
こんにちは、ラベンダーです。
本日19日、天皇皇后両陛下が広島訪問されます。
広島では原爆死没者を悼み、被爆者と懇談する。
両陛下は4月に硫黄島、6月初旬に沖縄と、太平洋戦争末期の激戦地となって、民間人を含め多数の犠牲者が出た地を訪問。
今回の広島に続き、9月には長崎を訪問する見通しで、慰霊と記憶継承の旅が続きます。
広島訪問は即位後初めて。
両陛下、広島訪問の概要


天皇皇后両陛下は、19日から2日間の日程で、即位後初めて被爆地・広島を訪問し、戦後80年にあたって戦没者を慰霊されます。
日本人だけでおよそ310万人が亡くなった先の大戦で、広島では終戦直前の昭和20年8月6日に原子爆弾が投下され、その年のうちにおよそ14万人が死亡したと推計されています。
両陛下が被爆地を訪問するのは天皇陛下の即位後初めてで、昼前に特別機で広島空港に到着して、午後、広島市の平和公園を訪ね、原爆慰霊碑に花を供えて犠牲者の霊を慰められます。
そのあと、公園内に3年前に新たに設けられた被爆遺構の展示施設を視察し、さらに原爆資料館で、去年ノーベル平和賞を受賞した日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会に関する展示などをご覧になります。
今回は、戦後80年にあたって、先の大戦の象徴的な地域を巡られる中での訪問で、戦争を知らない世代への継承が大切だという両陛下の思いを踏まえて、原爆資料館では、被爆者だけでなく、高齢になった本人に代わって被爆体験を伝える活動をしている「伝承者」との懇談も予定されています。
両陛下と懇談予定 93歳の被爆者は
両陛下と懇談する予定の被爆者の1人、広島市の才木幹夫さん(93)は、旧制広島第一中学校2年生の時、爆心地から2.2キロの自宅で被爆しました。
学校は爆心地からおよそ800メートルの場所にあり、生徒353人と教職員16人が犠牲になりました。
才木さんは、多くの生徒が亡くなる中、生き残ったことに後ろめたさを感じ、長年、原爆について語ることはほとんどありませんでしたが、ロシアによるウクライナ侵攻などを受けて、平和を訴える重要さを感じ、2024年から広島市の「被爆体験証言者」として若い世代に核兵器の悲惨さを伝えています。
才木さんは、両陛下の広島訪問について「慰霊のために被爆地に来られることに感謝しています。両陛下には原爆慰霊碑に手を合わせていただき、原爆資料館では遺品やここにしかない資料を見て実感していただきたい」と話しています。
そのうえで「数が少なくなってきた被爆者として、どのようにお話をするかはまだ分かりませんが、原爆というものが瞬間的な怖さがあるのに加え、放射線の人体への影響がのちのちまで残るという恐ろしさや、被爆者の苦しみについてお伝えしたいです」と話していました。
平成8年に案内 被爆者の原爆資料館元館長は
両陛下の広島訪問について、原爆資料館の元館長の原田浩さん(85)は「被爆者の思いを踏まえた上で、メッセージを発信していただきたい」と期待を寄せています。
被爆者の原田浩さんは、平成5年に館長に就任し、3年後の平成8年に当時皇太子夫妻だった両陛下が広島を訪問された際に原爆資料館を案内しました。
両陛下が即位後初めて被爆地を訪問し被爆者と懇談されることについて、原田さんは「被爆した際の状況は被爆者によって違うので、一人ひとりの声を聞いていただくことで、悲惨な体験がどのようなものだったのかを、点ではなく面として捉えていただけるのではないかと思います。被爆者の気持ちを共有していただくことは極めて大きな意味があると思うので、私たち被爆者の思いを踏まえた上で、一人ひとりが平和を願うことにつながるようなメッセージを発信していただきたい」と話しました。
そのうえで、上皇ご夫妻が天皇皇后として戦後50年の「慰霊の旅」で広島を訪問された際も、原爆資料館の館長として案内したことを振り返り「被爆者である私から被爆体験を聞き取ろうとされるお気持ちが伝わってきました」と語りました。
さらに、両陛下の長女の愛子さまが中学3年の際に修学旅行で広島を訪れて卒業文集の作文に平和への願いを書かれたことに触れ「広島訪問を通して伝えていくべきことをまとめられたと感じられ、感動しました。まさに親子3代で広島の思いを受け止めて共有してくださっていると感じています」と話していました。
2025年6月19日 NHK
両陛下が広島へ向け出発
天皇皇后両陛下は19日午前9時すぎ、皇居を出発し、羽田空港に向かわれました。
両陛下は羽田空港から特別機で広島県三原市の広島空港に向かわれます。
19日と20日の2日間、戦後80年の節目にあたり、広島市を訪れ、原爆で犠牲になった人々の慰霊などを行われます。
広島では、終戦直前の1945年8月6日に原子爆弾が投下され、その年のうちにおよそ14万人が死亡したと推計されています。
広島市の原爆死没者名簿128冊には、去年8月6日時点で34万4306人の名前が記帳されています。
両陛下は広島県入りしたあと、19日午後には爆心地の近くに位置する広島市の広島平和記念公園を訪れ、原爆犠牲者の慰霊碑「広島平和都市記念碑」で供花されます。
また原爆の痕跡が残る住居跡などが展示されている「被爆遺構展示館」を初めて訪問されます。
さらに広島平和記念資料館で、展示を見たあと、90代の被爆者や、高齢となった被爆者の体験や平和への思いを伝える活動をする20代30代の伝承者と懇談される予定です。
20日午前は、2014年8月の豪雨による災害で大きな被害が出た広島市安佐南区八木を訪問されます。23人が亡くなり50棟の住宅が被災した地区に災害後、整備された「小原山砂防堰堤」を視察されます。
広島市では、2014年8月の豪雨で災害関連死を含め77人が死亡、2018年7月の豪雨では23人が死亡しています。
両陛下は豪雨災害の記憶を教訓として次世代に継承する「広島市豪雨災害伝承館」を訪れ、当時の被災内容などについて説明を受けるほか、被災し家族を亡くした遺族らと懇談されます。
また午後は広島市の原爆養護ホーム「矢野おりづる園」を訪れ、入居している80代90代の被爆者と懇談される予定です。
天皇陛下は今年2月の誕生日会見で、「私と雅子は、これまで広島、長崎、沖縄などを訪れ、多くの方々の苦難を心に刻んできています。今年、戦後80年という節目を迎え、各地で亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に、改めて心を寄せていきたいと思っております」と思いを語られていました。
天皇陛下が広島の原爆死没者慰霊碑を訪問されるのは2006年以来19年ぶりで、即位後は初めてです。
2025年6月19日 日テレNEWS
天皇皇后両陛下が広島空港に到着
天皇皇后両陛下は戦後80年の節目にあたり、原爆犠牲者の慰霊のため、19日から被爆地・広島を訪問されます。天皇皇后両陛下は19日午前10時前、羽田空港から特別機で出発されました。
午後、広島市の平和記念公園を訪れ、原爆犠牲者の慰霊碑「広島平和都市記念碑」で供花し、その後、被爆者や若い世代の「伝承者」らと懇談される予定です。20日は、市内の原爆養護ホームで、入所する被爆者と懇談されます。
また2014年の豪雨土砂災害により、安佐南区の住民23人が亡くなった地区を訪れ被災者と懇談される予定です。
両陛下は、午前11時すぎに広島空港に到着されました。両陛下が平和記念公園を訪問されるのは即位後初めてです。
(2025年6月19日放送「ストレイトニュース」より)
広島訪問1日目
天皇皇后両陛下が広島の原爆慰霊碑で供花
天皇皇后両陛下は、戦後80年の節目にあたり、原爆犠牲者の慰霊のため、19日から被爆地・広島を訪問されています。両陛下は19日午後、平和記念公園で原爆犠牲者の慰霊碑に供花されました。
天皇皇后両陛下は、19日午後3時前、広島市の平和記念公園にある原爆犠牲者の慰霊碑「広島平和都市記念碑」を訪問されました。
この記念碑は、原爆が投下された爆心地の近くに位置します。
広島では、終戦直前の1945年8月6日に原子爆弾が投下され、その年のうちにおよそ14万人が死亡したと推計されています。
慰霊碑の中には34万4306人の名前が記帳された原爆死没者名簿128冊が奉納されています。
広島市の松井市長が先導し、両陛下が慰霊碑に進まれます。
両陛下は、白いテッポウユリ、トルコギキョウ、デンファレの花を供えられます。
両陛下は慰霊碑に向かい深々と頭を下げられました。
陛下は幼い頃から上皇ご夫妻のもとで原爆の被害や戦争の悲惨さについて聞き、記憶しなければならない「4つの日」の一つとして、8月6日の広島原爆の日には黙とうをされてきました。
陛下が初めて原爆慰霊碑を訪問されたのは、1981年、21歳の時でした。
大学の卒業論文の資料収集のために岡山県などを訪ねた際広島に立ち寄り、原爆慰霊碑で初めて慰霊されました。
それ以来、陛下はこれまでに7回、皇后さまは過去4回、平和記念公園を訪れていて、今回で陛下は2006年以来8回目、両陛下では2000年以来5回目の原爆犠牲者の慰霊となります。
慰霊碑の前では地元の小学生や広島県議会議員などが両陛下を出迎えました。
側近によりますと、両陛下は先の大戦で広島で原爆投下などにより多くの尊い命が失われたことを大変痛ましく思われているということです。
さらに、戦後80年の節目にあたる広島訪問で、被爆者や苦難の道を歩まれた方々に心を寄せていきたいと思われているということです。
また、長女・愛子さまにも両陛下の平和への思いは受け継がれ、中学3年生の修学旅行で広島を訪れた経験をもとに「世界の平和を願って」と題した作文を中学の卒業記念文集に綴られました。
19日はこのあと、3年前に開館し、原爆の痕跡が残る住居跡などが展示されている「被爆遺構展示館」を初めて視察されます。
さらに広島平和記念資料館で展示を視察したあと、90代の被爆者や、高齢となった被爆者の体験や平和への思いを伝える活動をする20代30代の「伝承者」と懇談される予定です。
20日は、広島市の原爆養護ホーム「矢野おりづる園」を訪れ、入居している80代90代の被爆者と懇談される予定です。
2025年6月19日 日テレNEWS
天皇皇后両陛下、原爆資料館の中を視察
広島市を訪れている天皇皇后両陛下は、午後3時11分に原爆資料館に入られました。
石田館長が日本被団協のノーベル平和賞展示の前で、日本被団協のこれまでの歩みや、田中熙巳代表委員が授賞式でどのようなスピーチをしたかなどを説明すると、両陛下は頷きながらお聞きになり、「強い思いがあるんですね」と述べられました。
また、被爆前後の町並みをCGで再現した「ホワイトパノラマ」の前では、真剣な表情で見つめながら石田館長に質問をされていました。
2025年6月19日 広テレ!NEWS


天皇皇后両陛下は19日午後2時45分頃、原爆資料館に到着されました。両陛下の即位後、初めての被爆地訪問です。平和公園前から中継です。
【衣笠アナ】
平和公園の前からお伝えします。現在天皇皇后両陛下は原爆資料館の中を視察されています。きょうは午後2時45分ごろ、平和公園に到着された両陛下。慰霊碑に花を供えられた後、被爆前かつてここに街があった痕跡を示す被爆遺構展示館を視察されました。
この場所に被爆前に民家などがあり、営みがあったことを説明され、何度もうなずきながら遺構を眺められていました。遺構の管理について皇后さまから、温度や湿度はとご質問があり、陛下から「痛ましいことですね」というお言葉もあったということです。
そして今から30分ほど前に原爆資料館の中へと入られました。資料館では、東館ロビーで、去年ノーベル平和賞を受賞した日本被団協、日本原水爆被害者団体協議会に関する展示をご覧になりました。
被爆者のこれまでの活動がパネルで紹介され、核兵器廃絶を訴え、声を上げ続けてきた被爆者の歩みが展示され、ノーベル平和賞のメダル、そして賞状のレプリカなども並んでいます。
原爆資料館の石田館長の説明を受けられた陛下は、「強い思いを」と一言述べられ、大きく頷かれていました。
現在は被爆の実相を示す様々な展示を視察されているところです。
この後視察の後には、被爆者や若い世代の伝承者と懇談をされる予定となっています。
テレビ新広島
2025年6月19日 FNNプライムオンライン
被爆遺構展示館を視察
天皇皇后両陛下が訪れた「被爆遺構展示館」とは
広島を訪れた天皇皇后両陛下がご覧になったのが、現在の平和公園に原爆が落とされる前の住居や道路跡などを展示した「被爆遺構展示館」です。
かつて、この町に暮らしていた男性に、両陛下訪問への思いを聞きました.
2025年6月19日 広テレ!NEWS
両陛下、被爆者と懇談
被爆80年の節目に広島を訪問された両陛下。懇談した被爆者らの声が入ってきました。
2025年6月19日 広テレ!NEWS


広島を訪問中の天皇皇后両陛下は被爆者とも懇談されました。懇談した被爆者は全員が90代。その中に、去年から体験を語り始めた93歳の被爆者がいます。両陛下に何を語ったのでしょうか。
両陛下との懇談は、原爆資料館で行われました。
出席したのは3人の「被爆者」と、被爆者に代わって体験を語り継ぐ「伝承者」のあわせて5人。被爆者は3人とも90代です。
その中の1人、93歳の才木幹夫さんは去年、初めて自らの体験を語り始めました。
◇ ◇ ◇
被爆者 才木幹夫さん
「この交差点のど真ん中がちょうど我が家だったんです」
原爆が投下されたとき、才木さんは13歳。「一中」と呼ばれた広島第一中学校の2年生でした。
あの日、一中では、爆心地付近で建物疎開の作業をしていた生徒や教職員、369人が亡くなりました。
自らも作業に行くはずでしたが、才木さんのクラスは急きょ休みになったため、爆心地から2・2キロ離れた自宅にいて、無事でした。
被爆者 才木幹夫さん
「もう紙一重ですよね。何かそういう生き延びるということに“後ろめたさ”を感じるんですよね。本当は原爆を忘れたかったです。触れたくなかったです」
生き残った「罪悪感」から避けてきた原爆。しかし世界で争いが続く中、「被爆者が伝えなければ」との思いも高まり、去年92歳で証言活動を始めました。
◇ ◇ ◇
才木さんが自らの被爆体験を語ると、目をしっかり見つめてうずきながら聞かれた両陛下。才木さんは時間の限り、静かに平和への願いを訴えていました。
〜懇談終了後に才木幹夫さん〜
「(やけどした)父の被爆の状態を陛下から聞かれた。時間オーバーして資料館をご覧になり、私たちにも親しく話もお聞き下さり、十分に被爆状況を感じてもらえたと思う」
2025年6月19日 RCC中国放送
「若者たちに、大切なことを伝えていただいてありがとうございます」
19日に広島入りされた両陛下は、被爆者とご懇談。両陛下は、いずれも90歳代の被爆者3人に対し、それぞれの経験を若者に語り継いできた活動に感謝を示された。両陛下は、腰をかがめ、被爆者に視線を合わせながら「本当に大変なご苦労をなさりましたね」と寄り添われた。
戦後80年の節目の今年、両陛下は、戦争の惨禍の記憶や教訓を次世代につなぐ重要性に言及している。お二方はこの日の懇談でも〝継承〟への強い思いを示された。
陛下は、被爆者の笠岡貞江さん(92)に「若い世代に一番伝えたい思いは何ですか」とお尋ねに。「平和の尊さを伝えたいです」との笠岡さんの答えに、深く頷かれていた。
また陛下は、笠岡さんの体験などを伝承し、語り継ぐ活動を進める大河原こころさん(35)に「伝承を進める上で大切にしていることや、心に残っていることはありますか」などとご質問。大河原さんが「被爆者が被爆の怒りを『許す』思いに触れたことです」と応えると、皇后さまは「本当に大切な思いを伝えて頂いていますね」とねぎらわれた。
戦争体験者が高齢となり次々と亡くなる中、戦争の「記憶」や「教訓」の風化は待ったなしで進む。広島ご訪問は、継承の願いを新たにするご慰霊になったようだ。
2025年6月19日 産経新聞
提灯で天皇皇后両陛下を歓迎
広島を訪問されている天皇皇后両陛下を、ちょうちんの灯りで歓迎する行事が開かれました。
両陛下のご宿泊先に近い広島市中区のひろしまゲートパーク。
お二人の訪問を歓迎する「提灯奉迎」には、およそ5000人が集まりました。
午後8時すぎ、両陛下が窓辺にお見えになり、ちょうちんを振られると、集まった人たちからは大きな歓声があがりました。
■女性
「すばらしいです。きょうこの場にいられることが本当に幸せです」
■子ども
「はっきり見えていたらいいと思います」
両陛下は20日、広島市豪雨災害伝承館などを訪問される予定です。
2025年6月19日 広テレ!NEWS
天皇、皇后両陛下が広島県を訪問された19日、滞在先の広島市では、「提灯奉迎(ちょうちんほうげい)」が催された。宿泊先のホテルに向かって大勢の人らが、「白ちょうちん」を掲げて左右に振ると、両陛下もあかりを落とした部屋からちょうちんを振ってこたえられた。
「白ちょうちん」はお盆に故人の霊を肉親の待つ故郷へ導くという。
ホテル近くの「ひろしまゲートパーク」(旧広島市民球場跡地)では、約5千人(主催者発表)がLEDの光で灯(とも)るちょうちんや日の丸の小旗を手にし、「天皇陛下万歳」を三唱した。
主催者によると、天皇陛下は宮内庁を通じ、「広島の街に浮かびあがる皆さんの提灯のあかりはとてもきれいでした。皆さんの万歳の声もよく聞こえ、うれしく思いました」とお言葉を贈られた。
2025年6月19日 産経新聞
天皇皇后両陛下 被爆者に対し「辛い体験や平和の尊さを語り継ぐことに深い敬意」
広島を訪問している天皇皇后両陛下は、被爆者が自身の経験や平和の尊さを語り継ぐことに「深い敬意を抱いている」と明かされました。
これは宮内庁が19日夜、広島市で記者会見をして発表したものです。両陛下は19日、原爆資料館で被爆者や、被爆体験を受け継ぐ伝承者と懇談されました。
両陛下は被爆者の苦労を偲ぶとともに「これまでの辛い体験や平和の尊さを自ら語り継いでおられることに、深い敬意を抱きました」と側近を通じて明かされました。そのうえで、「様々な方法で被爆体験や平和の大切さが伝えられていくことの意義を改めて感じます」と話されたということです。
●広島県湯崎英彦知事
「本当にわれわれ県民にとってうれしいことだったと思っております。県民の皆様も戦後80年という節目の年に平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればとの両陛下のこのたびのご来県に至ったお気持ちを非常に深く感じることができたのではないかと思っております」
2025年6月20日 RCC中国放送
天皇、皇后両陛下1日目ご感想全文
久しぶりに二人そろって広島県を訪れることができ、うれしく思います。
今日は午後に平和記念公園を訪れ、原爆ドームと平和の灯を望みながら、原爆死没者慰霊碑で花をお供えし、80年前の原爆投下により犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、これまでの広島の人々の苦難を思い、平和への思いを新たにしました。
この後、被爆遺構展示館と広島平和記念資料館を訪れました。一つ一つの展示品や写真から伝わってくる原爆被害の悲惨さに深く心が痛みました。また、被爆前後の広島の街や人々の様子などについて理解を深めるとともに、原爆被害の実相を肌で感じることができました。
広島平和記念資料館では、日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞を記念した展示も見ました。長年にわたって活動を続けてこられた方々のご苦労に思いを致しつつ、平和な世界を築くために人々がお互いの理解に努め、協力していくことの大切さを改めて感じました。
また、被爆された方々のお話をうかがい、皆さんが経験された苦難の一端に触れ、そのご苦労をしのぶとともに、皆さんが困難を乗り越え、これまでのつらい体験や、平和の尊さを自ら語り継いでおられることに深い敬意を抱きました。
さらに、被爆された方々の体験を伝承する活動をされている若い方々ともお話しし、戦争を知らない世代の皆さんが被爆された方々のご苦労を丁寧に語り継ごうとされていることを、意義深いことと思いました。
被爆遺構展示館や広島平和記念資料館の展示も含め、さまざまな方法で被爆体験や平和の大切さが伝えられていくことの意義を改めて感じます。
夕刻、湯崎広島県知事から平成26年8月豪雨災害や、平成30年7月豪雨災害からの復興状況についてお話をうかがい、それぞれの災害による被害の大きさや、これまでの復旧、復興に向けた広島県の取り組みについて理解を深めるとともに、被災地の復旧が完了したと聞き、うれしく思いました。
明日、平成26年8月豪雨災害の被災地を実際に訪れ、当時の災害の被害や、被災された方々の悲しみやご苦労に心を寄せたいと思います。
また、湯崎知事から広島県勢の概要と県が現在取り組んでいる諸施策についてもお話をうかがうことができました。
今日は暑い中、多くの県民の皆さんにあたたかく迎えていただいたことに感謝いたします。
1日目まとめ動画
0:00皇居・乾門
0:41 羽田空港
2:35 広島空港
4:52 広島・平和記念公園
5:42 広島平和都市記念碑
9:49 広島・被爆遺構展示館
13:31 広島平和記念資料館
19:26 被爆者や、被爆者の体験を伝える若い世代の「伝承者」と懇談
23:16 提灯奉迎
天皇皇后両陛下は、戦後80年の節目にあたり、原爆犠牲者の慰霊のため、19日から被爆地・広島を訪問されています。両陛下は19日午後、平和記念公園で原爆犠牲者の慰霊碑に供花されました。
天皇皇后両陛下は、19日午後3時前、広島市の平和記念公園にある原爆犠牲者の慰霊碑「広島平和都市記念碑」を訪問されました。
この記念碑は、原爆が投下された爆心地の近くに位置します。
広島では、終戦直前の1945年8月6日に原子爆弾が投下され、その年のうちにおよそ14万人が死亡したと推計されています。
慰霊碑の中には34万4306人の名前が記帳された原爆死没者名簿128冊が奉納されています。
広島市の松井市長が先導し、両陛下が慰霊碑に進まれます。
両陛下は、白いテッポウユリ、トルコギキョウ、デンファレの花を供えられます。
両陛下は慰霊碑に向かい深々と頭を下げられました。
陛下は幼い頃から上皇ご夫妻のもとで原爆の被害や戦争の悲惨さについて聞き、記憶しなければならない「4つの日」の一つとして、8月6日の広島原爆の日には黙とうをされてきました。
陛下が初めて原爆慰霊碑を訪問されたのは、1981年、21歳の時でした。
大学の卒業論文の資料収集のために岡山県などを訪ねた際広島に立ち寄り、原爆慰霊碑で初めて慰霊されました。
それ以来、陛下はこれまでに7回、皇后さまは過去4回、平和記念公園を訪れていて、今回で陛下は2006年以来8回目、両陛下では2000年以来5回目の原爆犠牲者の慰霊となります。
慰霊碑の前では地元の小学生や広島県議会議員などが両陛下を出迎えました。
側近によりますと、両陛下は先の大戦で広島で原爆投下などにより多くの尊い命が失われたことを大変痛ましく思われているということです。
さらに、戦後80年の節目にあたる広島訪問で、被爆者や苦難の道を歩まれた方々に心を寄せていきたいと思われているということです。
また、長女・愛子さまにも両陛下の平和への思いは受け継がれ、中学3年生の修学旅行で広島を訪れた経験をもとに「世界の平和を願って」と題した作文を中学の卒業記念文集に綴られました。
また、「被爆遺構展示館」で原爆の痕跡が残る住居跡などを視察したあと、「広島平和記念資料館」で90代の被爆者や、高齢の被爆者に代わって被爆体験や平和への思いを伝える若い世代の「伝承者」らと懇談し、一人一人の目を見ながら、じっくりと話に耳を傾けられました。
天皇皇后両陛下は19日午後8時すぎ、広島市内のホテルで地元の人々から提灯を使った歓迎を受けられました。
宿泊先のホテル近くに集まった人々が提灯を振ると、両陛下も部屋から提灯を振って応えられました。
2日目の20日は、2014年8月の豪雨土砂災害で多くの命が奪われた広島市安佐南区八木地区を訪れ、被災後に整備された「小原山砂防堰堤」を視察するほか、家族を亡くした被災者らと懇談されます。
さらに、広島市の原爆養護ホーム「矢野おりづる園」を訪れ、入居している80代、90代の被爆者と懇談される予定です。
2025年6月19日 日テレNEWS
広島訪問2日目
2014年に発生した広島土砂災害の被災地を訪問
広島土砂災害は2014年8月20日未明、広島市北部で線状降水帯が発生。複数の地点で土石流が起こり住宅を襲いました。災害関連死を含めて、77人が亡くなりました。
両陛下は20日午前、広島市安佐南区八木の小原山砂防堰堤を訪問。この地区では、23人が犠牲になりました。
両陛下は、土砂災害の被災状況や砂防設備の整備などが書かれたパネルの前で担当者から説明を受けました。その後、住宅があった方向へ向き、黙礼されました。
両陛下が視察する「伝承館」は、2023年9月に開館。災害の教訓を次世代に伝えようと、地元住民で作るグループの声から誕生しました。被災した住民が運営に関わっています。当時の状況や被災者の体験を伝えるほか、災害時には飲み物や食べ物が無料で提供される「防災自販機」や簡易トイレや消毒液も備蓄されています。
両陛下は、自身も被災した高岡正文館長の案内で館内を視察。高岡館長は、伝承館が作られた経緯や、災害の教訓を伝える取り組みについて説明しました。
視察後には、家族を亡くした澤本恭宏さん(54)と娘の陽奈さん(24)親子と懇談。澤本さんの母(当時77)が犠牲になりました。当時中学1年生だった陽奈さんは、災害の経験から、誰も同じ目に遭わないようにと大学で防災を学びました。2人は、防災の講演会などでも教訓を伝えていることなどを両陛下に伝えました。
2025年6月20日 RCC中国放送
天皇皇后両陛下は20日、「広島市豪雨災害伝承館」を訪問されました。
11年前、77人の命が失われた災害の記憶を伝承するこの施設には、被災者の思いが込められていました。
20日、天皇皇后両陛下が訪問された「広島市豪雨災害伝承館」。
両陛下は、高岡正文館長から当時の災害の様子を熱心に聞かれていました。
両陛下は、被災者や被災者遺族とも懇談されました。
その中には、災害復興に貢献した2人の姿もありました。
伝承館の副館長を務める畠堀秀春さんと松井憲さんです。
11年前、安佐北区と安佐南区を襲った豪雨。
この災害を機に広く知られるようになった「線状降水帯」がもたらした猛烈な雨は、未曾有の土砂災害を引き起こし、77人の尊い命を奪いました。
松井さんの自宅も被災しました。
番組は、4年前の松井さんを取材していました。
【松井憲さん】
「本当にバケツをひっくり返したような1時間に100ミリの雨でしたから」
自宅の前は想像を超える光景だったと言います。
【松井憲さん】
「言葉は出ないですね。今まで見ていた光景とは全く違う世界を見たので全然声が出なかった」
畠堀秀春さんも特に被害が大きかった地域で被災しました。
【畠堀秀春さん】
「これを見てください。ここに墓があって」
自宅は全壊こそ免れたものの、大きな被害を受け納屋も畑も失いました。
【畠堀秀春さん】
「泥だらけのこの和室の写真が目を覆いたくなるくらい。仏壇があって床の間があって。畳じゃないです。泥なんです。建て替えた方がいいくらい。家が1軒建つくらいお金がかかりました」
被災から2年、2人は行動を起こしました。
「被災地の経験を伝える」「被災者が前を向いていける」そんな場所を作りたい。
【畠堀秀春さん】
「みんなが集まることで何か地元からヒントが出てきたものを活動の一部に入れ込んでいく。みんなが主人公」
【松井憲さん】
「心の復興と伝承をしていくことで減災につながっていく」
畠堀さんの自宅のそばに人が集まる場所を作りました。
お好み焼きを作り、被災者も、そうでない人も気軽に集えるサロン「復興交流館モンドラゴン」です。
【畠堀秀春さん】
「地元の人が楽しめるような時間・空間を作る。それが復興への大きな心の芽生え」
「モンドラゴン」には、「復興と伝承」をテーマに被災当時の写真が展示されています。
被災地の復興と地域の交流の拠点として誕生して5年目。
時間の経過とともに、向かうべき先が見えてきました。
館長を務めた畠堀さんは、当時、こう話していました。
【モンドラゴン館長(当時)畠堀秀春さん】
「我々からやっぱり一歩足を前に出して何かをしていく事を取り組まないと、心は荒んでますから。どうするかという事を見つけ出すには自分たちで思いを前向きにしていかないと何もできない」
この頃、被災地に災害の記憶を伝承する施設の建設計画が持ち上がります。
【松井憲さん】
「経験したことを伝えていく場所はいっぱいあると思う。どういう災害が起きるのかを自分たちで勉強してリスクを回避できるようなそういう場所を作りたい」
防災を教育に取り入れる拠点を作り、復興への方向を示す、学びの場所を作る。
モンドラゴンで培われた思いは、新たに誕生する施設に引き継がれていきました。
【松井憲さん】
「この地区に生活している人だけのためではなくて、その災害から身を守る事を学んでもらいたい。色々な人にできれば世界中の人に教えられるだけの施設にしたい」
2023年、9月1日。
災害から、9年たった被災地に「広島市豪雨災害伝承館」は誕生しました。
全国から集まった多くの人たちが、ここで、防災や減災、災害からの復興の方法を学んでいます。
この日は、救急救命士など、将来、災害に関連する職業を目指す大学生たちが、研修に訪れました。
【大学生】
「見学の施設よりも研修の施設の方が大きいのが驚いた。このような体験をする事はほとんどないと思うのですごくいい体験ができました」
【大学生】
「実際に災害が起きた時に被害を最小限に抑えるために家族や友達に伝えていきたいと考えています」
開館から1年間で、伝承館には予想の7千人を上回る2万2千人が訪れました。
そして、その取り組みが評価され、去年、地域で発生した災害の状況や教訓を伝承する施設として、政府から「NIPPON防災資産」に認定されました。
【松井憲さん】
「2度とあのつらい思いを多くの人に経験してほしくない。そのためには自分たちが備えるしかない。そのスキルやテクニックをここで学んでほしい。天皇皇后両陛下が来られて全国に(施設が)知られるようになる。『じゃぁ行ってみようか』、そこで防災や減災をやらなければいけないと思ってもらう一歩だと」
2025年6月20日 TSSテレビ新広島
広島原爆養護ホームで高齢の被爆者と懇談
戦後80年にあたり広島県訪問中の天皇皇后両陛下は、20日午後、原爆養護ホームを訪問し、入居する被爆者と懇談されました。
天皇皇后両陛下は20日午後3時半前、広島原爆養護ホーム「矢野おりづる園」を訪問されました。
「矢野おりづる園」は、広島県内にある4つの原爆養護ホームのうち一番新しい施設として2007年に開園しました。施設は全室個室で、およそ100人の高齢の被爆者が入所していて、平均年齢およそ90歳で最高齢は103歳の女性だということです。
また、被爆者のための施設であることから、平和への取り組みとして修学旅行で訪れた学生らの訪問を受け入れ、平和学習の機会として入居者の被爆体験を伝える活動もしています。
両陛下は「矢野おりづる園」に入居する81歳から99歳までの被爆者10人と懇談されました。
高齢者が入居する施設のため、マスクを着用して懇談に臨まれています。
両陛下は、腰をかがめて相手の目を見て一人ひとりじっくり話に聞き入られています。
両陛下は19日、広島訪問の1日目を終え、「被爆された方々のお話を伺い、みなさんが経験された苦難の一端に触れ、そのご苦労をしのぶと共に、皆さんが困難を乗り越え、これまでのつらい体験や平和の尊さを自ら語りついでおられることに、深い敬意を抱きました」と感想を公表されています。
天皇陛下が、広島県の原爆養護ホームを訪問されるのは、2006年「神田山やすらぎ園」訪問以来、19年ぶりです。皇后さまは2000年に「舟入むつみ園」を訪問されて以来、25年ぶりとなります。
また、この「矢野おりづる園」には、戦後70年の前の年の2014年12月、上皇ご夫妻が、天皇皇后として訪れ入居者と懇談されています。
両陛下は、これで2日間の広島訪問の全ての日程を終え、このあと、広島空港から帰京の途につかれます。
2025年6月20日 日テレNEWS
すべての日程を終え広島空港を出発~帰京へ
戦後80年の節目にあたり、2日間、広島県を訪問されていた天皇皇后両陛下は、すべての日程を終え、先ほど広島空港を出発されました。
天皇皇后両陛下は20日午後5時45分ごろ、広島県三原市の広島空港に到着されました。両陛下は19日から2日間、戦後80年の節目にあたり、原爆犠牲者の慰霊などのため広島県を訪問されていました。
車を降りた両陛下は、見送る人々ににこやかに手を振られました。
午後6時20分ごろ、羽田空港に向かう特別機に乗り込む前に両陛下は、広島県の湯崎知事らの見送りを受けられました。
両陛下は、19日は広島市の平和記念公園で原爆慰霊碑に花を供え、広島平和記念資料館では、被爆者や高齢となった被爆者に代わって被爆体験などを伝える若い世代の「伝承者」と懇談されました。
2日目の20日は、2014年8月の豪雨土砂災害で被害の大きかった広島市安佐南区を訪れ、23人が犠牲になった地区で黙礼されました。
さらに、「広島市豪雨災害伝承館」では、被災体験を語り継ぎ防災・減災の知識を伝える活動などについて説明を受け、被災者や遺族らと懇談されました。
その後、広島市の原爆養護ホーム「矢野おりづる園」を訪れ、入居している80代、90代の被爆者と懇談されました。
両陛下は19日、訪問初日を終えて「原爆ドームと平和の灯を望みながら原爆死没者慰霊碑で花をお供えし、80年前の原爆投下により犠牲となられた方々に哀悼の意を表すると共に、これまでの広島の人々の苦難を思い、平和への思いを新たにしました」という感想を公表されています。
両陛下は、戦後80年の節目に被爆地・広島で、戦争の記憶と向き合った2日間の訪問を終え、20日夜、帰京されます。
2025年6月20日 日テレNEWS
まとめ動画
両陛下は6月19日から2日間戦後80年の節目にあたり戦没者を慰霊するため広島県を訪問されました。
6月19日は、34万4306人の名前が記された原爆死没者名簿128冊が奉納された原爆犠牲者の慰霊碑「広島平和都市記念碑」で花を供えられました。
また、原爆の痕跡が残る住居跡などが展示されている「被爆遺構展示館」を視察し、広島平和記念資料館では90代の被爆者や、高齢となった被爆者の体験や平和への思いを伝える活動をする2、30代の伝承者と懇談されました。
6月20日は2014年8月の豪雨災害で23人が亡くなった広島市安佐南区八木を訪れ、犠牲者を悼み2度黙礼されました。さらに、「広島市豪雨災害伝承館」を訪れ、当時の被災内容などについて説明を受け、豪雨災害で家族を亡くした被災者らと懇談されました
午後は広島市の原爆養護ホー「矢野おりづる園」を訪れ、入居している80代90代の被爆者と懇談されました。
側近によりますと、両陛下は先の大戦において、広島で原爆投下などにより多くの尊い命が失われたことを大変痛ましく思われているということです。
さらに、戦後80年の節目にあたる広島訪問で、被爆者や苦難の道を歩まれた方々に心を寄せていきたいと思われているということです。
その思いを胸に両陛下は戦後80年の節目に被爆地である広島県を訪れ、戦争の記憶と向き合われました。
陛下にとって19年ぶり、皇后さまにとって25年ぶりの広島訪問となりました。
2025年6月20日 日テレNEWS
<情報は随時、更新いたします>
最新更新 2025年6月20日16:55
ではまた



また、よろしくお願いいたします。
ご体調不良のなか速報をありがとうございます。
どうかご無理のありませんように。
今回の両陛下のご訪問により、原爆犠牲者の御霊が少しでも癒されますように。