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皇后陛下お誕生日

ラベンダー

こんにちは、ラベンダーです。

12月9日、雅子皇后陛下は62歳のお誕生日を迎えられました。

宮内庁は、誕生日に際し、天皇皇后両陛下が7月にモンゴルを公式訪問した際のアルバムなどをご覧になる映像を公開しました。

お誕生日に際しての文書での回答には、戦後80年にあたるこの1年を振り返り、平和への思いを綴られました。

目次

ニュース動画

皇后さまは9日、62歳の誕生日を迎えられました。皇后さまは62歳の誕生日にあたり、文書で感想を寄せられました。
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皇后・雅子さまが62歳の誕生日を迎えられました。まだ体調に波があるという雅子さまは即位後、最多に上った地方公務をどのようにこなされたのでしょうか。

2025年12月9日 テレ朝NEWS

皇后陛下お誕生日行事

皇后陛下のお誕生日に際してのご近影

お写真(宮内庁公式)
ビデオ(宮内庁公式)

皇后陛下お誕生日に際してのご感想

皇后陛下お誕生日に際してのご感想

<戦後80年>

今年は、戦後80年という節目の年に当たり、先の大戦において我が国を含む世界の各地で多くの尊い命が失われたことに思いを致しながら過ごしてきました。陛下に御一緒して、4月に硫黄島、6月に広島県を、また、愛子も伴って6月に沖縄県、9月に長崎県、10月に東京都慰霊堂を訪れ、それぞれの地で亡くなられた方々に心から哀悼の意をささげました。

大戦中に戦災に遭われた方々や亡くなられた方々の御遺族、そして、戦争の記憶を語り継ぐ活動をしている方々のお話をそれぞれの地で伺い、多くの方が苦難の道を歩まざるを得なかった歴史を改めて思うとともに、戦中・戦後に多くの人々が経験した悲惨な体験や苦労について、戦争を知らない世代が学び、後世に伝えていくことの大切さを感じました。特に、戦後80年が経過し、戦争を実際に知る世代の方が少なくなってきている中で、これらの方々から直接お話を伺えたことは、愛子も含めて私たちにとってとても有り難いことでした。辛い体験を話して下さった御高齢の方々に心から感謝したいと思います。

これまで、上皇上皇后両陛下からも折に触れて、戦争中の御経験について貴重なお話を伺わせていただいてきましたことに改めて感謝の気持ちを深く致しました。また、私自身の祖父母からも生前に、戦争中の様々な体験を聞いたことを思い出します。終戦から80年といえば、終戦の年に生まれた方がもう80才になられる年であり、あと20年で100年もの月日が経つことになります。この長い年月の間、多くの人々の努力によって我が国に平和が築かれ、守られてきたことを忘れてはならないと思います。

同時に、今後とも永続的に平和を守っていくことの大切さを改めて深く心に刻む年になりました。過去の歴史から謙虚に学び、平和の尊さを忘れず、平和を守るために必要なことを考え、努力していくことが大切なのではないかと感じます。そのためにも、人々がお互いを知り、理解するよう努め、違いも認め合いながら思いやりの気持ちを持って尊重し合い、対話を大事にする、そのような寛容で包摂性のある社会であってほしいと願います。

先の大戦による多くの方々の苦しみを改めて心に刻み、各地で亡くなられた方々や苦難の道を歩まれた方々に、これからも心を寄せていきたいと思います。そして、戦争の記憶が徐々に薄れていくことが心配される今日、当時の写真や映像などの記録や資料が適切に保管・継承され、戦中・戦後の苦難が今後とも語り継いでいかれることを願うとともに、将来にわたる平和と人々の幸せを今後とも祈っていきたいと思います。

世界では、この80年の間も、戦争や紛争により各地で多くの人々が犠牲になり、また、困難を強いられてきました。この1年においても、世界各地での戦争や紛争により、子供を含む多くの人の命が失われ、多くの人が故郷を離れることを余儀なくされていることに深く心が痛みます。暴力や武力などの力に訴えることなく、異なる価値観を尊重して受け入れる寛容な社会と平和な世界を築いていくために、人々が対話を重ね、相手の立場を理解しつつ協力していくこと、そして世界中の人々が手を携えて、平和を築いていくための努力を重ねていくことの大切さを切に感じています。

そのような中にあって、今年はJICA海外協力隊が発足60周年を迎えました。これまでも陛下と御一緒に多くの隊員の皆さんとお話しし、海外での活動に対する思いに触れてきましたが、隊員の皆さんが、長年にわたって草の根レベルで活動を続け、各国の地域社会の発展に貢献しながら、我が国と諸外国との相互理解と親善を深めてきたことを感慨深く思います。

<自然災害>

自然災害に目を向けますと、今年も、国の内外の様々な所で地震や大雨、林野火災、台風などの大きな災害が発生したことに胸が痛みました。亡くなられた方々とその御遺族に心から哀悼の意を表するとともに、被災された方々にお見舞いをお伝えいたします。また、今年は全国各地で熊による被害も例年になく多く発生しており、心配しています。気候変動との関係を指摘する声もあり、今後の対策や、野生の生き物との調和のとれた共生のあり方について考えていくことがますます必要になってきていると感じます。

昨年12月には、年初の能登半島地震からの復興途上で豪雨災害に遭った石川県をお見舞いのために訪れましたが、多くの方が、震災や重ねての豪雨災害という度重なる試練に直面されていることに心が痛みました。被災された皆さんが、一日も早く安心して生活できるようになることを心から願っております。

本年1月には、阪神・淡路大震災から30年を迎えました。追悼式典に出席するため、陛下に御一緒して兵庫県を訪れましたが、この30年の間に、非常に大きな困難の中から一歩一歩復興を果たしてきた県民の皆さんの姿に深い感慨を覚えました。

来年は、東日本大震災の発生から15年、熊本地震の発生から10年の節目の年を迎えます。犠牲となられた方々や、被災され、御苦労を重ねてこられた被災地の皆さんに心を寄せながら過ごしていきたいと思います。また、これまでに発生した災害の経験から得た知識や教訓を世代を越えて語り継ぎ、災害への備えを進めていくことの大切さを感じます。

<国賓行事再開・関西万博>

今年は、コロナ禍以降初めて国賓行事が再開され、日本・ブラジル外交関係樹立130周年に当たり、3月に国賓としてブラジルのルーラ大統領御夫妻をお迎えし、様々なお話を伺えたことをうれしく思いました。

4月からは2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)が開催され、陛下と御一緒に、4月の開会式の折と10月の閉会間近の時期に会場を訪れました。開催期間中には多くの人が会場を訪れ、様々な形で「いのち」を尊重しながら持続する未来を共に創り上げていく可能性について考えたり、子供たちが世界の国や人々に出会って理解を深め、未来の社会について考えたりする良い機会になったのではないかと思います。

大阪・関西万博を契機に来日された各国の王室の方々ともお会いし、旧交を温められたこともうれしいことでした。

<モンゴル訪問>

7月には、陛下と御一緒に、国賓として御招待を頂いたモンゴルを訪問しました。フレルスフ大統領御夫妻には、私たちを大変温かく迎えてくださり、歓迎行事、晩餐会、ナーダムの開会式や競馬競技などに加え、大統領公邸でも心の込もった素晴らしいおもてなしを頂いたことに改めて心から御礼を申し上げたいと思います。

モンゴルの国民の皆さんにも温かく迎えていただき、滞在を通して、モンゴルの社会や豊かな歴史・文化に触れることができたことを大変有り難く思いました。また、ホスタイ国立公園を訪れた際には、緑の丘の連なる美しい自然の一端に触れ、日本からの協力も含むモンゴルの自然の保護について理解を深めるとともに、野生に戻すことに成功した蒙古野馬(タヒ)を丘の上に見ることができたこともうれしく思いました。

日本とモンゴルとの交流に様々な形で携わってこられた幅広い年代の方々にお会いしてお話しする機会もあり、人々の交流を通じて両国の友好親善関係が深まってきたことや、モンゴルの人々が日本に対して温かい気持ちを寄せていただいていることを実感し、大変うれしく思いました。

滞在中には、首都ウランバートル郊外の日本人死亡者慰霊碑を訪れ、現地で亡くなった方々を慰霊し、その御苦労を思いました。ウランバートルの中心部に立つ政府庁舎の建物やオペラ芸術劇場などの立派な建物は、戦後、当地に抑留された日本の人たちが建設に携わったと伺います。日本人死亡者慰霊碑では、モンゴルの極寒の地で故郷を思いながら亡くなった方々の苦難や悲しみに思いを馳せながら、花をお供えしました。そして、この慰霊碑がモンゴル赤十字社などの方々によってきれいに維持・管理されてきていることに、深い感謝の念を抱きました。

私たちにとって様々な面で深く心に残る滞在となったモンゴルへの訪問に当たり、準備をしていただいた日本とモンゴル双方の関係者の皆様の尽力に、心から感謝いたします。

<世界陸上・デフリンピック>

9月には東京2025世界陸上競技選手権大会が開かれ、最終日のリレー競技などを家族で観戦することができました。愛子と私にとっては初めての新しい国立競技場を訪れ、大勢の観客の声援の下で世界各国の選手が熱戦を繰り広げる姿を実際に見ることができ、うれしく思いました。

11月には、デフリンピックの100周年を記念する年に日本で初めて開催されることとなった、第25回夏季デフリンピック競技大会東京2025の水泳競技を家族で観戦することができました。デフリンピックの競技を観戦するのは初めてでしたが、聴覚に障害のある選手の皆さんの健闘を目の当たりにして、これまでの皆さんの努力の積み重ねを思い、胸が熱くなりました。また、この機会に覚えたほんの片言の手話でも、聴覚に障害のある方々と直接会話できたことに喜びと楽しさを感じました。手話通訳の方々を含め、大会を成功に導かれた関係者の皆さんの尽力にも大きいものがあったことと思います。

そして、この大会を契機として、障害のある方々に対する社会の理解と協力が更に広がり、障害の有無にかかわらず、お互いを尊重し、協力し合う共生社会が形作られていくことを願っています。その意味でも、秋篠宮皇嗣妃殿下や佳子内親王殿下のこれまでの手話への取り組みにも敬意を表したいと思います。

<その他ニュース>

他のうれしいニュースとしては、今年、坂口志文大阪大学特任教授がノーベル生理学・医学賞を、北川進京都大学特別教授がノーベル化学賞を受賞されることとなりました。長年にわたって自らの研究を根気よく続けて来られた業績が世界的にも高く評価されたもので、その功績に敬意を表します。また、米国メジャーリーグの大谷翔平選手が、55本塁打を打つとともに、投手としても本格的に復帰し、3年連続通算4度目のMVPに輝きました。大相撲では、九州場所で安青錦関が初優勝し、祖国ウクライナの戦乱を逃れて日本にやってきた高校生が、一心に稽古を重ね、日本の伝統である大相撲で大関まで昇進したことに感銘を受けました。こうした方々が、日々の努力の積み重ねにより、新たな世界を切り開いてこられた姿は、多くの人に勇気と希望を与えてくれたものと思います。

<皇族関連>

上皇上皇后両陛下には、私たちや愛子を変わらず温かくお見守りいただいていることに感謝を申し上げたいと思います。上皇陛下には、7月に無症候性心筋虚血の治療のために御入院されましたので、天皇陛下を始め、私や愛子も御案じしておりましたが、秋には葉山にもいらっしゃれるようになり、安堵いたしました。上皇上皇后両陛下には、くれぐれもお体を大切になさり、お健やかにお過ごしになりますよう心よりお祈り申し上げます。

先月末には、常陸宮殿下が卒寿を、そして秋篠宮皇嗣殿下が還暦をお迎えになりましたことを心からお祝いいたします。お二方ともお体を大切に、これからもお元気にお過ごしになりますことをお祈りしております。

9月には、悠仁親王殿下が成年式を立派に挙げられたことを喜ばしく思いました。大学生活も楽しまれている御様子で、これからも充実した学生生活を送られ、成年皇族としても一歩一歩成長していかれることを楽しみにしています。

<愛子内親王>

愛子は、日本赤十字社の嘱託職員として勤務し、周囲の方々に温かく導いていただきながら社会人としての経験を重ねるとともに、今年は初めて能登半島地震の被災地を訪れたり、防災推進国民大会への出席のために新潟県を訪問したりするなど、公務の幅も少しずつ広がり、一つ一つの公務に心を込めて取り組んでいます。

また、先月には、初めての公式外国訪問としてラオスを訪れ、トンルン国家主席始め政府の方々やラオスの国民の皆さんに大変温かく迎えていただき、ラオスの歴史、伝統、文化や自然にも触れながら、思い出深い滞在をさせていただいたことに深く感謝いたします。今回の愛子の訪問により、私にとりましてもラオスがより身近に感じられるようになりましたが、今後、日本とラオスの人々の交流により、両国の間の友好の絆が更に深まっていくようであればうれしく思います。

皆様には、今回の初めてのラオスへの訪問を温かく見守っていただいたことに感謝いたしますとともに、今後とも愛子を見守っていただけましたら幸いに存じます。

<愛犬>

6月に、私たち家族にとって大切な存在であった犬の由莉が亡くなりました。16年間、私たちと一緒に暮らし、沢山の喜びや楽しみを与えてくれた由莉との別れは今でも淋しく感じられますが、生前、多くの方から折に触れて由莉への温かい気持ちを寄せていただいたことや、由莉の長寿を支えていただいた方々に心から感謝しております。昨年の夏には猫のみーも亡くなり、猫のセブンが一頭になってしまったこともあり、動物病院の先生からの御紹介で、保護された生後4ヶ月半程の三毛の子猫を8月に迎えました。家族で相談して「美海(みみ)」と名付け、9才になったセブンと共に、私たちに日々の新たな楽しみを与えてくれています。

・・・

誕生日を迎えるに当たり、今年も多くの方に支えていただきながら、無事にこの日を迎えることができましたことに感謝しつつ、日頃より皆様から寄せていただいている温かいお気持ちに対し、改めて心からの御礼をお伝えいたします。

これからも国民の皆様の幸せを祈りながら、できる限りの務めを果たすことができるよう努力していきたいと思います。そして、来年が我が国と世界の人々にとってより良い年となることを願っております。

令和7年12月9日(火)

(見出しはラベンダーによる)

皇后陛下のお誕生日に際しての医師団見解

皇后陛下のお誕生日に際しての医師団見解

皇后陛下におかれましては、これまでも医師団が説明させていただいております基本的な考え方を踏まえながら、引き続き御治療を継続されていらっしゃいます。

皇后陛下には、天皇陛下をお支えになりながら、国民が直面している様々な困難に心を寄せられ、国民との触れ合いの機会を大切にされようと努めておられます。

本年は、戦後80年の節目にあたることから、4月の硫黄島を始め、沖縄県、広島県、長崎県へのお出ましをなさるなど、都内に23回、地方に13回に及ぶお出ましをなさいました。

7月には、国賓としてモンゴルを御訪問になりました。モンゴル御訪問に際しては、御訪問前から細やかに工夫をされながら御体調を調整され、それぞれの御訪問先で幅広い年代の方々と御交流になりました。

皇居では、2025年日本国際博覧会にあわせて訪日した多くの賓客と御交流になられたほか、宮殿などでの行事や御養蚕などの御活動を続けられました。

また、日本赤十字社の嘱託職員として勤務されている愛子内親王殿下が、社会人としての歩みを着実に進められながら、防災推進国民大会へのお出ましや、初めての公式外国御訪問としてラオスを御訪問になるなど皇族としてのお務めに励まれている中、必要な手助けをなさりながら、温かく見守っていらっしゃいます。

このように、皇后陛下には、工夫を重ねられ、御体調を整えられながら、努力されて御活動を続けていらっしゃいます。

一方で、皇后陛下には、御快復の途上にあり、依然として御体調には波がおありです。そのため、大きい行事の後や行事が続いた場合には、お疲れがしばらく残ることもあります。医師団としては、そのような中でお疲れが残らないよう、御散策などの御運動や気分転換のためのお時間を含め、十分な御休息をお取りいただきたいと考えております。また、かねてから皆様にお伝えしているところではありますが、公的なものに加え、私的な部分でも御活動の幅を広げていっていただくことが大切だと考えております。

皇后陛下には、これまで同様、皆様方の御理解と御支援をお受けになりながら御治療を続けていただくことが大切ですので、引き続き温かくお見守りいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

令和7年12月9日

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雅子さま62歳 天皇陛下に“一礼”を進言できるお姿、活動の場を広げる愛子さまへのご助言…高まる存在感と期待

12月9日は皇后雅子さま62歳のお誕生日。2025年は「戦後80年」の節目の年で、沖縄、広島、長崎などへの慰霊のほか、モンゴルを公式訪問された。24歳になられたばかりの長女、愛子さまはラオスへ初の海外公式訪問をされるなど本格的に公務に取り組まれるなど、活躍の場を広げられている。雅子さまへの期待について、象徴天皇制に詳しい名古屋大学准教授の河西秀哉さんに聞いた。

皇后雅子さまは、とてもお忙しい一年を過ごされた。

 1月の阪神淡路大震災30年式典ご臨席とご視察に始まり、9月に滋賀、10月に京都、大阪、11月に三重と地方を訪問された。また、今年は戦後80年の節目の年で、6月に沖縄、広島、9月に長崎を訪問。沖縄と長崎は愛子さまも同行され、天皇ご一家での慰霊となった。

 さらに、今年は万博イヤーで、大阪・関西万博開会式にご臨席およびご視察もされたうえに、万博期間中、視察などで来日した約30カ国の要人とお会いになった。

 7月6日からは8日間、天皇陛下とともにモンゴルを公式訪問。天皇がモンゴルを訪問するのは初めてだった。国賓としての式典や晩餐会のほか、日本人戦没者慰霊、国民的なスポーツの祭典「ナーダム」の開会式に出席された。インドネシア、イギリスに続き天皇陛下即位後3度目の国際親善の訪問となった。

 12月9日に62歳のお誕生日を迎える雅子さまだが、名古屋大学准教授の河西さんは、モンゴルでの雅子さまの“とっさの行動”に感心したという。

 雅子さまのとっさの行動とは、モンゴル・ウランバートル郊外にある日本人死亡者慰霊碑を訪れたときのこと。天皇、皇后両陛下は雨の中、傘をさして供花をし、黙とうされた。慰霊碑のある小高い丘を下りるときに雨脚が弱まると、雅子さまは「もう一度一礼をしませんか」と天皇陛下に進言されたのだ。そして、お二人揃って慰霊碑へ向かい、傘をささずに2度目の一礼をされた。2度の拝礼は“異例”のことだが、実に心のこもったものだった。

「こういうときにスッと行動に移せるのが雅子さま」と言う河西さんは、こう続ける。

「天皇陛下が儀式などの手順で忘れられているところを雅子さまがサポートされる場面は、今年のモンゴルだけでなく、令和になって初めてのインドネシア公式訪問のときもありました。雅子さまは、天皇陛下の動きや流れを含めて全体をよく把握なさっているように感じます」

 だからこそ、雅子さまは、モンゴルのときのように、天皇陛下のお隣で“スッ”と行動に移せるのだろう。

「おそらく来年も海外訪問があると思いますので、雅子さまのサポートに期待しています。雅子さましかできない重要な役割です」

 雅子さまのモンゴルでのとっさの行動はサポートにとどまっていない。天皇陛下と二人三脚で公務をされているということだろう。

 雅子さまに河西さんがもう1点、期待するのが愛子さまへのサポートだ。

「愛子さまは11月に訪問されたラオスでも評判が非常によかった。このラオス訪問にあたって、雅子さまから愛子さまへアドバイスをされたと報じられています。皇后陛下としてではなく、母として雅子さまが、娘である愛子さまの公務の手助けをされているのでしょう。天皇ご一家で、または母娘での公務などの際、立ち居振る舞いを見せたり、助言されたりすることを期待しています」

 雅子さまは、昨年のお誕生日に際しての文書回答で愛子さまについてこう記している。

「社会人として様々な経験を積みながら、皇族としての務めを果たすべく努めていってほしいと願っています。皆様には、これからも愛子を温かく見守っていただけましたら幸いに存じます」

 天皇陛下と愛子さまを支え、温かく見守る雅子さまにこれからも期待したい。

2025年12月7日 AERA

雅子さま ご体調悪化で24年封印…期待高まるアメリカご訪問に残された「最後の試練」

雅子さまは12月9日、62歳のお誕生日を迎えられた。お誕生日に際して公表されたご近影には、7月に国賓として訪問されたモンゴルにちなむ品々があった。

「モンゴルではご体調を整えるペースが安定し、予定にはないご視察にも臨まれていました。2025年は雅子さまにとって激動の一年でした。戦後80年の節目に硫黄島や沖縄、広島を巡り、さらに例年の四大行幸啓もあり、ご負担も大きかったはずです。モンゴルでの国際親善を大成功で終えられたことで、かなり自信を高められたのでしょう。

来年以降の国際親善の場においても、いっそう力を入れていけるよう、雅子さまも天皇陛下とさまざまな構想を練られていると伺っています」(宮内庁関係者)

天皇陛下と雅子さまが2026年に訪問されるのはどの国か。令和となり、インドネシア、英国、今年はモンゴルと続いた。愛子さまが11月に国家元首級の接遇で歓迎されたラオスご訪問のように、天皇ご一家の訪問先にはアジアの国々が多い。外務省関係者はこの傾向を踏まえ、こう背景を明かす。

「日本政府としては、東南アジアや南アジアの国々との関係深化を目指している背景があります。皇室の国際親善は政治的な文脈を切り離して行われますが、両陛下をはじめ皇族方の公式訪問は、閣議決定あるいは閣議了解という形で、政府として決められます。ゆえに時の政権の方針が大きく表れるのです。

近年は中国やロシアなどに対抗していくためにアジアの国々へのご訪問が続いていたこともあり、かねて言われてきましたが“来年こそ両陛下にアメリカを訪問していただくべきだ”という声が高まっているのです。

高市総理もトランプ大統領との関係は良好ですし、日米両国の関係は盤石です。また来年は日本の国連加盟70周年であり、もし両陛下にニューヨークの国連本部に表敬していただければ、いっそう日本の国際的な地位向上にも結びつく、という狙いも政権上層部にはあるようです」

令和となってから、国賓として来日した国家元首は、2019年にトランプ大統領、昨年にはブラジルのルラ大統領の2人だ。外交儀礼上、招かれた元首は答礼をすることが慣例となっている。10月27日、天皇陛下は来日したトランプ氏と会見された。この際にも、両陛下への“ラブコール”が……。

皇室担当記者はこう話す。

「会見は非常に和やかな様子で進み、さまざまな事柄に話題が及んだそうです。慣例上、米国が両陛下を国賓として招く番となるわけですが、トランプ氏は『ぜひホワイトハウスに来てください』と招待する発言もしていました。

しかし最近は、トランプ政権の支持率は下降気味。秋の中間選挙では与党・共和党の苦戦が囁かれています。また来年は米国建国250年を迎えます。トランプ政権は7月4日の独立記念日に、国威発揚のため盛大な祝賀行事を計画しているとも報じられているのです。

政府や宮内庁内部には、“時期も含め、両陛下の訪米を政治的に利用されなければいいが”と懸念する声も聞こえてきます」

上皇ご夫妻と同じく米国を横断され……

ただ雅子さまにとって、米国は特別な国だ。幼少期にNY、高校時代にはボストン、そしてハーバード大学……雅子さまが青春を謳歌された場所があり、いまもご友人らが暮らしている。

「そして外務省職員時代は、北米局北米第二課で、昼夜を問わず激務に臨まれていました。当時日米間の貿易摩擦が懸案で、タフな働きぶりが求められたそうです。

皇室に入ってから、まだ雅子さまは米国を訪問されていません。実現すれば、初めての“思い出の国”での国際親善です。日米のよりよき未来を志された若き日々を思い出されながら、両国の絆を深めるご活躍をなさっていただくことを願ってやみません」(前出・宮内庁関係者)

1994年に国賓として訪米した上皇ご夫妻は、南部アトランタを皮切りに、首都ワシントンD.C.、NY、中西部の各都市、西海岸のロサンゼルスとサンフランシスコ、そしてハワイ・ホノルルを巡られている。長年皇室番組を手がける放送作家・つげのり子さんは、ご訪米の実現についてこう期待を込めている。

「両陛下も上皇ご夫妻と同じく、東海岸から西海岸にいたる形で巡られるのではないでしょうか。NYの国連本部のほかには、ボストンに行き、近郊のハーバード大学で陛下を雅子さまが案内されるといった日程も予想されますね。

日米の親善をさらに深めるため、上皇ご夫妻もご覧になったメジャーリーグの試合を、両陛下もご覧になっていただきたいものです。大谷翔平選手が出場するドジャースの試合のご観戦は実現する可能性が高いでしょう。

先日の陛下とトランプ大統領の会見でも大谷選手の話題が出ましたが、ホワイトハウスの晩餐会に大谷さんと真美子さんが招かれれば、多くの日本人にとっても誇らしいことです。また、太平洋戦争中に起きた日系人の強制収容の記憶を残す場所、そして上皇さまがお立ち寄りを見送られた真珠湾などにも足を運ばれることも期待しています」

成功体験を重ね、ご自信を高められている雅子さま。だが皇后として、記者会見に臨まれるという“最後の試練”が残されている。

日米の未来切り開く24年越しの悲願

前出の皇室担当記者は語る。

「皇后や皇太子妃がメディアを通じて広く国民に語りかける機会はさほど多くありません。外国公式訪問の出発前に行われる記者会見がその一つとされてきました。ただ雅子さまは、2002年のニュージーランド・オーストラリアご訪問前の記者会見以降、ご体調の悪化により臨めておられません。

“報道陣の向こう側には国民がいる”と意識されているようで、雅子さまにとり、大変な緊張を強いられる場面と言えます。こうした経緯もあって、外国公式ご訪問前の記者会見には、陛下がお一人で臨まれてきたのです」

ご出発前の記者会見は、訪問国に対しても重要な意味を持つ。元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは次のように指摘する。

「記者会見は表情や声などから、よりお人柄を感じさせます。とくに外国訪問前の記者会見は、訪問国のメディアでも報じられますから、その国の国民により親しみをもってもらえ、歓迎の機運が高まる一因になります。

皇后陛下のご負担が大きいのであれば、冒頭の1問だけお答えになって退席されるとか、あるいはビデオメッセージという形など、ご負担を軽減した発信方法を検討する時期だと思っています」

来年にも実現すれば24年越しとなる記者会見。雅子さまもご決意を固められているようだ。

「長年のご病気との闘いを見守ってくれた国民に、雅子さまは直接ご自身の言葉で感謝のお気持ちを伝えたいとお考えになっているそうです。雅子さまが全身全霊で臨まれているご姿勢は、日米両国の人々の胸を打ち、次世代の親善を切り開く端緒となるでしょう」(前出・宮内庁関係者)

まさに悲願となる記者会見の成就に向けた、雅子さまの62歳のご決断。日米両国の絆を固く結ぶという若き日の志とともに、運命づけられたその使命を果たされるため、雅子さまの新たな挑戦が始まっている。

「女性自身」2025年12月23日・12月30日合併号

雅子皇后、62歳誕生日で「皇室外交」本格復帰へのプロローグ 新年に「高市首相」との対面を控え「女性活躍社会」実現へ意欲も

皇后雅子さまは、12月9日で62歳の誕生日を迎えられた。

 雅子さまは「世紀の大工事」によって黒部ダムが完成した1963年、外務省の事務次官や国連大使を歴任した小和田恆・元国際司法裁判所長の長女として生を受けられた。

男女雇用機会均等法の成立から今年で40年。日本初の女性総理となった高市早苗首相が誕生した今、スーツ姿の「キャリアウーマン」として同性から羨望の的となる中で外交官の道を捨て、エリート官僚のキャリアと引き換えに皇室入りされた雅子さまの辿(たど)られた紆余曲折の足跡を、ここで振り返りたい。

田園調布雙葉と海外

 雅子さまは1歳から恆氏の在ソビエト連邦(現・ロシア)日本大使館一等書記官就任に伴って旧ソ連に渡り、5歳のときには同氏の国連日本政府代表部一等書記官への転任で、米ニューヨークに移り住まれた。

 恆氏の外務省本省勤務に伴い、1971年3月に帰国すると、田園調布雙葉小・中・高で7年余り学ばれているが、宮内庁関係者はこの時期の雅子さまについて、こう語る。

「中学生時代に、ご自身でソフトボール部を立ち上げて、活躍されたんだそうです」

 その後、恆氏の在米日本大使館公使転属に伴い、米マサチューセッツ州ボストンへ移住。ハーバード大学を卒業し、帰国後、東京大学に外部学士入学を果たされた。男女雇用機会均等法は1986年4月から施行されたが、その半年後の10月18日、外交官試験に合格したばかりの雅子さまは、赤坂御用地で催されたスペインのエレナ王女の歓迎レセプションに「外交官の卵」として招かれ、天皇陛下と出逢われた。

 翌年の春、東大を中退して外務省にご入省。この年の暮れ、「週刊女性」が皇太子だった天皇陛下の「お妃候補」として報じたことで、雅子さまの存在が広く国民に知られることになった。

 テレビカメラに追い回され、日に日にヒートアップしていくマスコミ攻勢から逃がれるかのように88年から外務省の研修留学生として、英オックスフォード大学ベリーオールコレッジにご留学。だが、マスコミ各社は日本から大挙して大学にまで押しかけ、騒動は一向に収まることはなかった。

90年に留学を終えて帰国された後も「小和田雅子さんフィーバー」は続いたことから宮内庁は沈静化に躍起となる一方、変わらぬ天皇陛下の想いを成就させるための手立てを水面下で探り、ついに92年10月3日、千葉の宮内庁新浜鴨場での極秘デートが実現した。

「結婚とキャリアの両立は難しい」とお考えだった雅子さまは、天皇陛下の「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りします」とのプロポーズの言葉に即答はしなかったものの、

「外交官として働くのも、皇室の一員になるのも、国のために働くという意味では同じではないですか」

 との陛下の猛プッシュを受けられ、皇室入りを決断された。その背景について、正式にご結婚が決定した93年1月19日の皇室会議直後、雅子さまご自身も記者会見に臨んで示唆されたことはよく知られる。

 ご結婚後は翌94年11月からの3か月間に2度、4年間のブランクを経て99年に2度、再び3年間の空白を置いて2002年末に1度の5回、海外をご訪問。いわゆる「皇室外交」を担われた。

だが、雅子さまは03年のお誕生日を1週間後に控えた12月2日、顎の周囲などに痛みを伴う発疹が発出。翌3日に帯状疱疹との診断を受け、療養生活に入られることとなる。

長官発言の不用意さ

 ご健康問題が発覚した直後の11日、湯浅利夫宮内庁長官(当時)が「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると、3人目(筆者注=のお子さま)を強く希望したい」と述べたことで、雅子さまの外遊をめぐる軋轢の存在が取りざたされるようになる。

 2004年5月10日、天皇陛下は皇太子としてスペインなど欧州3か国を歴訪されるのを前にした記者会見で「雅子にとっても(この訪欧は)貴重な機会だったのですが、それが失われ残念に思います」と述べた上で、こう述べられた。

「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」

 これが、いわゆる人格否定発言だ。このご発言について、湯浅長官は「細かいことを言うことは差し控えたい」と前置きしながらも「お世継ぎ問題について過度に注目が集まっている」と述べ、雅子さまにお子さまを巡って周囲からのプレッシャーがあったことを暗示した。

 さらに宮内庁の林田英樹東宮大夫(同)は7月30日、定例の記者会見で「適応障害」という雅子さまの病名を公表。「外国訪問ができないことがストレスなのでは」と問われると「それだけが原因ではない」と、遠回しながら原因の一つであることを認めた。

 雅子さまの療養生活は、既に22年間に及んでいる。この間、旧ソ連大使館で小和田恆氏の部下だった野村一成氏が、東宮妃(皇太子妃)だった雅子さまを支える東宮大夫に就任。

ご公務ではない、ご療養目的のオランダご訪問を2006年に実現させた。また雅子さまは13年にオランダ国王、15年にはトンガ国王の即位式などにご体調を整えて出席されている。

 お代替わりによって皇太子妃から皇后へとお立場が変わると、22年に英国のエリザベス女王の葬儀に出席されたほか、招待に応えて英国とインドネシアを立て続けにご訪問。国際親善のための海外渡航は実に20年ぶりとなった。

宮内庁元幹部は「憲法第4条の第1項には『天皇は(筆者注=中略)国政に関する権能を有しない』と定められていて、皇室は原則として政治にタッチしないことになっているので、宮内庁では皇室外交という用語は採用していません」とした上で、こう指摘する。

「まだご快復(回復)の途上とはいえ、いわゆる皇室外交の舞台へ復帰を果たされたことの意義は大きいと思う」

 このことが、宮内庁の内外で「雅子さまの完全復活は近いのではないか」との観測を生んでいる一因であることは間違いない。

ファーストコンタクト

 初の女性内閣総理大臣として日本の政治史に名を刻むこととなった高市首相と雅子さまが“公式な場”で顔を合わせる「ファーストコンタクト」は、年明けの新年祝賀の儀とみられる。

祝賀の儀は憲法で規定された国事行為に当たる儀式であり、皇居の宮殿にある松の間で三権の長や皇族方が天皇皇后両陛下にご挨拶するものだ。既出の宮内庁関係者はこう語る。

「ハーバード大卒の才媛で、語学力や国際感覚に秀でており、りりしい笑顔と颯爽としたスーツ姿から“バリキャリ”(筆者注=バリバリのキャリアウーマン)とも称されながら、歩み始めたばかりだった外交官のキャリアを投げ捨てられた雅子さまは当時、いまだ実現には程遠い男女平等の日本社会の実現を予感させるご存在だったはずです」

 厚生労働省の統計では、日本の女性管理職の割合(2013年度)は12.7%。主要先進国の中では最下位レベルにある。政府が近年、「すべての女性が輝く社会」との“お題目”で掲げている女性活躍社会が現実のものとなるには、まだまだ時間がかかるだろう。宮内庁東宮職の元首脳は、こう語った。

「少数与党というハンデは背負いましたが、名目だけと言われる男女共同参画社会の歴史に風穴を開けた高市総理の誕生は、皇后陛下の完全復活に向けた最終段階とでも言うべき“皇室外交”へのご意欲に、再び火をつける大きなきっかけとなるかもしれません」

(朝霞保人 皇室ジャーナリスト)

2025年12月9日 デイリー新潮

以上です。

ではまた

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