕市長は「珠洲市では2020年の暮れから群発地震が続いていること、今回一番恐れていた大きな地震に見舞われたこと、発災直後の様子や住宅被害の状況、津波の被害のことなどをご説明しました。熱心に耳を傾けていただき、いろんなご質問もいただきました。避難所で多くの方々にお話をしていただき、勇気をいただいたのではないかと思います。心から感謝しています。『新しい地域づくりやなりわいづくりにまい進してまいります』とお伝えしました」と話していました。

能登空港で両陛下を見送った石川県の馳知事は、「被災者の気持ちに寄り添って現状をご覧いただき、お帰りの際には『本当に大変さがよくわかりました』とおっしゃっていただいた。被災状況を説明した際には、本当に切なそうに苦しそうに相づちを打っていただいていた。メモをとりながら、震災がいかに過酷なものか受け止めておられる姿に心を打たれた」と述べました。

その上で、「被災者には1日も早く仮設住宅に入ってもらい、なりわいも再建しなければならない。そのためには水が重要なので、インフラの整備をしっかりやりたい」と話していました。

NHK 2024.3.22

秋篠宮家支持者と称する人たちからの中傷

天皇皇后両陛下、素晴らしいご訪問でした。

被災地、被災者は大喜び。

「忘れられた能登」という状況が、少しでも改善されるキッカケになるかもしれません。

もし、パフォーマンスしたいのであれば、「輪島朝市」の後、穴水や七尾を「視察」してお茶を濁すことは可能だったと思います。

能登空港の近くを回ると、多くの場所を訪問できます。

そのほうがパフォーマンス的には良かったかもしれませんが、

あえて、「輪島」「珠洲」にしぼって行動されていたのは、両陛下の本気度がうかがえます。

人間の真摯な行動は、人間の魂に響く。

現地の歓喜ぶりは、作られたものではなく本物だと思いますよ。

さて、

当ブログでは、天皇家、秋篠宮家のどちらか党派的に偏った話はしないようにしております。

ただ、今回は言わざる得ないので、言います。

秋篠宮家支持者と称する連中が、今回の両陛下の能登訪問を腐したり、嘲笑したりしてるようです。

支持者は高齢者が多いようなので、まともな判断力が失われてるだけかもしれませんが、

とても不愉快ですよ、秋篠宮家支持者。

「忘れられた能登」という悲惨な状況。

ネットで調べる範囲でも、十分把握できるでしょう。

1万戸以上の断水が今も続き、経済はストップしたまま。

3カ月近く

1.風呂、トイレ、洗濯が使えない

2.収入ゼロ、仕事なし

3.避難所では、満足な食事が与えられてない

4.真冬の極寒

5.自宅は損壊状態

こんな生活を3カ月もできますか?

苦しすぎますし、悲しすぎますよ。

実は、公的な支援だけでは、1日3食が完全にはまかなわれません。

今は、基本、1日弁当1食の配給だそう。

民間の差し入れ、炊き出しなどの支援がないと、まともな食事がまかなえない。

朝食、昼食については、炊き出しなどがなければ、適当になんとかして食べてくださいという感じ。

だから、もう3カ月にもなるのに、今でも現地では炊き出し支援を募集してますよ。

炊き出しってパフォーマンスじゃなく貴重な食事。

リアルに被災者の食事の一部をまかなっているのが炊き出し。

そして、3カ月も経過した今でも炊き出しが必要というほど、

酷い状況です。

なのに、

自衛隊の炊き出しは23日で終了。

これから、ますます厳しいですよ。

避難所にいても苦しいだけなので、

仕方ないから避難所を出て、半壊した自宅へ戻ったりしてる人も結構いるわけです。

満足に食べられないし。

ならば、自分でなんとかするしかないですが、

収入も仕事もありません。

お金はなくなる一方。

義援金の配分は一人5万円。焼け石に水。

水は出ないから料理できないし、買い物する場所も時間も品物も限られてる。

だから、カップめんばかり食べるしかなくて、子供がかわいそう、なんてことが起きてます。

そもそも外は0度の極寒。

3カ月もたったのに、この状況、悲しすぎませんか?

「忘れられた能登」

という状況が、どれだけ悲惨なのか。

想像してみてください。

そんな中での両陛下の能登訪問

すべては被災地と被災者のため

に行われたのは明白です。

少しでも元気を与えられたり、

メディアの注目を集めて能登支援を盛り上げたり

国や行政の行動を促したり

圧倒的に不足してるボランティア活動推進を促したり

そして、何よりも

皇室は能登を見捨てない

というメッセージがどれだけ被災者を勇気づけ励ますことになるのか。

今の能登にとっては、大きな価値のあるものです。

両陛下は、そういうことを理解された上で、一直線に激甚被災地である「輪島」と「珠洲」をお見舞いされたのでしょう。

だが、

一部秋篠宮家支持者に、両陛下を中傷しないと気が済まない人たちがいるよう。

皇室の真っ当な活動を非難するのは、皇室支持者とは言えない。

日本人のための真っ当な活動を非難するのは、日本人とは言えない。

そう理解してますが、

残念ながら、ご理解いただけない方もいるようです。

ということで

両陛下は素晴らしかった。

今、言えるのはそれだけです。

ではまた

<最新の能登の状況は、こちらをご参照ください>
「ラベンダー@能登応援」https://twitter.com/notolavender

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さくら
さくら
7 months ago

震災から3ヶ月たってもここの瓦礫の量とは…
岸田もインドネシアの留学生の学費支援をするくらいなら能登の輪島と玖珠の復興にリソースを割いてほしいです。

くちばし
くちばし
7 months ago

ラベンダーさん、記事の執筆ありがとうございます。
両陛下の被災地訪問は素晴らしいものでした。もっと大々的に報じられたら良かったのにな~と思います。
天皇皇族の方が苦難の最中にある国民と直に触れ合っていただくことはたいへん意義のあることだと思います。
能登の人たちが1日も早く元の日常を過ごせるようになりますように。

ラッキー
ラッキー
7 months ago

ラベンダーさんこんにちは。
やっと石川県に訪問したと思ったら、間髪入れずに英国訪問発表。
この英国訪問のニュースが無かったら美談ですが、この発表の為に石川県に訪問したのかと?疑ってしまいます。
ましてやキャサリン妃のあの状況下で。キャサリン妃は6月まで療養されるそうですね。
慌てて行く必要が有るのですかね?何の為に?

すみません辛口になってしまいました。

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