こんにちは、ラベンダーです。
能登半島地震の被災地への2度目のお見舞いのため
日帰りで石川県を訪問中の天皇皇后両陛下を速報します。
ご存じのとおり、今回はで能登半島地震の被災地への2度目のお見舞いとなります。
穴水町と能登町のお見舞いが予定されてます。
このページでは、その様子を速報していきます。
初めてのリアルタイム形式でやります。
速報が出次第、記事が増えていきますので、
適当に何度か時間を置いて見ていただければ幸いです。
<震災関連の記事>
天皇皇后両陛下の再び長い一日
天皇皇后両陛下はきょう、石川県を再び訪れ、能登半島地震の被災地を見舞われます。
特別機の機体トラブルの影響で、1時間ほど遅れての出発となりました。
午前9時半ごろ、両陛下は、羽田空港で特別機に乗り込まれました。
しかし、滑走路へ移動を始めた直後に機体トラブルが確認されたため、両陛下は急きょ代わりの航空機に乗り換え、午前10時半すぎ、石川県の能登空港へ向け出発されました。
能登空港に到着した後は、自衛隊のヘリコプターなどで被害の大きかった穴水町と能登町を訪れ、それぞれの被災現場を視察し、被災者を見舞われる予定です。
両陛下は先月22日、甚大な被害を受けた輪島市と珠洲市を訪問していて、能登半島地震の被災地を見舞われるのは、2回目です。
2024年4月12日 TBS NEWS DIG
能登半島地震の被災地への2度目のお見舞いのため日帰りで石川県を訪問中の天皇皇后両陛下は、12日午後0時45分ごろ、自衛隊のヘリコプターで穴水町の臨時ヘリポートに到着されました。
石川県を訪問中の天皇皇后両陛下は陸上自衛隊のヘリコプターで能登空港を出発し、午後0時45分ごろ穴水町の臨時ヘリポートに到着されました。
特別機の機体トラブルで羽田空港の出発が遅れたため、能登空港への到着は1時間ほど遅れていました。
両陛下は昼食の時間などを調整して30分ほど遅れて能登空港を出発し、予定された場所は、全て訪問されるということです。
両陛下はヘリポートに到着すると、穴水町の吉村光輝町長の出迎えを受けられました。
能登半島地震の被災地お見舞いは先月22日に続き2度目で、両陛下はマイクロバスで穴水町内に移動し、被災地の復興状況などを視察した後、避難所を訪ねられる予定です。
穴水町は1月1日の能登半島地震で震度6強を記録し、災害関連死を含むと、町内では20人が亡くなりました。 現在も穴水町には、15か所の避難所が開かれ、およそ250人が避難生活を余儀なくされています。
穴水町の後は、再び自衛隊のヘリコプターに乗り、能登町に向かわれます。
宮内庁によりますと、両陛下は先月22日に訪れた輪島市や珠洲市だけではなく他の地域についても心配されていたということです。 今回のお見舞いも現地の負担を考慮し、昼食を持参して日帰りでの訪問で、移動には同行の職員らと同じマイクロバスを利用されます。
2024年4月12日日テレNEWS
能登半島地震の被災地への2度目のお見舞いに訪れている天皇皇后両陛下は、石川県穴水町の避難所で被災者を見舞われました。
石川県を訪問中の天皇皇后両陛下は、午後1時40分ごろ、避難所になっている穴水町さわやか交流館プルートに到着されました。
両陛下は、腰を下ろして被災者一人ひとりと目を合わせながら声をかけられました。
穴水町内では、現在15か所の避難所が開かれていて、およそ250人が避難生活を余儀なくされています。 この避難所には、現在29世帯46人が避難生活を送っているということです。
穴水町は能登半島地震で震度6強を観測し町内では、災害関連死を含む20人が亡くなりました。 このあと両陛下は、穴水町内で被害の大きかった場所を視察し自衛隊のヘリコプターで能登町に移動される予定です。
2024年4月12日日テレNEWS
能登半島地震の被災地への2度目のお見舞いに訪れている天皇皇后両陛下は、石川県穴水町の商店街で被災状況を視察されました。
自衛隊のヘリコプターで石川県穴水町に入った天皇皇后両陛下は、午後1時半ごろ、被災状況を視察するため、穴水町商店街に到着されました。
500メートルほどにわたるこの商店街は地震前、40ほどの店舗が営業していましたが、元日の地震で、半数以上の店舗が半壊するなどの被害があり、現在も半分程度しか、営業ができていないということです。
穴水町は能登半島地震で震度6強を記録し町内では、災害関連死を含む20人が亡くなりました。 町内では、現在15か所の避難所が開かれていて、およそ250人が避難生活を余儀なくされています。
12日は特別機の機体トラブルで羽田空港の出発が遅れたため、能登空港への到着は1時間ほど遅れましたが、両陛下は、昼食の時間などを調整して30分ほど遅れて能登空港を出発し、予定された場所は、全て訪問されるということです。
穴水町のお見舞いのあとは、自衛隊のヘリコプターで移動し、能登町を見舞われる予定です。 両陛下が、能登半島地震発生後に被災地を見舞われるのは先月22日に続き2度目となります。
2024年4月12日日テレNEWS
(太字、下線等はラベンダーによる)
飛行機トラブルで1時間遅れとなりましたが、
さすがは両陛下です。
両陛下は、昼食の時間などを調整して30分ほど遅れて能登空港を出発し、予定された場所は、全て訪問されるということです。
今回も本気。
被災地と向き合う両陛下。
素晴らしいです。
能登半島地震の被災地に2度目のお見舞いのため訪問中の天皇皇后両陛下は、穴水町で黙とうを捧げられました。
被災地お見舞いのため石川県穴水町を訪問中の天皇皇后両陛下は、12日午後3時前、穴水港の「あすなろ広場」を訪れ、地震被害の大きかった場所の視察をされました。
穴水町の吉村光輝町長が被災状況などを説明し、その後、両陛下は土砂崩れで多くの犠牲者が出た由比ケ丘地区の方向に向かい深く頭を下げられました。
穴水町は、元日の能登半島地震で震度6強を記録しました。
町内で亡くなった20人のうち、16人がこの地区の土砂崩れの犠牲となり、このうちの半数は帰省中で、犠牲者には8歳と11歳の男の子も含まれていたということです。
両陛下は、このあとヘリコプターで移動し、能登町を見舞われます。
2024年4月12日日テレNEWS
(太字、下線等はラベンダーによる)
陛下が黙とうされた穴水町由比ケ丘地区の方向。
能登半島地震による土砂崩れで、複数の住宅が巻き込まれ、帰省中の家族を含む16人が亡くなりなりました。
犠牲者には8歳と11歳の子供も含まれてました。
その悲劇の詳細は以下の記事で。
合掌
元日の能登半島地震による土砂崩れで、石川県穴水町由比ケ丘地区などでは、複数の住宅が巻き込まれ、帰省中の家族を含む16人が亡くなった。
昨年まで地元の消防団に所属し、連日の捜索活動に加わった米田直樹さん(70)は「何とか1人でも助けたかった」と振り返る。現場には今も土砂に埋もれたままの家屋が残っている。
1日午後4時過ぎ、地震とほぼ同時に発生したとみられる由比ケ丘地区と川島地区の土砂崩れ。2階建ての民家をなぎ倒すと、道路を挟んだ向かいの民家に達し、住民らをのみ込んだ。現場からは8日までの連日の捜索で、8歳や11歳の子供を含む計16人の遺体が見つかった。
米田さんは20代半ばに穴水町消防団に入り、40年以上にわたって火災や行方不明者の捜索などに対応。副団長も10年務め、昨年3月に消防団を退いた。今回の地震後に町内で避難中に土砂崩れの話を聞き、消防団OBとして2日の捜索初日から現場に駆け付けた。
一帯には大量の土砂が積み上がり、巻き込まれた家や車が流されていた。「人間の死はたくさん見てきたが、土砂崩れでこれほどの惨状は初めて」と語る。他地域からも多くの消防隊員が駆け付けており、土地勘を生かして助言したり、ぬかるむ土砂の上で重機を操縦したりした。
「早く出してあげたい」-。捜索を見守る家族らのことを考えると、その思いは強くなる一方だった。途中、何度も大きな余震があり、その度に「逃げてください」との声が響いた。重機に乗っていた米田さんも逃げたが、「(余震で土砂が)流れたら自分も死ぬだけ」と覚悟した。
しかし、懸命の捜索もむなしく、発見されるのは遺体ばかり。「折り重なって逃げようとした瞬間、間髪入れずに土砂で流され、生き埋めになったという感じだった」。沈痛な面持ちで当時を振り返る。
穴水町での犠牲者20人のうち16人が、土砂崩れの現場から見つかった。「消防団魂でやったが…」。現場から生存者を一人も救い出せなかったことに、米田さんは落胆した。(山本玲)
2024年1月16日 産経新聞
能登半島地震の被災地に2度目のお見舞いで訪問中の天皇皇后両陛下は、2か所目となる石川・能登町に到着し、避難所で被災者を見舞われました。
穴水町の視察とお見舞いを終えた天皇皇后両陛下は、12日午後4時ごろ避難所となっている能登町の松波中学校に到着されました。
被害状況の説明を受けたあと、両陛下は避難している被災者を見舞われました。 この避難所には、現在28世帯43人が避難生活を送っています。
両陛下は腰を落とし、被災者一人ひとりの目を見ながら声をかけられました。 能登町の松波では、元日の能登半島地震で震度6強を記録し、町内では災害関連死を含む8人が亡くなりました。
このあと両陛下は、津波被害の大きかった場所を視察し、災害対応に尽力した人と会われる予定です。
12日は現地の負担とならないよう、食事を持参しての日帰りの日程で、現地の移動には職員らと同じマイクロバスを利用されています。
2024年4月12日日テレNEWS
<「本当に懐かしいです」天皇陛下に“意外な再会”>
天皇皇后両陛下はきょう、石川県を再び訪れ、能登半島地震の被災地を見舞われています。避難所を訪問された際には、陛下が“意外な再会”をされる場面もありました。
午後5時すぎ、石川県能登町。2回目となる能登半島地震の被災地訪問です。
両陛下は、避難所となっている中学校にも足を運び、被災者の話に耳を傾けられました。
そしてここで、思わぬ再会もありました。 これは、陛下が学習院高等科の1年生だった頃、能登を訪れた際の映像。このとき交流があったという女性が避難所に身を寄せていて、当時を話を聞いた陛下は、「(約)50年経ちますけども本当に懐かしいです」と語られたということです。
濱 美智子さん
「(陛下は)懐かしくおっしゃっていました。本当に遠い所からよくおいでくださったと感謝しております」
県内の避難所には3400人を超える被災者が身を寄せていて、前回も両陛下の訪問に涙ぐむ人もいました。
能登町の訪問に先立ち訪れたのは、穴水町です。まず海にも近い、町唯一の商店街です。
穴水商店振興会によると、およそ40ある店のうち営業を再開できているのは10店舗ほどしかありません。
美容院を営む女性に皇后さまは。
皇后さま(美容院を営む女性に)
「お店はいつから再開していらっしゃるんですか?お体に気をつけてください」
そう優しく声をかけ、手をふり返されたそうです。
両陛下はその後、避難所へ移動。まず一礼すると、被災者らと懇談されました。
夫婦で身を寄せる米田さんは。
米田美智江さん
「(陛下から)『大変でしたね』というお言葉で、優しいお言葉。本当に胸が一杯になりました」
自宅は倒壊を免れたものの、基礎部分が損壊。住みたくても住めない状態です。皇后さまは「津波はどうでしたか?」と尋ねるなど、心配する様子だったといいます。
米田吉朗さん
「(Q.どのような感想)やっぱり優しい人…。本当に私どものことを心配してくださったんだと思うんです」
両陛下は今夜、帰京されます。
2024年4月12日 TBS NEWS DIG
(太字、下線等はラベンダーによる)
能登半島地震の被災地に2度目のお見舞いで訪問中の天皇皇后両陛下は、能登町で津波被害の大きかった地区を視察されました。この場所でも両陛下は再び黙祷をささげられました。
石川県を訪問中の天皇皇后両陛下は、12日午後5時すぎ、津波の被害が大きかった能登町の白丸地区を訪れ、大森凡世町長の説明を受けながら被災状況を視察されました。
白丸地区は、能登半島地震の際、石川県内で最も高い4.7メートルの津波が観測され家屋が倒壊するなど甚大な被害を受けました。
元日の地震で能登町の松波では震度6強を記録し、町内では災害関連死を含む8人が亡くなりました。 両陛下は町長の説明を聞いた後、深く頭を下げ黙祷をささげられました。
両陛下は、この後、災害対応に尽力した人をねぎらったあと自衛隊のヘリコプターで能登空港に戻り今夜、帰京されます。
2024年4月12日日テレNEWS
能登町白丸地区は、地震が発生してから 2度にわたって最大5mほどの高さの津波が押し寄せたとみられ、 住宅が押し流されるなどの甚大な被害を受けました。
詳しくは、以下のニュース映像で。
能登半島地震の被災地に2度目のお見舞いに訪れた天皇皇后両陛下はすべての日程を終え、能登空港から帰京の途につかれました。
12日、石川県の穴水町と能登町へのお見舞いを終えた天皇皇后両陛下は馳知事らの見送りを受け、午後8時過ぎ、輪島市にある能登空港から特別機で帰京の途につかれました。
12日午前、特別機の機材トラブルのため両陛下は羽田空港を1時間ほど遅れて出発しましたが、食事時間などを調整され、帰りの出発は30分程度の遅れとなりました。
両陛下はまず穴水町で多くの建物が全半壊した商店街の視察をし、その後、避難所で被災者や災害対応に尽力した人らと面会されました。
また町を出発する直前には、土砂崩れで16人の命が奪われた地区に向かって深く頭を下げられました。
続く能登町でも避難所を訪れ被災者らに声をかけたほか、津波被害の大きかった地区を視察されました。
2024年4月12日日テレNEWS
両陛下能登ご訪問 ダイジェスト版
<今回の両陛下能登ご訪問 ダイジェスト版>
(4分22秒の動画)
上の動画は、よくまとまってます。
ぜひ、ご視聴ください。
さて、
今回も素晴らしいお見舞いでした。
個人的に感じたことですが、
こういう国民の中へ入ってゆくお姿を見たとき、今上陛下は昭和天皇の孫なんだなと、強く感じます。
日頃は、あまりオーラ感じないですが(苦笑)
前回と同様、今日も素晴らしかったです。
こういう真摯なご姿勢が、皇室改革へと繋がればよいのですが、そこはどうでしょうか。
それはともかく、
「忘れられた能登」から「見捨てられた能登」
になりつつある現在。
今回の両陛下のご訪問は、とても有意義であったと思います。
能登のため、今回も素晴らしいご活動でございました。
お疲れさまでした。
(能登については、近々、別の記事を書く予定です)
ではまた
こんばんは ラベンダー様
速報ありがとうございます。
天皇皇后両陛下の二度目の被災地ご訪問、とても嬉しく思います。両陛下の真摯なお姿が、被災地の方々をどれほど力づけられたことか。進まない復興支援への強いメッセージとなったことか。
こんなに素晴らしい御活動なのに、ヤフコメの反応は秋篠宮家の炎上コメントにはるかに及ばない…こういうご活躍こそ、皇室ならではと思うのですが。
オクラさん こんにちは
いつもありがとうございます。
天皇皇后両陛下のご活動は素晴らしかった。
しかし、「見捨てられた能登」という状況が進みすぎて、どうにもならないですね。
無力感しかないです。
特に、天皇家支持者の無関心さには、ガッカリですよ。
またよろしくお願いいたします。