
こんにちは、ラベンダーです。
戦後80年、天皇皇后両陛下による「慰霊の旅」が始まりました。
今回の訪問地は「硫黄島」。
両陛下は今年、沖縄県、広島県、長崎県を訪問される予定で、硫黄島は、その最初の訪問先となります。
<硫黄島について> 小笠原村公式サイトより
戦前、硫黄島は南国の恩恵を存分に享受しながら、約1100人の島民が農業・漁業を営み、豊かに、そして穏やかに暮らしていました。
そんな平和な地は、太平洋戦争の激化により、本土防衛の最前線となりました。
戦況が悪化した昭和19年の夏、軍属として徴用された男性103名を残して、島民は本土へ強制疎開させられました。
翌年の2月には米軍が上陸し、激しい戦闘の末、日米両軍合わせて2万8千人もの尊い命が失われました。
軍属として島に残った島民も、82名がその若い命を失いました。
明治期の入植以来、幾多の困難を乗り越えて築いてきた「故郷」は廃墟と化し、返還から半世紀が過ぎた今もなお、旧島民の帰島が叶わない状況が続いています。
小笠原村は、故郷であるこの硫黄島に暮らせない旧島民の方々も同じく小笠原村民であるとの認識のもと、その心情に応えるため、旧島民の方々の墓参と里帰りを継続するとともに、村民の硫黄島理解のための訪島事業を実施します。
https://www.vill.ogasawara.tokyo.jp
<硫黄島の戦いについては以下で>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84


両陛下、戦後80年 令和の“慰霊の旅”
両陛下は、戦後80年のことし、戦没者の慰霊などのため、硫黄島に続いて、沖縄、広島、長崎も訪問される見通しです。
この訪問先は、平成6年から翌年の「戦後50年」にかけて上皇ご夫妻が先の大戦の象徴的な地域を巡られた旅と重なります。


また、7月のモンゴル公式訪問では、敗戦後旧ソビエトによって抑留され過酷な労働などのため命を落とした日本人の慰霊碑を訪ねて犠牲者の霊を慰められることも検討されています。
昭和8年に生まれ、「戦争の無い時を知らないで育った」という上皇さまは、戦後、一貫して先の大戦と向き合い、平成の時代、上皇后さまとともに国内外で戦没者の慰霊などにあたられてきました。
一方、天皇陛下と皇后さまは、ともに戦後生まれの「戦争を知らない世代」。
天皇陛下は、ことし2月の記者会見で、「戦争の記憶が薄れようとしている今日、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や歴史が伝えられていくことが大切であると考えております」と述べられました。
そして、折に触れて上皇ご夫妻から戦時中の体験談や平和を大切に思われる気持ちについて伺ってきたとしたうえで、「私は、日本国及び日本国民統合の象徴として、上皇陛下のお気持ちをしっかりと受け継ぎ、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、象徴としての責務を果たすべくなお一層努めてまいりたいと思っております」と語られました。
新たな時代を担うおふたりによる戦後80年の“慰霊の旅”。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250404/k10014767711000.html
NHK 2025年4月4日
両陛下、硫黄島へ
天皇皇后両陛下は戦後80年にあたり太平洋戦争の激戦地・硫黄島を訪問するため、7日朝、皇居を出発されました。
7日午前9時半ごろ、両陛下は皇居の乾門を出発し、羽田空港に向かわれました。
両陛下は政府専用機で午後、小笠原諸島の硫黄島に入られます。
硫黄島は、太平洋戦争の末期、アメリカ軍が上陸し日米双方で約3万人の犠牲者が出た場所で、上皇ご夫妻が戦後50年を控えた1994年に訪問されています。
両陛下は「戦没者の碑」や「鎮魂の丘」などで花を手向けるほか、深刻な水不足で「渇水の島」と言われ、渇きを訴えて命を落とした人たちを悼み、水を捧げる「献水」も行い、今夜島を後にされる予定です。
両陛下にとって、今回が戦後80年の節目にあたる最初の慰霊の旅で、6月には沖縄と広島、9月に長崎への訪問も予定されています。
FNNプライムオンライン 2025年4月7日
天皇皇后両陛下は7日午後0時半すぎ、政府専用機で東京都小笠原村の硫黄島にある海上自衛隊硫黄島航空基地に到着されました。
基地では、小笠原村の渋谷正昭村長、池田望村議会議長、東京都福祉局の高崎秀之局長、伊原和人厚生労働事務次官らの出迎えを受けられます。
両陛下は到着後、基地内で、東京都の小池百合子知事、小笠原村の渋谷村長らから硫黄島の概要について説明を受けられます。
また今回の訪問は、小笠原諸島の南硫黄島が1975年に日本初の原生自然環境保全地域に指定されてから50年の節目にあたってのものでもあり、東京都立大学の可知直毅名誉教授からは、小笠原の自然概要について説明を受けられる予定です。
(以下略)
日テレNEWS 2025年4月7日
両陛下、硫黄島で旧日本軍戦没者の慰霊碑に拝礼
戦後80年にあたり、太平洋戦争の激戦地・硫黄島を訪問中の天皇皇后両陛下が旧日本軍戦没者の慰霊碑に拝礼されました。
天皇皇后両陛下は、7日午後1時前、東京の南およそ1200キロにある硫黄島に到着し、島の概要や小笠原の自然概要についての説明を受けられました。
その後、両陛下は、午後3時20分ごろ、旧日本軍戦没者のための慰霊碑「硫黄島戦没者の碑」を訪問されました。硫黄島では太平洋戦争末期、日米間の激しい地上戦で、旧日本軍およそ2万2千人が犠牲となりました。 両陛下は、白いテッポウユリやトルコギキョウなどを手向けたあと慰霊碑に水をかけ、深々と拝礼されました。
この後、軍属として戦死した島民などの慰霊塔や日米すべての戦没者のための慰霊碑でも拝礼されます。 その後、自衛隊基地で戦没者の遺族や戦時下に強制的に疎開させられた硫黄島の元島民の子どもや孫らと懇談される予定です。
両陛下は7日夜、帰京されます。
日テレNEWS 2025年4月7日
7日午後、硫黄島に到着した天皇皇后両陛下は、戦後80年の節目にあたり、太平洋戦争末期、日米間の激しい地上戦で犠牲となった旧日本軍およそ2万2000人の慰霊碑に拝礼されました。
続いて、平和祈念墓地公園を訪れ、島で軍属として徴用され戦死した82人の島民らのための慰霊塔に花を供え、深く頭を下げられました。
さらに「鎮魂の丘」を訪れ、日米すべての戦没者の慰霊碑で拝礼し、陛下は近くにある壕(ごう)もご覧になりました。
その後、両陛下は戦没者の遺族や戦時中、強制的に疎開させられた元島民の子や孫らと懇談されました。
陛下は戦没者の遺族らに「だいぶ苦労されたんですね」とねぎらいの言葉をかけ、皇后さまは、元島民の2世に「硫黄島でお母さまはどのような暮らしをされていたんですか」と尋ねられました。
元島民の2世は懇談後、取材に対し「戦争を忘れていないと、陛下自らのお姿として示された。国民に戦争の悲惨さを忘れないでほしいと強く思った」と話していました。
日テレNEWS 2025年4月7日
遺族や元島民2世らと懇談
天皇皇后両陛下は戦後80年にあたり、硫黄島を訪れ、遺族と懇談されました。 7日午後5時過ぎ、両陛下は硫黄島にある自衛隊の施設で、戦没者の遺族などと懇談されました。
両陛下は戦後の苦労や帰島が叶わない現状などそれぞれの思いに耳を傾け、「お父さまを亡くされて大変でしたね」などと声をかけられました。
また、若い世代が遺骨収集などの活動に参加しているとの説明に頷き、「大切なことですね」「二世・三世の方はいかがですか?」などと寄り添われました。
これに先立ち、両陛下は島内にある戦没者慰霊碑など3カ所を巡り命を落とした人々を悼み深く拝礼されました。 戦後80年の節目に最初の慰霊の旅を終え、両陛下は島を後にされました。
FNNプライムオンライン 2025年4月7日
硫黄島訪問を終え羽田空港に到着
戦後80年の慰霊のために太平洋戦争の激戦地、硫黄島を訪問していた天皇皇后両陛下が日程を終えて、都内に戻られました。
慰霊のために硫黄島を訪問していた両陛下は午後9時ごろ、政府専用機で羽田空港に戻り、出迎えた関係者に挨拶されました。
両陛下は7日午後、強い雨が降る中、▼硫黄島戦没者の碑(天山慰霊碑)、▼硫黄島島民平和祈念墓地公園、▼鎮魂の丘の3か所で花を手向けて拝礼されました。
元島民の遺族や関係者らと懇談した陛下は戦前の島の様子について尋ね、皇后さまは「硫黄島でお母様はどんな暮らしをしていましたか」など、熱心に質問されたということです。
陛下は今年2月、誕生日にあたっての記者会見で、戦後80年にあたり「各地で亡くなられた方々や苦難の道を歩まれた方々に、改めて心を寄せていきたい」と述べられていて、今後は沖縄、広島、長崎への訪問が調整されています。
2025年4月8日 TBS NEWS DIG



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