
こんにちは、ラベンダーです。
今日から天皇皇后両陛下と愛子さまが沖縄をご訪問されます。
このページでは、沖縄訪問の詳細を随時速報いたします。
地元新聞の記事によりますと、
今回の両陛下と愛子さまの沖縄訪問の概要は以下のとおり。
1.戦後80年の節目に県が来県を願い出た。
2.4日は糸満市の国立沖縄戦没者墓苑、平和の礎、県平和祈念資料館を訪れ、沖縄戦の体験者らと懇談する。
3.5日は那覇市の小桜の塔、対馬丸記念館を初めて訪れ、生存者や遺族らと懇談する。
4.国営沖縄記念公園首里城地区では海洋博50周年記念の企画展や再建中の首里城を視察する。
とのことです。
沖縄訪問1日目


天皇ご一家は、戦没者の慰霊などのため、4日午前、太平洋戦争末期の地上戦から80年の節目を迎えた沖縄県に向けて出発されました。
天皇皇后両陛下は、初めて沖縄を訪問される長女の愛子さまとともに、午前10時すぎに、特別機で羽田空港を出発し、沖縄県に向かわれました。
沖縄では、太平洋戦争末期の昭和20年3月から6月にかけて住民を巻き込んで激しい地上戦が行われ、20万人以上が犠牲になりました。
それから80年。
ご一家は、那覇空港に到着したあと、まず、沖縄戦最後の激戦地、糸満市を訪問し、「国立沖縄戦没者墓苑」にある18万人以上の遺骨が納められた納骨堂の前に花を供えて犠牲者の霊を慰められます。
続いて、24万人を超える戦没者の名前が刻まれた石碑「平和の礎(いしじ)」や平和祈念資料館を訪ね、沖縄戦の体験者などと懇談されます。
天皇陛下の沖縄訪問は、本土復帰50年の年に皇后さまとともに訪ねられて以来2年7か月ぶりで、皇太子になる前の昭和62年(1987年)の初訪問以来、7回目です。
(以下は、上記NHKを記事本文をご参照ください)
2025年6月4日NHK
両陛下と愛子さま、沖縄へ向け羽田空港を出発
天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、戦後80年の節目にあたり、4日から2日間、激しい地上戦が行われた沖縄県を訪れ、戦没者を慰霊されます。
天皇ご一家は4日午前、沖縄に向け出発されました。愛子さまが沖縄県を訪問されるのは初めてです。
天皇皇后両陛下と愛子さまは、4日午前9時半ごろ、皇居を出発し羽田空港に向かわれました。
ご一家は、ご静養の際や美術展・コンサートなどに行く際は1台の車に3人で乗って移動しますが、今回の沖縄訪問は「慰霊」という意味合いも踏まえ、両陛下は天皇旗をつけた御料車、愛子さまはその後ろのお召車と、2台に分かれて移動されます。
天皇ご一家は、羽田空港から特別機で沖縄県の那覇空港に向かい、4日と5日の2日間、戦後80年の節目にあたり沖縄県で戦没者を慰霊されます。
天皇ご一家は4日午後、糸満市の「国立沖縄戦没者墓苑」で供花し、沖縄戦などの犠牲者の名を刻んだ「平和の礎」を訪問されます。
沖縄県平和祈念資料館では、90代の戦争体験者や戦争の記憶を語り継ぐ20代から80代の語り部、80代の戦没者の遺族と懇談される予定です。
5日は、戦時中、アメリカ軍の魚雷攻撃で沈没した学童疎開船「対馬丸」の犠牲者、子ども784人を含む1484人の慰霊碑「小桜の塔」を訪れ、供花されます。
「対馬丸記念館」では、犠牲者の遺影や遺品などの展示の前で説明を受けた後、対馬丸の沈没で家族を亡くし命からがら生き延びた経験を持つ80代の生存者や、遺族や語り部らと懇談される予定です。
愛子さまが沖縄を訪問されるのは初めてです。
両陛下と愛子さまを乗せた特別機は4日午前10時すぎ、羽田空港を出発しました。
2025年6月4日日テレNEWS
天皇皇后両陛下と愛子さま、那覇空港に到着
天皇皇后両陛下と長女愛子さまは4日午後、戦後80年の節目に戦没者を慰霊のするため、特別機で那覇空港に到着された。
空港で出迎えた玉城デニー知事や中川京貴県議会議長らと笑顔であいさつを交わした。
この後、糸満市摩文仁の国立戦没者墓苑や平和の礎、県平和祈念資料館を訪問し、沖縄戦の体験者や遺族、語り部らと懇談する。
天皇陛下の来県は2022年10月以来で、即位前を含め7度目。愛子さまは初めての来県となった。5日は対馬丸記念館を訪問するほか、首里城も訪ね、復元作業や海洋博50周年記念企画展を視察する。
2025年6月4日 琉球新報
天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、戦後80年の節目にあたり、4日から2日間、激しい地上戦が行われた沖縄県を訪れ、戦没者を慰霊されます。天皇ご一家は4日午後、沖縄県の那覇空港に到着されました。
天皇皇后両陛下と愛子さまは4日午後1時ごろ、特別機で那覇空港に到着されました。
今回の訪問は戦後80年にあたり、両陛下と愛子さまに対する沖縄県からの願い出を受けたものです。那覇空港では、沖縄県の玉城デニー知事らが出迎えました。
天皇ご一家は、4日と5日の2日間、沖縄県で戦没者を慰霊されます。4日午後は糸満市の「国立沖縄戦没者墓苑」で供花し、沖縄戦などの犠牲者の名を刻んだ「平和の礎」を訪問されます。沖縄県平和祈念資料館では、戦争体験者や語り部、遺族らと懇談される予定です。
天皇皇后両陛下が沖縄を訪問されるのは2022年10月以来3年ぶりで、即位後2度目となります。愛子さまが沖縄を訪問されるのは、今回が初めてです。
側近によりますと、両陛下は、激しい地上戦で数多くの方が亡くなり、アメリカから返還されて以降も苦難の道を歩んできた沖縄県民について、常に心を寄せてこられたということです。
両陛下は、戦後80年の今こそ、若い世代も含め先の大戦への理解が深まっていくことを願われているということです。
愛子さまは、戦争を体験している上皇ご夫妻から戦時中の話などを聞いたり、中学の卒業記念文集に、中学3年生の修学旅行で広島を訪れた際に戦争の爪痕を前にした思いを綴ったり、平和の大切さについて学ばれてきました。
23歳の愛子さまは、戦後80年の節目に初めての沖縄を訪れ、激しい地上戦が行われた沖縄戦の記憶と向き合われることになります。
天皇陛下は今年2月の誕生日会見で、戦後80年の節目にあたり、「亡くなられた方々や、苦しく、悲しい思いをされた方々のことを忘れずに、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないか。戦争の記憶が薄れようとしている今日、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や歴史が伝えられていくことが大切であると考えている」と述べられています。
5日は、戦時中アメリカ軍の魚雷攻撃で沈没した学童疎開船「対馬丸」の犠牲者1484人の慰霊碑「小桜の塔」を訪れ、供花されます。
「対馬丸記念館」では、犠牲者の遺影や遺品などの前で説明を受けた後、命からがら生き延びた経験を持つ80代の生存者や、遺族や語り部らと懇談される予定です。
2025年6月4日日テレNEWS
国立沖縄戦没者墓苑で供花
天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、戦後80年の節目にあたり戦没者を慰霊するため4日から2日間、激しい地上戦が行われた沖縄県を訪問されています。天皇ご一家は、さきほど国立沖縄戦没者墓苑で供花されました。
天皇皇后両陛下と愛子さまは、4日午後3時前、沖縄県糸満市の平和祈念公園にある「国立沖縄戦没者墓苑」を訪問されました。
天皇ご一家は糸満市の當銘真栄市長や沖縄県遺族連合会の我部政寿会長、沖縄県平和祈念財団の金城克也会長らの出迎えを受けられました。
墓苑では沖縄戦で家族を亡くした沖縄県遺族連合会の瑞慶山良祐さん、照屋苗子さん、瀬長和枝さんも出迎えました。
激しい地上戦となった沖縄戦では、民間人と軍人あわせて18万人を超える人々が命を落としました。
この墓苑の納骨堂には、地域住民などによって収集された戦没者の遺骨が納められています。
ご一家は納骨堂の前にある供花台に静かに進まれ、両陛下と愛子さまが供花台に白いテッポウユリ、トルコギキョウ、デンファレの花を供えられました。
両陛下と愛子さまはそろって深く頭を下げられました。
国立沖縄戦没者墓苑には上皇ご夫妻も、沖縄訪問の際には必ず訪れ、慰霊をされてきました。天皇陛下は慰霊のためにこれまでに6回、皇后さまは2回訪問されています。また、愛子さまが戦没者墓苑で慰霊をされるのは、今回が初めてです。
側近によりますと、両陛下は先の大戦において、沖縄で地上戦などにより多くの尊い命が失われたこと、戦後およそ27年間アメリカの統治下に置かれるなど苦難の道を歩んできたことから、沖縄の地と沖縄の皆さんに心を寄せていきたいと考えられているということです。
そして、沖縄県民がたどってきたこれまでの苦労と努力の歴史が若い世代に語り継がれていくことや、若い人たちが平和を大切にする心が育まれていくことが大切だと思われているということです。
愛子さまは、今回が初めての沖縄県訪問となりますが、これまで戦争を体験している上皇ご夫妻から戦時中の話などを聞いたり、中学の卒業記念文集で中学3年生の修学旅行で広島を訪れた際に戦争の爪痕を前にした思いをつづったり、平和の大切さについて学ばれてきました。
愛子さまは今回戦後80年の節目に、激しい地上戦が行われた沖縄の戦争の記憶と初めて向き合われることになります。
4日はこの後、沖縄戦などの犠牲者の名を刻んだ「平和の礎」を訪問し、沖縄県平和祈念資料館で戦争体験者や語り部、遺族らと懇談される予定です。
2025年6月4日日テレNEWS
<国立沖縄戦没者墓苑で供花後に拝礼される天皇、皇后両陛下と長女愛子さま>


「平和の礎」訪問
天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、戦後80年の節目にあたり戦没者を慰霊するため4日から2日間、激しい地上戦が行われた沖縄県を訪問されています。天皇ご一家は、糸満市の「平和の礎」を訪問されました。
天皇皇后両陛下と愛子さまは、4日午後3時半すぎ、沖縄県糸満市の平和祈念公園にある「平和の礎」を訪問されました。
「平和の礎」は国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦で亡くなった犠牲者など24万人の名前が刻まれた記念碑で、読谷村から上陸した米軍に追いやられ、沖縄戦で日本軍を指揮した司令官らが自決した糸満市摩文仁に30年前、建てられました。
沖縄県では、司令官らの自決で組織的な戦闘が終わった6月23日を「慰霊の日」と定めています。
ご一家は沖縄県知事公室の溜政仁室長から説明を受けながら、今年の「慰霊の日」を前に5月26日、新たに戦没者342人の名前が刻まれ設置された「刻銘板」をご覧になりました。
沖縄戦では戸籍が全て燃えてしまったこともあり、いまだ戦没者の全容は不明で、毎年新たな情報が判明するたびに刻まれる名前が増え続けています。
この「平和の礎」は、1995年6月、戦後50年にあたり建てられ、当時の村山首相らが出席して「慰霊の日」に除幕式が行われました。
同じ年の8月、在位中の上皇ご夫妻が戦後50年の「慰霊の旅」として沖縄県を訪問した際、「平和の礎」をご覧になっています。
除幕から2年後の1997年7月には、今の天皇皇后両陛下が皇太子ご夫妻として、「全国農業青年交換大会」出席のため沖縄県を訪れた際、猛暑の中、視察されました。
初訪問から2年後の1999年、皇后さまは「歌会始」で「平和の礎」について詠んだ歌を披露されました。
「摩文仁なる礎(いしじ)の丘に見はるかす 空よりあをくなぎわたる海」
摩文仁の丘から見える真っ青な海を歌に詠まれたものです。
天皇陛下は、これまで4回「平和の礎」を訪れ、皇后さまは2回訪問されています。愛子さまは、今回初めての訪問となります。
側近によりますと、両陛下は先の大戦において、沖縄で地上戦などにより多くの尊い命が失われたこと、戦後およそ27年間アメリカの統治下に置かれるなど苦難の道を歩んできたことから、沖縄の地と沖縄の皆さんに心を寄せていきたいと考えられているということです。
そして、沖縄の皆さんがたどってきたこれまでの苦労と努力の歴史が若い世代に語り継がれていくことや、若い人たちが平和を大切にする心が育まれていくことが大切だと思われているということです。
上皇ご夫妻、天皇皇后両陛下が何度も訪れてきた「平和の礎」を、愛子さまが初めてご覧になりました。
2025年6月4日 日テレNEWS
<平和の礎(いしじ)とは>
建物の基礎の「いしずえ」を沖縄方言で「いしじ」と発音することに由来する。
「平和の礎」は、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念事業の一環として、国籍を問わず、また、軍人、民間人の別なく、全ての戦没者の氏名を刻んで、永久に残すため、平成7年(1995年)6月に建設された。
その趣旨は、沖縄戦などでなくなられた全ての戦没者を追悼し、恒久平和の希求と悲惨な戦争の教訓を正しく継承するとともに、平和学習の拠点とするもの。


「平和祈念資料館」を訪問
天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、戦後80年の節目にあたり戦没者を慰霊するため4日から2日間、激しい地上戦が行われた沖縄県を訪問されています。
天皇皇后両陛下と愛子さまは、4日午後4時ごろ、糸満市の平和祈念公園にある「沖縄県平和祈念資料館」を訪問されました。
この資料館は、沖縄戦に至るまでの沖縄の歴史から住民の見た戦争、戦後の復帰運動、平和創造を目指す沖縄の姿まで、映像や模型などを用いて展示しています。
ご一家は、大城友恵館長らの説明を受けながら沖縄戦の体験者による証言集をご覧になりました。
陛下は、前身の資料館も含めこれまで3回訪れていますが、最初の訪問となった1987年には「沖縄の人々は先の大戦を通じて、“命(ぬち)どぅ宝”の思いをいよいよ深くしたと聞きましたが、この平和を求める痛烈な叫びが国民すべての願いとなるよう切望しています」とコメントを出されました。
「ぬちどぅたから」とは「命こそ宝」という意味の沖縄の言葉です。
今回初めてとなる愛子さまが、忌まわしい沖縄戦の記憶について体験者が語った証言集の正面に立つ形で両陛下とともにご覧になりました。
側近によりますと、両陛下は沖縄の皆さんがたどってきたこれまでの苦労と努力の歴史が若い世代に語り継がれていくことや、若い人たちが平和を大切にする心が育まれていくことが大切だと思われているということです。
その思いを23歳の長女・愛子さまにも伝えるように、今回、両陛下は戦後80年の節目に愛子さまとともに沖縄を訪れ、あらためて戦争の記憶と向き合われています。
ご一家はこのあと、90代の戦争体験者、戦争の記憶を語り継ぐ20代の若い世代も含む語り部たちや80代の戦没者の遺族らと懇談される予定です。
2025年6月4日 日テレNEWS
天皇ご一家は今回の訪問でかつての豆記者や若い世代の語り部などとも交流を持たれました。
4日、沖縄県平和祈念資料館を見学された天皇皇后両陛下と愛子さま。
そこでは戦争の記憶を伝える語り部として活動する若者とも懇談されました。
狩俣日姫さん:
愛子さまからは留学期間にどういったきっかけだったり、思い出があってそういった活動になったんですかというところを深く聞いてくださいました
初めて沖縄を訪問された愛子さまの姿に励ましを受けました。
狩俣日姫さん:
沖縄という土地の歴史柄、戦争を昭和天皇が始めたというきっかけからは切り離せないというところは感じています。今回愛子さまも一緒に来られたというところは、責任であったりその歴史をちゃんと引き受けていく姿勢があるのかなと感じたので、とても沖縄で平和学習をしている身としてはとても嬉しかった
那覇市では以前、東京で交流した元豆記者たちと懇談し、東宮御所での思い出を振り返えられました。
沖縄国際大学4年 金城若葉さん:
2歳愛子さまがお年が上なんですけれども、変わったところというよりは、あの頃のまますごく柔らかくて、あたたかな気持ちでお話することができました
県立芸術大学2年 岸本望乃叶さん:
雅子さまから何歳から琉球舞踊をやっていますかとあったので、私は3歳が初舞台ですと。そしたら芸歴15年くらですねと雅子さまがおっしゃって、すごいですねと
沖縄尚学高校 安次冨朱莉さん:
沖縄尚学高校ですと言ったら、天皇陛下が野球で有名ですねとおっしゃっていたので、野球で有名とご存じなんだなと嬉しく思いました
2025年6月5日 沖縄ニュースOTV
戦争体験者らと懇談
戦後80年の節目に沖縄訪問中の天皇皇后両陛下と愛子さまは、戦争体験者らと懇談されました。
両陛下と愛子さまは、4日午後、沖縄県糸満市の戦没者の遺骨が眠る「国立沖縄戦没者墓苑」で花を供え、慰霊されました。
その後、平和祈念資料館で沖縄戦に関する展示を見た後、戦没者の遺族らと懇談されました。
家族8人を亡くし戦場を逃げ回ったという玉木利枝子さんに、陛下は「お話しいただいてありがとうございました」と述べ、家族5人を失った照屋苗子さんが、涙ながらに戦争は二度と繰り返してはならないと訴えると、皇后さまは「つらいお話をありがとう」と手を握られていました。
また愛子さまは「平和の大切さを感じました」と語られていました。
その後、ご一家は宿泊先のホテルでかつて交流した「豆記者」の経験者らと再会されました。
沖縄の小・中学生たちが上京して記者体験をする「豆記者」との交流は上皇ご夫妻が始めたもので、愛子さまも中学3年生の時、触れ合われました。
9年ぶりに愛子さまと再会し、今の活動などを尋ねられたという大学生の金城若葉さんは「柔らかくて包み込んでくれるようなオーラを感じました」と話していました。
2025年6月5日 日テレNEWS
愛子さま、初めて「提灯奉迎」に参加
天皇皇后両陛下と愛子さまは、4日午後8時ごろ、那覇市内のホテルで地元の人々から提灯を使った歓迎を受けられました。
宿泊先のホテル近くに集まった人々が提灯を振ると、ご一家も部屋から提灯を振って応えられました。
地元の有志による「提灯奉迎」は、両陛下が地方を訪問した際に行われていますが、愛子さまが両陛下と共に提灯奉迎を受けられるのはこれが初めてです。
沖縄訪問の1日目、天皇皇后両陛下と初めての沖縄訪問となった愛子さまは、糸満市の「国立沖縄戦没者墓苑」で花を供え慰霊し、予定時間を大幅にこえて戦没者遺族らの話にじっくり耳を傾けられました。
また「平和の礎」を訪れ、沖縄県平和祈念資料館で戦争体験者や語り部、遺族らと懇談されました。
また、ご一家は宿泊先のホテルに到着した際、かつて沖縄の小中学生の「豆記者」だった若者たちとも再会されました。
「豆記者」は、沖縄の小・中学生が上京して記者の仕事を体験するもので、沖縄県と本土の相互交流を目的に1962年から始まり、「豆記者」との交流は、皇太子時代の上皇ご夫妻から皇太子時代の両陛下、秋篠宮ご夫妻へと引き継がれています。
愛子さまも、中学3年生だった2016年、「豆記者」との懇談に加わっていて、4日は当時「豆記者」だった女子大学生2人と9年ぶりに再会されました。
5日は、戦時中アメリカ軍の魚雷攻撃で沈没した学童疎開船「対馬丸」の犠牲者、子ども784人を含む1484人の慰霊碑「小桜の塔」を訪れ、供花されます。
「対馬丸記念館」では、犠牲者の遺影や遺品などの前で説明を受けた後、対馬丸の沈没で家族を亡くし、命からがら生き延びた経験を持つ80代の生存者や遺族や語り部らと懇談される予定です。
2025年6月4日 日テレNEWS
天皇皇后両陛下 1日目ご感想全文
戦後80年にあたり、4日に沖縄県の平和祈念資料館などを訪問した天皇皇后両陛下は、侍従を通じ、「沖縄戦で亡くなられた方々や戦争によって苦難の道を歩まざるをえなかった方々に思いを寄せ、平和の尊さを心に刻み、平和への願いを新たにしていきたい」との感想を公表された。
はじめて3人そろって沖縄県を訪れることができ、うれしく思います。今日は午後に国立沖縄戦没者墓苑で花をささげ、先の大戦において激しい地上戦が行われ、多くの尊い命が失われた沖縄の人々の苦難を思い、犠牲となられた方々に哀悼の意を表しました。
平和の礎(いしじ)では、国籍を問わず、また、軍人、民間人の別なく、沖縄戦でのすべての戦没者の氏名が刻まれ、今年も新たな名前が加えられていることについての説明をうかがうとともに、眼前に広がる海を眺めながら、平和の火を実際に見て、沖縄の人々の平和に対する深い思いを改めて感じました。
平和祈念資料館では、沖縄戦に関する実物資料、写真パネル、沖縄戦体験者の証言などの展示を見て、凄惨な沖縄戦の様子や、当時の人々の苦難について、改めて理解を深めました。初めて訪れた愛子も、苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史を深く心に刻んでいました。
戦争を体験された方や、遺族となられた方々のお話をうかがい、みなさんが経験された想像を絶するような苦難の一端に触れ、深く心が痛むとともに、戦争の悲惨さや平和の大切さについて、思いを新たにいたしました。
また、このような経験を後世に引き継いでいくためにつらい体験を言葉にされる戦争体験者や遺族の方々の勇気にも頭が下がります。戦後80年がたち、戦争を実際に知る世代が少なくなってきている中で、そのような戦争の記憶を次の世代に継承し、理解を広めようとされている語り部のみなさんの活動も大変意義深いものであると感じました。
ホテルでは、豆記者のみなさんに出迎えていただき、お話しできたことをうれしく思いました。中には、以前に東宮御所で豆記者としてお会いした学生さんたちもおられ、当時のことを懐かしく思い出しながら、和やかにお話しすることができました。
夕刻、玉城沖縄県知事から、県政の概要についてお話をうかがい、沖縄県が現在、取り組んでいる諸施策について理解を深めることができました。
戦後80年を迎える節目の年に、沖縄県を訪れ、沖縄戦で亡くなられた方々や戦争によって苦難の道を歩まざるをえなかった方々に思いを寄せつつ、平和の尊さを心に刻み、平和への願いを新たにしていきたいと思います。
多くの県民のみなさんにあたたかく迎えていただいたことに、感謝いたします。
1日目地元ニュース
琉球放送
天皇皇后両陛下と長女・愛子さまが、4日那覇空港に到着され、糸満市の国立沖縄戦没者墓苑などを訪問されました。
2025年6月4日 琉球放送 RBC NEWS
沖縄ニュースOTV
戦後80年の節目にあたり、天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、住民を巻き込む激しい地上戦が行われた沖縄を訪問されています。天皇ご一家は、沖縄戦最後の激戦地、糸満市摩文仁を訪れ、戦争体験者や遺族と懇談されました。
天皇皇后両陛下と愛子さまは4日午後3時半過ぎ、「平和の礎」を訪問されました。
沖縄戦の犠牲者など24万人の名前が刻まれた平和の礎を天皇陛下が訪問されるのは2022年以来で、愛子さまは2025年が初めての訪問となります。
2025年に342人が追加刻銘されたことなどについて説明を受けた天皇陛下は、戦艦大和の乗組員の名前が多かったことについて「ご子息の方が申請されたのですか」などと質問されたということです。
また、これに先立ち、国立沖縄戦没者墓苑では沖縄戦の遺族が立ち会う中、両陛下と愛子さまは献花台に白い花束を手向け深く拝礼されました。
また、遺族に歩み寄り1人ひとり声をかけられました。
与那原町遺族会会長 知念勇吉さん(79):
大変でしたねと。平和というものがどれだけ尊いものであるかと同時に、心に残っている傷は絶対に消えない
新垣生雄さん(84):
日本をはじめ全世界が平和であることを、お力添えをお願いしますということで話は終わった。会釈をされて、分かりましたということではないでしょうか。愛子さまは、これからも遺族会についても頑張ってくださいというお言葉でした
両陛下と愛子さまは沖縄県平和祈念資料館を見学されました。
この中で愛子さまは沖縄戦を生き延びた人々の証言を読まれました。
極限状態の防空壕のなかで、大きな声をあげてしまう人を大人たちが窒息させたという当時14歳の証言に愛子さまは「生きていくため、すごく壮絶な・・」と言葉を失われる様子もありました。
愛子さま生きていくためにこういう選択をしなければいけないという心が痛むことだったと思います。
両陛下と愛子さまは、看護要員として軍と行動ともにし戦場を彷徨った翁長安子さんや、学徒隊として飛行場建設に駆り出された瀬名波榮喜さんとも懇談し、壮絶な戦争の記憶に家族で向き合われました。
2025年6月4日 沖縄ニュースOTV
沖縄タイムズ
戦後80年に際して沖縄を訪問中の天皇、皇后両陛下と長女愛子さまは4日夜、那覇市内のホテルで、沖縄の子どもたちが本土を訪れて取材活動をする「豆記者」や豆記者経験者ら8人と懇談した。
上皇ご夫妻が1963年に始めた豆記者との交流は両陛下が引き継ぎ、時に愛子さまを同席させた。豆記者との交流は現在、秋篠宮ご夫妻が引き継いでいる。
懇談後、いずれも豆記者経験者で沖縄国際大4年の金城若葉さん(22)、県立芸術大2年の岸本望乃叶(ののか)さん(19)、沖縄尚学高校3年の安次冨朱莉(しゅり)さん(17)が記者団の取材に応じた。金城さんと岸本さんは豆記者として2016年に愛子さまと交流。9年ぶりの再会となった。
金城さんは、以前の交流で一緒に楽しんだバレーボールに関して、愛子さまと思い出話に花を咲かせた。「『まだバレーが好きなんです』『またしたいですね』と言われたのが印象に残っています」。岸本さんは「あの頃と変わらない優しさでした」と振り返った。
安次冨さんは豆記者の意義について「沖縄で今どのようなことが起きているか、お話しすることで共有できる。沖縄のことを伝えられる」と語った。
2025年6月4日 沖縄タイムズ
八重山日報
県民が提灯を手に、天皇ご一家の沖縄訪問を迎える「提灯奉迎の集い」(主催・同実行委員会)が4日夜、ご一家が宿泊する那覇市のホテルに隣接する黄金森公園で開かれた。約5000人(主催者発表)が参加。天皇皇后両陛下と愛子さまも、ホテルの部屋から提灯を手に歓声に応えられた。参加者の中には「日本に生まれて良かった」と話す人もいた。
天皇陛下の来県を提灯で歓迎する集いは1993年、2012年、2018年に行われており、今回が4回目、令和に入って初めて。
実行委によると、来場者のため3000個用意した提灯は、開会後すぐに足りなくなった。会場を埋め尽くすほどの人が集まる中、特設ステージ上で獅子舞や琉球舞踊などが繰り広げられた。
参加者は、ご一家が宿泊するホテルの部屋に向けて提灯を揺らし「天皇陛下万歳」「皇后陛下万歳」を三唱。ご一家もホテルの部屋から提灯を揺らして応えられた。
宜野湾市から夫、7歳の息子とともに参加した我喜屋彩花さん(33)は「ぜひ家族で参加したいと思って来た。(ご一家が持つ)提灯が三つ見えて感動し、鳥肌が立って涙が出た。沖縄県民として日本に生まれて良かった」と喜んだ。
実行委員長を務めた県経済団体会議議長の金城克也さんはこの日、国立沖縄戦没者墓苑で天皇ご一家と言葉を交わした。「私も戦争で親類を失った遺族の一人」と自己紹介すると、天皇陛下は「大変でしたね」と応じられたという。
金城さんは「県民に寄り添う陛下のお気持ちを感じた。きょうこれだけの人が集まり、万歳三唱したのは、県民も陛下に対して強い思いを持っているから」と話した。
2025年6月5日 八重山日報
1日目まとめニュース
戦後80年にあたり、天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、太平洋戦争の激戦地・沖縄をきょうから訪問されています。愛子さまは初めての沖縄訪問です。上皇ご夫妻の思いが、両陛下、そして愛子さまへと受け継がれていきます。
きょう午後、沖縄に到着された両陛下と愛子さま。両陛下の沖縄訪問は、2022年以来3年ぶりで即位後2回目、愛子さまにとっては初めてとなります。
沖縄では80年前、戦争でアメリカ軍が上陸し、住民を巻き込む激しい地上戦となって、20万人以上が犠牲に。
戦後はアメリカ軍の統治下に入り、皇室に複雑な感情を抱く人たちも少なくありませんでした。
こうした中、1975年、戦後、皇室で初めて沖縄を訪問されたのは今の上皇ご夫妻。当時は皇太子ご夫妻でしたが、訪問への地元の反発も強く、ひめゆりの塔を訪問された際には…
「いま、爆竹が燃やされました」
火炎瓶が投げられる事件が。上皇さまはその夜、談話を発表されました。
「この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」
「心を寄せる」、陛下もその思いを受け継ぎ、沖縄訪問は6回を数えます。今年2月には…
「愛子にも戦争によって亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に心を寄せていってもらいたいと思っています」
きょう午後、両陛下と愛子さまは、沖縄戦最後の激戦地となった糸満市にある国立戦没者墓苑を訪れ、納骨堂の前の供花台に花を手向けられました。
その後、戦争で親族を失った人らとも交流。予定にはありませんでしたが、30分ほど話されていました。
「天皇陛下はどなたが亡くなられたかということをお聞きになった。お父さんとお兄さんが亡くなったと。天皇陛下も皇后陛下も愛子さまも『大変でしたね』と」
また、平和祈念資料館も訪問されたご一家。愛子さまは、当時14歳の子どもが窮屈な壕の中で、住民が住民を窒息死させるところを目撃したという証言を真剣な表情で読まれていました。
その後、戦争を経験した人とも懇談。
ご一家はあす、アメリカ軍の攻撃で沈没した学童疎開船「対馬丸」の悲劇を伝える記念館などを訪問される予定です。
2025年6月4日 TBS NEWS DIG
沖縄訪問2日目
学童疎開船「対馬丸」慰霊碑に供花
戦後80年にあたっての沖縄訪問2日目、天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、太平洋戦争中アメリカ軍によって撃沈され多くの子どもが亡くなった学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を慰霊されました。
天皇皇后両陛下と愛子さまは、5日午前10時半ごろ、那覇市内にある学童疎開船「対馬丸」の犠牲者の慰霊碑「小桜の塔」を訪問されました。ご一家は対馬丸記念会の比嘉正詔理事に先導され、那覇市の知念覚市長らの出迎えを受けられました。
「小桜の塔」は、太平洋戦争中の1944年、アメリカ軍の魚雷攻撃で沈没した学童疎開船「対馬丸」の犠牲者の慰霊碑です。
多くの沖縄の子どもたちが本土に疎開するために乗船していた「対馬丸」では784人の子どもたちを含む1484人が犠牲となりました。
ご一家は「小桜の塔」に向かい白いテッポウユリとトルコギキョウ、デンファレの花を手向け、その後深々と頭を下げられました。
両陛下と愛子さまが「小桜の塔」を訪問されるのは今回が初めてです。
側近によりますと、両陛下は、これまで11回沖縄を訪れ「小桜の塔」でも慰霊している上皇ご夫妻から対馬丸について話を聞かれたということです。
天皇陛下は今年2月の誕生日会見で戦後80年の節目にあたり、「亡くなられた方々や、苦しく、 悲しい思いをされた方々のことを忘れずに、 過去の歴史に対する理解を深め、 平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないか。戦争の記憶が薄れようとしている今日、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や歴史が伝えられていくことが大切であると考えている」と述べられています。
両陛下は戦後80年の節目に初めての訪問となる愛子さまを同伴し、激しい地上戦となった沖縄の戦争の記憶と向き合い平和について改めて考えられています。
ご一家は、この後初めて「対馬丸記念館」を訪れ、犠牲者の遺影や遺品の展示など前で説明を受けた後、対馬丸の沈没で家族を亡くし命からがら生き延びた経験を持つ80代の生存者や遺族、語り部らと懇談される予定です。
午後は、国営沖縄記念公園首里城地区を訪れ、世界遺産に登録されながら2019年10月に火事で消失した首里城正殿の復元状況などを視察される予定です。
2025年6月5日 日テレNEWS
両陛下と愛子さま「対馬丸記念館」訪問
戦後80年にあたっての沖縄訪問2日目、天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、アメリカ軍によって撃沈され多くの子どもが亡くなった学童疎開船「対馬丸」の資料館を訪問されています。
両陛下と愛子さまは、那覇市内にある学童疎開船「対馬丸」犠牲者の慰霊碑「小桜の塔」に花を供えたあと、5日午前10時半ごろ「対馬丸記念館」に到着されました。
先導役を務めるのは、館長の平良次子さんです。
「対馬丸記念館」は太平洋戦争中の1944年、アメリカ軍の魚雷攻撃で沈没し、多くの子どもの犠牲者を出した学童疎開船「対馬丸」の事件を後世に伝え平和と命の尊さを教えるため2004年に開館しました。
沖縄の子どもたちが本土に疎開するために乗船していた「対馬丸」では、784人の子どもたちを含む1484人が犠牲となりました。
ご一家が対馬丸記念館を訪問されるのは初めてです。
この記念館の1階の展示室には犠牲者の遺品と共に多くの子どもたちの遺影が壁一面に掲げられています。
1階の展示室の前には、ご一家は、2階の展示室で対馬丸の航路図や米軍の記録などの前で対馬丸が撃沈されるまでの経緯などについて説明を受けられています。
側近によりますと、両陛下は、沈没から70年たった2014年に、この対馬丸記念館を訪れた上皇ご夫妻から「対馬丸」について話を聞かれたということです。
側近によりますと、両陛下は先の大戦において、沖縄で地上戦などにより多くの尊い命が失われたこと、戦後およそ27年間アメリカの統治下に置かれるなど苦難の道を歩んできたことから、沖縄の地と沖縄の皆さんに心を寄せていきたいと考えられているということです。
そして、沖縄の人々がたどってきたこれまでの苦労と努力の歴史が若い世代に語り継がれていくことや、若い人たちが平和を大切にする心が育まれていくことが大切だと思われているということです。
両陛下は戦後80年の節目に23歳の長女・愛子さまと共に、対馬丸の犠牲者の慰霊碑「小桜の塔」と「対馬丸記念館」を初めて訪問されました。
ご一家は、このあと対馬丸の沈没で家族を亡くし命からがら生き延びた経験を持つ80代の生存者や遺族、語り部らと懇談される予定です。
午後は、国営沖縄記念公園首里城地区を訪れ、世界遺産に登録されながら2019年10月に火事で消失した首里城正殿の復元状況などを視察される予定です。
2025年6月5日 日テレNEWS
慰霊のため沖縄を訪問中の天皇皇后両陛下と長女・愛子さま。きょうは、戦争中、アメリカ軍に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の記念館を訪れ生存者と懇談されました。
壁一面にある遺影。ここは那覇市にある「対馬丸記念館」です。
1944年、沖縄から疎開するため、学童たちが「対馬丸」という船に乗り込みましたが、アメリカ軍の攻撃で沈没。学童およそ780人を含む1484人が犠牲になり、この出来事を後世に伝えるための場所です。
きょう、記念館を訪問された両陛下と愛子さま。子どもたちの遺品である授業のノートなどを真剣な表情で見られていました。
その後、懇談されたのは対馬丸の生存者・高良政勝さん(85)です。
「お兄様が書かれた手紙でお知りになった」
高良政勝さん
「そうです」
陛下が話された「手紙」。2013年、JNNのインタビューに高良さんは「手紙」のことを語っていました。
対馬丸の生存者 高良政勝さん(2013年)
「兄の手紙、御祖父母さまと」
当時4歳だった高良さんが沈没した対馬丸から救助され、再会した際の様子を綴った兄の手紙でした。
対馬丸の生存者 高良政勝さん(2013年)
「ボーイに抱かれた裸の子が降りてきました。よくみると政勝でした。かっちゃん、生きていたのか、ありがとうと泣きながら言って、走ってかっちゃんを受け取りました。不幸中の幸いで、けがはありません」
「けがはない」とありますが、高良さんは荒波の中、魚に噛まれ、背骨が見えていたといいます。
対馬丸の生存者 高良政勝さん(2013年)
「背骨が見えるくらいけがをしているというと心配する。祖父母に対する思いやりで、そう書いたんだと思います」
高良さんは何とか生き残りましたが、両親ときょうだい、あわせて9人を亡くしました。
対馬丸の悲劇をこの記念館で目の当たりにするのは両陛下にとっても愛子さまにとってもこれが初めてです。
高良政勝さん
「初めてですか、沖縄は?」
「はい、初めてで」
高良政勝さん
「晴れましたね」
「きょうはお暑いくらい」
上皇ご夫妻から続く対馬丸記念館への訪問に高良さんは…
対馬丸の生存者 高良政勝さん
「こんな小さい記念館に二代の皇族がおいでくださったなと。三代目もご一緒されたので、非常に光栄に思いました。(記念館を)維持していかないといけない、しみじみ感じました」
2025年6月5日 TBS NEWS DIG
首里城の復元作業を視察
天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは沖縄訪問2日目の午後、那覇市内の首里城を訪れ、復元状況を視察されました。
午後、かりゆし姿に着替えた両陛下と愛子さまは、さきほどから那覇市内にある首里城公園を訪問されています。
ご一家は午後3時半すぎ、焼失した正殿の復元状況などをご覧になりました。
2000年にユネスコの世界遺産に登録された首里城は、2019年10月に火災に見舞われ、正殿や南殿などを焼失しあわせて9棟が被災しました。
ご一家は、説明を受けながら首里城の特徴でもある赤瓦や火災の残存物などの展示をご覧になりました。この場所は来年の正殿復元を目指し作業が進められている「素屋根見学エリア」と呼ばれる場所です。
「素屋根」は首里城の正殿を雨風やほこりから守るための建物で、ご一家は、ガラス越しに素屋根を眺めながら、復元状況について説明を受けられました。
その後、両陛下と愛子さまは、復元工事に携わる職人に声をかけられました。設計監理や木材の選定、技術指導を総括的に担当する「総棟りょう」と、木材の加工や補助作業などを行う若手の職人に復元作業について話を聞かれました。
これに先立ち、天皇ご一家は、1975年から翌年に開催された「沖縄国際海洋博覧会」の50周年を記念した企画展をご覧になりました。
4日から2日間、戦没者慰霊のために沖縄県を訪れていた両陛下と愛子さまは、2日間の予定を全て終え、5日夜、帰京の途につかれます。
2025年6月5日 日テレNEWS
両陛下と愛子さま 全日程を終え那覇空港到着
戦後80年の節目にあたり戦没者を慰霊するため沖縄県を訪れていた天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、2日間の日程を終え、さきほど那覇空港に到着されました。
首里城での視察を終え那覇空港に向かう天皇皇后両陛下と愛子さまの車列の映像では、首里城の周辺や那覇市内にはご一家を見送ろうと大勢の市民らが集まり、両陛下と愛子さまは車の窓を開け歓声に手を振って応えられています。
天皇皇后両陛下と初めての沖縄訪問となった愛子さまは、2日間の訪問の全ての日程を終え、午後5時ごろ、那覇空港に到着されました。
今回の訪問は戦後80年の節目にあたり、両陛下と愛子さまに対する沖縄県からの願い出を受けたものでした。
ご一家は、ご静養の際や美術展・コンサートなどに行く際は1台の車に3人で乗って移動しますが、今回の沖縄訪問は慰霊という場であることも踏まえ、両陛下は天皇旗をつけた御料車、愛子さまはその後ろのお召車と2台に分かれて移動されました。
4日は糸満市の「国立沖縄戦没者墓苑」で供花し、沖縄戦などの犠牲者の名を刻んだ「平和の礎」を訪問されました。また、戦争体験者や遺族のほか、戦争の記憶を語り継ぐ若い世代の語り部とも懇談されました。
5日午前中は、太平洋戦争中、アメリカ軍の魚雷攻撃で沈没し多くの子どもの命が奪われた学童疎開船「対馬丸」の犠牲者の慰霊碑「小桜の塔」に花を供えられました。
「対馬丸記念館」では犠牲者の遺影や遺品をみた後、生存者や遺族、語り部らと懇談されました。
側近によりますと、両陛下は激しい地上戦で数多くの方が亡くなりアメリカから返還されて以降も苦難の道を歩んできた沖縄県民について、常に心を寄せてこられたということです。
また、戦後80年の今こそ若い世代も含め先の大戦への理解が深まっていくことを願い、若い世代に沖縄の人々の苦労や努力の歴史を語り継ぐことなどを大切に思われているということです。
両陛下は4日、初日を終えて「初めて3人そろって沖縄県を訪れることができ、うれしく思います」「初めて訪れた愛子も、苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史を深く心に刻んでいました」「平和の尊さを心に刻み、平和への願いを新たにしていきたいと思います」という感想を公表されています。
2日間、沖縄の地で戦争の記憶と向き合われた両陛下と愛子さま。このあと那覇空港から特別機で帰京の途につかれます。
2025年6月5日 日テレNEWS
2日目地元ニュース
琉球放送
2日間の日程で沖縄を訪れている天皇皇后両陛下と愛子さま。5日は、対馬丸記念館や復元が進む首里城を視察されました。
5日朝、天皇ご一家は疎開船・対馬丸の犠牲者を弔う小桜の塔を訪問され花を供えるとともに、深く拝礼されました。
対馬丸記念館では、当時の犠牲者の写真や手記などの展示を見られたほか、生存者や遺族から話を聴かれました。
▼高良政勝さん(85)対馬丸の生存者 両親と7人の兄弟を一度に亡くす
「こんなちっちゃい記念館によくも、二代の皇族の方がおいでくださったなと。そしてまた三代目もご一緒されたのでね、非常に光栄に思いました」
午後になると、陛下は青い半袖のかりゆしウェアを、皇后さまと愛子さまは、かりゆしウェアのワンピースをお召しになって、首里城公園を訪問。沖縄国際海洋博覧会から50年を記念した展示では、アクアポリスの模型や当時の写真をご覧になりました。
▼沖縄県土木建築部 砂川勇二 部長
「『アクアポリスはなぜ半浮遊式なんですか?』という話をされて、興味を持たれていました」
▼高良倉吉 琉大名誉教授
「海洋博のことにすごく関心を持っておられて、そのことも心に深く刻まれたんだと思います」
その後、復元が進められている首里城正殿を視察され、職人に平成の復元工事との違いなどについて質問されました。
▼山本信幸 さん(総棟梁)
「平成でできなかった人材の育成というところで、若手を中心に工事をやりましたと。その成果は、彼女含めてありましたと伝えました」
▼後藤亜和 さん(若手職人)
「愛子さまが、私と目を合わせて話してこられて、すごく話しやすかったですし、安心できる方だなと思いました」
愛子さまにとっては初めての沖縄訪問となりましたが、沖縄戦の展示を熱心に御覧になるなど、戦没者と向き合い、沖縄の歴史と文化に理解を深められる2日間となりました。
2025年6月5日 琉球放送 RBC NEWS
沖縄ニュースOTV
戦後80年の節目に当たり沖縄を訪問している天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは5日学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を祀った小桜の塔を訪れ花を手向けられました。
天皇皇后両陛下と愛子さまは5日午前、学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を祀った小桜の塔を訪ねられました。
対馬丸は沖縄戦の前の年1944年8月に、九州に向かう途中アメリカ軍の潜水艦の攻撃で沈められ児童を含むおよそ1500人が犠牲になりました。
両陛下と愛子さまは白い花束を手向け深く拝礼されました。
このあと対馬丸記念館では犠牲になった幼い子どもたちの遺影やランドセル、筆箱などの遺品をご覧になりました。
撃沈された状況について説明を受けた陛下は「疎開船だという情報は」と確認し、「悲しいことですね」と述べられました。
このあと対馬丸の生存者や遺族らと懇談し「お体に気を付けて」と言葉をかけられていました。
遺族として語り部を続ける 嶋田玲子さん:
沖縄のことを本当に大切に思ってくださっていると感じました
対馬丸の生存者 高良政勝さん(85):
今回のご訪問。もちろん天皇皇后の訪問も非常にありがたいが、特に愛子さまがおいでになられことは非常に大きなことだと思います
対馬丸記念館には11年前、上皇さまと上皇后さまも訪問されていて、高良さんは皇室の方が関心をもち3代に渡って記念館を訪ねられたことは光栄ですと話していました。
2025年6月5日 沖縄ニュースOTV
QAB 琉球朝日放送


2025年6月4日から沖縄を訪問されている天皇皇后両陛下と長女・愛子さまは6月5日、対馬丸事件の犠牲者を追悼する小桜の塔や記念館のほか、首里城公園を訪れました。
ご一家は2025年6月5日午前、81年前、アメリカ軍の潜水艦に撃沈され、1484人が犠牲になった疎開船「対馬丸」の犠牲者を追悼する小桜の塔を訪れ供花されました。
このあとの対馬丸記念館では、平良次子館長が館内を案内し、船が沈められた後に漂流した状況や事件でかん口令がしかれ生存者の苦悩があったことなどを説明しました。
犠牲者の遺影が並んでいる展示では遺影が犠牲者の4分の1しか残っていないと説明を受けた愛子さまから「肖像画も集めてみてはどうでしょうか」とご発言があったということです。
対馬丸記念館では生存者の髙良政勝さんや遺族などと言葉を交わされています。
生存者・髙良政勝さんは「皇室が関心を持ってくださっていることは、記念館にとってありがたいこと」と話しました。対馬丸記念館・平良次子館長は「短い時間で、短い言葉しか交わしていないが。(資料館で)やろうとしていることや、亡くなった人、体験者のつなぎになっているということは感じていただけたと思う」と述べました。
6月5日午後には、それぞれ紺と黒のかりゆしウェア姿で首里城公園をご訪問されたご一家。
開催から50年の節目を迎えた国際海洋博覧会の企画展を視察されたあと、2025年秋の完成を目指す正殿の工事区域では正殿を覆う素屋根に併設された見学エリアからガラス越しに建設途中の建物をご覧になりました。
復元に携わる宮大工らに平成と令和の首里城の違いを質問されたり笑顔で声を掛けられる場面もありました。
宮大工の後藤亜和さんは、同世代の愛子さまについて「私と目を合わせて話してくださって話しやすかったしすごい安心できる方だなと思った」と話しました。
ご一家はこのあと、東京に戻られる予定です。
2025年6月5日 QAB 琉球朝日放送
八重山日報
戦後80年の節目に合わせ、天皇・皇后両陛下と長女愛子さまが4、5の両日、沖縄を訪問された。
天皇・皇后両陛下の訪問を「行幸啓」という。天皇陛下の沖縄訪問は皇太子時代を含め7回目、天皇・皇后両陛下での沖縄訪問は2回目、愛子さまの沖縄訪問は初めてとなる。
今回は「ありったけの地獄を集めた」とも形容される熾烈な沖縄戦で犠牲になった人たちを慰霊する旅だ。
それは沖縄戦の悲劇を国家として永久に記憶に刻むという意思表示にほかならない。皇室が沖縄に寄り添い続ける決意の表れでもある。
先の大戦で膨大な犠牲を払った沖縄県民の中には、戦時の君主だった昭和天皇に対し複雑な思いを持つ人も少なくない。戦後、共産主義勢力の伸長を懸念した昭和天皇が米国に対し、日本の主権を残したまま沖縄を長期租借するよう提案した「天皇メッセージ」が明らかになり、県民に波紋を呼び起こした。昭和天皇は沖縄訪問を熱望していたとされるが、病気のため生前、ついに沖縄の地を踏むことはなかった。
昭和天皇の無念を晴らすように、上皇陛下は沖縄を11回訪問し、国境の島である与那国町や石垣市にも足を運んだ。
皇太子時代には訪問先で過激派に火炎瓶を投げつけられる事件も起きたが、訪問回数が重なるうち、上皇陛下の強い思いと、時代の変化や世代交代があいまって、平成の時代には県民の皇室に対する感情は大きく好転した。
今回の天皇ご一家の沖縄訪問では、沿道に日の丸の小旗を持った大勢の人たちが集まり、移動するご一家の車に手を振った。那覇市で開かれた提灯奉迎のイベントには主催者発表で約5000人が参加。県警によると、5日の奉迎者数は1万3000人に達した。
一般の県民レベルでも、皇室に対する敬愛の情が高まっていることをうかがわせる。
国立沖縄戦没者墓苑などでは、沖縄戦遺族や語り部たちの話に熱心な表情で耳を傾けるご一家の姿が印象的だった。
令和の今、沖縄にとって天皇の存在が、沖縄戦の記憶というトラウマの「癒やし」となる時代に入ったことを強く感じさせる。
沖縄では、かつての上皇ご夫妻に続き、天皇ご一家も対馬丸事件の慰霊碑や記念館を訪問された。上皇陛下は、自らと同世代の学童約1500人が犠牲になった対馬丸事件に強い関心を寄せられたことで知られる。天皇ご一家も上皇の思いを受け継がれている。
天皇陛下の強い意向で、愛子さまが同行されたことも意義深い。皇室が世代を超え、沖縄戦の記憶を継承していくことは、沖縄の平和を守り続けるという決意を全国民が共有することでもある。
2025年6月6日 八重山日報
2日目まとめニュース
戦後80年、本土復帰53年にあたり、4日から2日間の日程で沖縄を訪問されている天皇ご一家。
2日目の5日、皇后さまは白いスーツに帽子、愛子さまは紺色のスーツに帽子という装い。
午前10時半ごろ、ご一家はアメリカ軍の潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の犠牲者などを悼む慰霊碑「小桜の塔」を訪問されました。
戦争が激しくなった1944年、本土へ疎開する子供たちを乗せ沖縄から長崎に向かう途中だった「対馬丸」をアメリカ軍が撃沈。
児童780人余りを含む約1500人が犠牲になりました。
両陛下と愛子さまは、塔に向かってゆっくりと進み、ユリやトルコキキョウなどの白い花束を手向け、深く拝礼されました。
このあと、ご一家は対馬丸記念館へ。
沿道では多くの人がご一家を歓迎しました。
その一方、5日もデモが行われました。
警備中の男性警察官の顔面を殴ったとして、男が現行犯逮捕されました。
幼い子供たちの遺影が天井近くまで続く対馬丸記念館。
ご一家は、ランドセルや筆箱などの貴重な遺品を見つめ、じっと説明に耳を傾けられました。
このあと、父親に命懸けで救助され生還した高良政勝元館長に歩み寄り、助けられた当時の状況について話を聞かれました。
両陛下は3年前の沖縄訪問の際、高良さんから記念館への招待を受けられていました。
陛下は「前にお会いしたとき、ぜひこちらにと」と話され、皇后さまも「愛子も連れてくることができて」と話されました。
また、高良さんから「初めてですかね?沖縄は」と問われた愛子さまは「はい、初めて来させていただきました」と答えられました。
さらに、愛子さまは「きょうはちょっと暑い、お暑いくらいですね」と話され、高良さんが「そうそうそうですね、きょうはマシです」と答えると、愛子さまは「沖縄らしい気候を味わわせていただいて」と話されました。
父親に命がけで救助され生還した対馬丸記念館・高良政勝元館長:
この小さい記念館によくも2代の皇族がおいでくださった。3代目もご一緒されたので非常に光栄に思いました。
そして、ご一家は那覇市内にある首里城公園へ。
沖縄伝統のかりゆしに装いを改め、出迎えた沖縄県の土木建築部長らとあいさつを交わされました。
2025年6月5日 FNNプライムオンライン
天皇皇后両陛下と愛子さま沖縄訪問まとめ


青い海に面した丘の一角に、黒い御影石の石碑が整然と並ぶ。「ありったけの地獄を集めた」とも言われる戦闘が繰り広げられた沖縄戦で、犠牲になった戦没者24万人超もの名前が刻まれているこの「平和の礎」。
6月4日、天皇陛下と雅子さまと一緒にご覧になりながら、愛子さまが、
「毎年、読み上げを行っているのですよね」
と説明役にお尋ねになった。そのご様子を、両陛下は頼もしく見つめられていた。
6月4日と翌5日の1泊2日で、沖縄県を訪問された天皇ご一家。戦後80年となる今年、戦没者慰霊と、戦争の記憶を継承する旅の一環として、激戦地となった沖縄本島南部を巡られた。
「4日には、『平和の礎』や沖縄平和祈念堂、国立沖縄戦没者墓苑、沖縄県平和祈念資料館などがある平和祈念公園をご訪問。5日には米軍の攻撃で1500人近くが犠牲になった学童疎開船『対馬丸』の慰霊碑へのご供花、記念館へ訪問されました」(皇室担当記者)
愛子さまには初めての同県ご訪問となったが、ここに両陛下の強いご決意が表れていると、宮内庁関係者は言う。
「沖縄に深い思いを寄せてきた上皇ご夫妻は皇太子時代を含め、沖縄県を11回も訪問されています。しかし戦後、天皇皇后両陛下とお子さまがそろって公式な慰霊行事に臨んだ前例はありません。
秋篠宮ご夫妻が幼い悠仁さまを伴い私的に沖縄を訪問されたことがあります。しかし、成年皇族としてご活動の幅を広げる段階に入り、かつ歴史的な経緯を十分に学ばれた愛子さまが同行されたことに、重大な意義があるのです」
天皇陛下は今年2月のお誕生日に際した記者会見で、
「戦争の記憶が薄れようとしている今日、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や歴史が伝えられていくことが大切であると考えております」
と語られている。
2日間で、このおことばで示されたお気持ちが表れていた場面があった。それは、天皇ご一家が足を運ばれた平和祈念資料館で、戦争体験者や戦没者の遺族、そして若き語り部たちと懇談されたときのことだ。
石垣島を中心に語り部の活動を行う綿貫円さん(36)は、
「愛子さまから、『語り部をしていてどんな新しい気づきや発見がありますか』とお声がけがありました。“資料だけではなく、戦争体験者と対話し、皆さんがどのように語っているかを学び取ることに気づきがある”というようなことをお伝えしました。お三方とも事前にさまざまなことを調べていらしたことは、形式的ではない対話やご表情から伝わってきました」
語り部としての活動のほか、県内外の学生に対する平和学習にも携わる狩俣日姫さん(27)も、次のように振り返る。
「お三方が遺族会の方たちと懇談された際、両陛下と愛子さまが『ちゃんと次の世代、若い世代が育っているんですね』と私たち語り部のほうをご覧になりおっしゃっていました。沖縄戦の体験者、遺族、語り部の話を聞く時間を大切にされていると感じました」
そして平和学習講師として活動する仲本和さん(25)は、天皇陛下のあるご様子が印象的だったという。
「時折、天皇陛下が相槌を打ちながら、愛子さまを気にかけるように視線を向けられる場面があったのです。戦没者の慰霊だけではなく、両陛下と愛子さまが親子三人で、“沖縄の歴史をさらに深く学ばなければ”というお気持ちもあったように感じました」
■皇室に向けられる県民の複雑な思い
天皇陛下と雅子さまが、愛子さまに学んでもらい、感じてほしかったのは、皇室の歴史が抱く“闇”の部分でもあったのだろう。
皇太子時代の上皇さまが1975年に名誉総裁を務めた沖縄国際海洋博覧会では、上皇ご夫妻に対して過激派が火炎瓶を投げつける「ひめゆりの塔事件」が起きた。今回の天皇ご一家の訪問に対しても、反対する抗議グループが警察官ともみ合いになり、1人が公務執行妨害で逮捕される事案も起きている。
昭和天皇の名において始まった太平洋戦争。沖縄戦では多数の民間人が巻き込まれ、県民4人に1人が犠牲となっただけに、皇室に否定的な思いを抱く人も少なくなかった。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう話す。
「戦時中の犠牲だけではなく、戦後も長く米国の施政権下に置かれ、現在も米軍基地が置かれる沖縄は、いまでも“戦争の負の遺産”に苦しめられています。
こうした歴史があるからこそ、沖縄の人々へお心を寄せることに、戦後の天皇家は力を尽くされてきたのです。上皇ご夫妻、両陛下が重ねた取り組みは、皇室に対して複雑な感情を抱く人々に、少しずつ戦後の天皇家の平和への思いを伝えてきたように思います。
そうした戦後の天皇家の重要な責務を、次世代を担う愛子さまに継承していただくことは、皇室への敬意と崇敬の念を、末永く国内外に示していくためには非常に重要なことだと言えるでしょう」
昭和、平成、令和の皇室が向き合ってきた“光と闇”を沖縄で体感された愛子さま。両陛下から受け継がれた“魂”の後継者として、これからも愛子さまは、平和な光に包まれた世界の実現を希求されていく――。
「女性自身」2025年6月24日号
ではまた



また、よろしくお願いいたします。
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<おまけ>
深い理由はないですが、たまたま拾い動画しましたので、貼っときます。