両陛下モンゴルご訪問に際しての記者会見
天皇皇后両陛下は6日から天皇・皇后として初めてモンゴルを公式訪問されます。
そこで、
天皇陛下は2日、モンゴル公式訪問を前に皇居・宮殿で記者会見に臨まれました。
「両国の交流の歴史を踏まえ」天皇陛下モンゴルご訪問前に会見
天皇陛下は2日、皇后さまと6日から国賓としてモンゴルを訪問するのを前に、皇居・宮殿「石橋(しゃっきょう)の間」で記者会見に臨まれた。戦後80年を迎える今年、モンゴルを訪問するにあたり「両国の交流の歴史を踏まえながら、今回の訪問を契機として、両国間の友好親善関係がさらに深まること」を願われた。
陛下は日本人死亡者慰霊碑に供花することについて、平成19年の訪問を振り返りながら「心ならずも故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、そのご苦労に思いをいたしたい」とされた。
2025年7月2日 産経ニュース
会見の全文は、以下のとおりです。
目次
宮内記者会代表質問
- 天皇陛下として初めてモンゴルを訪問されるにあたり、抱負をお聞かせください。2007年のモンゴル訪問時の思い出なども交えつつ、同国の印象や今回の訪問で楽しみにされていることもご紹介ください。前回は訪問が叶いませんでしたが、今回初めて訪問される皇后さまとは、どのような話をされていますか。準備の状況やご体調と合わせて教えてください。
-
天皇陛下
この度、モンゴル国から御招待を頂き、雅子と共に訪問できることを大変うれしく思います。フレルスフ大統領御夫妻には、令和4年に皇居にお招きし、また、馬頭琴のコンサートにも御一緒して以来、度々御招待を頂いてきました。御招待いただいたモンゴル国政府に対して、心から御礼を申し上げます。
私にとりましては、平成19年以来2度目の訪問になりますが、前回の訪問では、モンゴルの国民の皆様に大変温かく迎えていただきました。同国最大の行事であるナーダムの開会式に出席し、当時のエンフバヤル大統領に御説明いただきながら、相撲、弓、競馬の競技などを大変楽しく見ることができました。また、モンゴルの雄大な自然や、人々の典型的な住まいであるゲル、馬や羊と共に暮らす人々の姿などが深く印象に残っています。
今回の訪問でも、フレルスフ大統領御夫妻と御一緒にナーダムの開会式に出席して競技を観ることや、モウコノウマが生息しているホスタイ国立公園を訪問し、モンゴルの雄大な自然を体感できることを楽しみにしております。それとともに、平成19年の時からモンゴルがどのように変わってきているかを見ることができればとも思っています。
このようなことを踏まえ、今回のモンゴル訪問において、私が特に関心を払っていきたいと思っている点についてお話ししていきたいと思います。
第一に、今回の訪問を通じて、我が国とモンゴルとの間に培われてきた交流の歴史に思いをはせたいと思います。我が国とモンゴルとの関係は、13世紀の2度にわたるいわゆる蒙古襲来に至る過程で始まりました。私は、大学3年生の時に日本中世史のゼミ旅行で九州を訪れた際に、蒙古、すなわち当時は元という国号でしたが、元の大軍の上陸に備えて築かれた防塁や、元の兵士を弔った塚などを見たことを記憶しております。また、一昨年、皇居三の丸尚蔵館で行われた展覧会で、鎌倉時代に作られ、蒙古襲来の様子を鮮明に描いた「蒙古襲来絵詞」を雅子、愛子と一緒に見る機会がありました。
元との関係は、このような絵巻物に見えるように襲来、合戦といったマイナスのイメージがありますが、その一方で、禅宗の僧侶が相互に行き来するなどの交流も当時、活発に行われていました。例えば、一山一寧という禅宗の高僧が、元の成宗テムルから国書を託され、1299年に来日しています。一山一寧は、鎌倉の建長寺や円覚寺に滞在し、弟子を育て、日本の禅文化に大きな影響を与えました。
貿易においても、2度の蒙古襲来の間の時期に当たる1278年に、元の世祖フビライが日本との貿易を許可しており、14世紀には貿易が盛んになったことが知られています。私が専門としている日本中世史を学んでいると、実はこの時代にも日本と元の間で人や物の様々な交流があったことが分かり、興味を惹かれます。
また、モンゴルの建国者のチンギス・ハンについて、日本でも、英雄として小説になったり、源義経との同一人物説が流布したりするなど、日本の人々も関心を寄せてきていますので、この機会に更に理解を深められればと思っています。今回御招待を頂き、友好親善の訪問ができることに、歴史研究の上でも縁のようなものを感じています。
そして現在は、日本とモンゴルの間で、人材育成、ものづくり、医療など、幅広い分野で交流が進んでいます。例えば、平成19年には、モンゴルから日本への留学生は1,100人ほどでしたが、約20年の間に4倍以上に増えていますし、豊昇龍関や霧島関などのモンゴル出身の相撲力士も日本で活躍しています。また、日本からモンゴルに派遣されている青年海外協力隊の活動も大きな役割を果たしていると聞いています。こうした人と人とのつながりを通じて、両国の協力関係が発展していることはうれしいことです。
このように長きにわたる両国の交流の歴史を踏まえながら、今回の訪問では、大統領御夫妻始め幅広い層のモンゴルの国民の皆さん、在留邦人や、日本とゆかりのあるモンゴルの方々などとお会いし、両国の交流の歴史や、現在の状況などについてお話を伺えればと思っております。
第二に、今回の訪問を契機として、我が国とモンゴルの特に若い世代の人々の交流がより一層活発になり、今後の両国間の橋渡しとなって友好親善関係が更に深まっていくことを期待しております。
今回の訪問先の一つに、モンゴルコーセン技術カレッジがありますが、ここは、日本発祥の高等専門学校(高専)が、日本以外の地で初めて設立されたものだと聞いております。また、日本式の教育を取り入れている新モンゴル学園や、日本の支援で設立されたウランバートル市第149番学校において、若い世代の学生さんたちや子どもさんたちと直接交流することを楽しみにしております。
雅子とは、以前に私がモンゴルを訪問した時の話をしたり、モンゴルについての専門家の方々の話を一緒に伺ったりしながら、訪問に向けた準備を進めています。雅子も、体調に気を配りながら、両国国民の交流の歴史を心にとどめ、今後の両国間の交流と友好親善関係が更に深まることを願いつつ、モンゴルの大自然や歴史、文化に直に触れ、モンゴルの方々と交流できることを楽しみにしています。
- 戦後80年にあたり、両陛下は国内では硫黄島、沖縄、広島などで戦没者を慰霊されました。モンゴルでは日本人抑留者の慰霊碑を訪問される予定ですが、どのようなお気持ちで慰霊に臨まれますか。先の大戦や平和に対する今のお考えもあわせてお聞かせください。
-
天皇陛下
先の大戦においては、世界の各国で多くの尊い人命が失われ、多くの人々が苦しく、悲しい思いをされたことを大変痛ましく思います。亡くなられた方々のことを忘れず、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。
シベリア抑留者として、モンゴルに移送された約14,000人のうち約2,000人が不幸にして亡くなられたと聞きます。その一方で、抑留された方々が、現在も使われているモンゴルの政府庁舎や国立オペラ・バレエ劇場などの建設に従事し、厳しい環境にありながらも自分たちの仕事に力を尽くしたことは、モンゴル国民からの尊敬を集めたと聞いています。実際に、前回モンゴルを訪問した際に、ウランバートル中心部のスフバートル広場近くにある国立オペラ・バレエ劇場の立派な佇まいが目をひいたのですが、この劇場が、司馬遼太郎氏の『モンゴル紀行』に書かれた劇場であり、先の大戦中に日本人の捕虜によって建てられたものであることを知り、極寒の地で建設に携わった人々の苦難に思いをはせたことを記憶しています。また、戦後にモンゴルに抑留されながら、モンゴルの子どもたちのために孤児院を運営していた春日行雄さんとお会いし、お話ししたこともよく覚えています。
今回の訪問では、そのような歴史に思いを巡らせつつ、日本人死亡者慰霊碑に供花をし、心ならずも故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、その御苦労に思いを致したいと思います。
- 大阪・関西万博が開幕し、皇室の方々は各国の賓客と交流される機会が増えています。陛下は皇室の国際親善の役割をどのようにお考えでしょうか。両陛下のモンゴル訪問に続き、11月には愛子さまにとって初めての外国公式訪問となるラオス訪問も検討されています。愛子さまの準備の状況、期待されていることをお聞かせ下さい。陛下の初の外国公式訪問を踏まえて、助言されていることもお聞かせください。
-
天皇陛下
皇室の国際親善の役割については、皇室が果たすべき役割の中で大事な柱の一つと考えており、私としても、訪日された賓客との交流や外国訪問に際しては、我が国と相手国との交流の歴史を踏まえ、今後の相手国との友好親善関係が更に深まるよう努めていきたいと考えております。大阪・関西万博の関係では、これまでも旧知の王室の方々や大統領などとお会いして旧交を温めることができましたし、また、初めてお会いした国家元首の方々などもおられ、お話を通じて、それぞれの国についての理解を深めることができてきていることを有り難く思います。
また、愛子のラオス訪問については、ラオス政府から本年11月に御招待いただいたことに対し、愛子はもちろん、私と雅子も大変有り難いことと思っております。訪問時期がまだ少し先ということもあり、準備については今後進めていくことになると思いますが、愛子のラオス訪問が、先ほど申し上げたとおり、我が国とラオスの友好親善関係の増進につながることを願っています。私自身も平成24年にラオスを訪問する機会があり、ラオスの国民の皆さんに温かく迎えていただいたことをうれしく思いましたし、ラオスの人々が餅米を食べる習慣があるなど、日本とも共通する文化を感じることができました。私と雅子からもこれまでの外国訪問の経験を踏まえつつ、愛子に助言をしていくことができればと考えています。
なお、先般ブラジルを訪問した佳子内親王から帰国後の挨拶を受けた際には愛子も同席しており、佳子内親王からブラジル訪問の様子などを詳しく聞いておりましたので、こうした機会も通じて、愛子自身も皇室の外国訪問について学ぶことができたのではないかと思いました。
在日外国報道協会代表質問
- モンゴルの首都、ウランバートルへの人口集中による都市問題が深刻化し、JICAなどを通じ上下水道など社会インフラ整備の協力が行われています。水問題についてのご造詣が深い天皇陛下はモンゴルの都市開発にどのようなご関心をお持ちでしょうか。また、日本の国際協力は両国の友好関係にどのように寄与していると思われますか。
-
天皇陛下
平成19年にモンゴルを訪れた際、首都ウランバートルはトーラ川の支流沿いに都市が発達していましたし、古都カラコルム、ハラホリンではオルホン川沿いに都市が形成されていました。草原と砂漠の国という印象があるモンゴルでも、川の豊かな恵みを受けて都市が発展していることを知り、深い感慨を覚えたことを思い出します。
私がいつも感じていることですが、災害に対応しながら水の恩恵を享受することは、人類共通の歩みでもあり、各国の水をめぐる問題を知ることは、それぞれの国の社会や文化を理解することにもつながります。
今回、ウランバートル市上下水道公社本部やガチョールト水源を訪れる機会があります。そこで日本の経済・技術協力が行われていることをうれしく思いますし、モンゴルにおける都市開発や水の問題について学ぶことを通じて、この国への理解を更に深めることができればと思っています。
また、1990年代以降、モンゴルの民主化を契機に、我が国はモンゴルと幅広い分野での協力関係を進展させてきており、こうした長年の協力関係を通じてモンゴルの方々は日本への信頼と親近感を持っておられると聞いております。今回の私と雅子の訪問が、日本とモンゴルの従来からの親密な友好関係を一層強める機会となれば幸いです。
- 上皇さまは天皇陛下として戦後60年にサイパン、戦後70年の年にはパラオと、激戦地となった南太平洋の島で戦没者を慰霊なさいました。今回、戦後80年の節目に陛下がモンゴルを訪問なさる意義はどのようなことだとお考えでしょうか。モンゴルでも多数の日本人が抑留されましたが、戦争体験者が年々少なくなるなか、戦争の歴史と教訓をどのように語り継いでいくべきでしょうか。
-
天皇陛下
私と雅子は、戦後生まれであり、戦争を体験しておりませんが、上皇上皇后両陛下からも折に触れて戦時中のことについて伺う機会があり、両陛下の平和を思われるお気持ちをしっかり受け継いでまいりたいと思っております。
今年は、戦後80年という節目の年に当たり、人々の苦しみや悲しみを決して忘れてはならない地として、これまでに、大戦中に激戦地となった硫黄島や、原爆の惨禍に見舞われた広島を雅子と二人で訪れ、また、激しい地上戦で多くの県民が犠牲となった沖縄には愛子も伴って訪問いたしました。それぞれの地で、戦争を体験された方や遺族となられた方々のお話を伺い、皆さんが経験された想像を絶するような苦難の一端に触れ、深く心が痛むとともに、平和の大切さについての思いを新たに致しました。戦後80年がたち、戦争を実際に知る世代が少なくなってきている中で、戦争を体験した方々から直接話を伺い、その記憶を次の世代に継承し、理解を広めていくことは極めて大切なことだと思っています。
先ほどもお話ししましたとおり、今回の訪問では、そのような歴史に思いを巡らせつつ、日本人死亡者慰霊碑に供花をし、心ならずも故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、その御苦労に思いを致したいと思います。
戦後、我が国は、モンゴルを始め世界の各国と共に、国際社会の平和と繁栄のために力を尽くしてきました。これまでに重ねてきた両国の交流の歴史を踏まえながら、今回の訪問を契機として、両国間の友好親善関係が更に深まることを願っています。
関連質問
- 平成19年の御訪問の際は愛子様にとっては朝青龍関や白鵬関の国がモンゴルという頃だったかと思います。今回はご家族3人で愛子様も交えてモンゴルについて、どのようなお話をなさっているか。また、先ほど3問目で、ラオスでは餅米を食べる習慣があると仰っていましたが、前回モンゴルならではの食生活を経験されたと思うんですけれども、その印象ですとか思い出がもしありましたら教えてください。
-
天皇陛下
前回、私がモンゴルに行きました時は愛子もまだ小さく、そして、その頃、非常に相撲にも興味を持っていて、朝青龍始めモンゴルからの力士が活躍していた時でした。愛子も朝青龍の名前がドルゴルスレン・ダグワドルジということも覚えたりして、やはり相撲を通してモンゴルに対して親しみを持っていたような気がします。また、その後はだんだん成長するにつれて、モンゴルの社会などについても、今は日本赤十字社に勤務している立場でも、いろいろと興味を持ってきているような感じがいたします。今回私たち二人で訪問して、そして実際にモンゴルはどういう国であったか、人々の生活、モンゴルの社会、歴史、そういったことや今のモンゴルについて、愛子にもいろいろ話をすることができればというふうに思っています。
ラオスについては、食生活の話が出ましたけれども、私が一番強く感じたのはラオスでも餅米を食べるということで、私も実際にラオスで何回か餅米を食べたことがあります。食生活についても、全般的に日本といろいろ共通するところがあったように思いますし、やはり実際にその国に行ってみるといろいろなことを学ぶことができると思って、いい経験になりました。前回ラオスに行く時も話したかもしれないですけれども、ラオスではメコン川が国の中を流れていて、ベトナムのときもそうでしたけれども、メコン川と人々との生活の結び付き、いろんな生活面での結び付きなども含めていろいろ見ることができたのがとても良かったと思っています。
記者
モンゴルでは馬乳酒ですか。そういった伝統的な食事の思い出があれば。
天皇陛下
モンゴルについては、馬乳酒はちょっと頂いたこともありますし、あとはそのほかにも強いお酒などもありましたが、前回は私は手術の直後だったので、アルコールについて制限があったものですから。食事について言えば、ボーズという中国ではパオズですか、焼き餃子や蒸し餃子のような、そういったものとか、やはり羊の肉などを使った料理が非常に多かったと思います。特に餃子、水餃子、蒸し餃子のような日本の食事とも共通するようなものを頂くことができたというのも一つの思い出になります。やはり食事というのは、その国々の文化を表していると思いますので、私自身もいろいろ世界を回っていくときにその国の食事を頂くことによって、その国の文化の一端に触れることができると思っており、そういったことも楽しみの一つです。
- モンゴルで日本人抑留者の慰霊碑を訪問されますが、今回、前回の皇太子というお立場と違って天皇というお立場で慰霊されるわけなんですけれども、改めてお立場が変わったことによってどのような思いを持ってこの慰霊に臨まれるかというのを、前回とどのような違いで臨まれるかというのをお伺いできればと思います。
-
天皇陛下
私も前回は、モンゴルで慰霊碑に参拝したのはもちろん初めての経験だったわけですけれども、それからまたある程度年も重ねてますし、モンゴルでのいろんな当時の人々が、日本人が、大変な思いをしたということについてもいろいろと文献を読んだりして少し知識もその頃に比べて増えてきているように思います。ただ、慰霊するという気持ちについては前回でも今回でも同じような気持ちで慰霊の場に臨みたいと思っております。
先ほど、少しお話ししましたけれども、前回お会いした春日行雄さんという方は、残念ながら亡くなられましたけれども、本当に大変な思いをされたということ、当時モンゴルでも実際にお会いしてお話を伺えたことはとても良かったというふうに思っております。
・・・・・・・・・・・・・・
<参考>皇太子時代のモンゴル訪問
在モンゴル日本国大使館HPより
モンゴル国エンフバヤル大統領の招待により、7月10日から17日にかけて、皇太子殿下がモンゴルを御訪問されました。日本の皇族の方が、モンゴルを御訪問されるのは、2002年に秋篠宮同妃両殿下が御訪問されて以来、5年ぶり、2回目となります。
今年は、日本とモンゴルとの間の外交関係樹立35周年を迎えていますが、両国はこの記念すべき年を「モンゴルにおける日本年」と定めています。モンゴル政府は、皇太子殿下のモンゴル御訪問を「モンゴルにおける日本年」の最大の行事であると位置づけ、皇太子殿下の御訪問の実現に向け熱心な働きかけを行ってきました。今回の皇太子殿下のモンゴル御訪問は、そうした働きかけ等の結果、実現したものです。
皇太子殿下のモンゴルにおける公式行事は、10日、モンゴル御到着後に行われたスフバータル広場での歓迎式典から始まりました。その後、皇太子殿下はエンフバヤル大統領と御会談されたほか、翌11日の午前中に、戦後モンゴルに抑留中に死亡された日本人の慰霊碑を御訪問され御供花を行われました。その後、モンゴルの祭典であるナーダムの開会式に御出席され、午後には、エンフバヤル大統領とともにフイドローホタグで五歳馬による競馬を御覧になられるなど、草原の広がる中で、モンゴルの伝統的な祭典を御覧になられました。13日から15日には、ウブルハンガイにあるモンゴル帝国の古都ハラホリンまで足を伸ばされ、ハラホリン周辺地域の遺跡やウギー湖の御視察、また遊牧民との交流にと活発に御活動されました。
御帰国日の前日である16日に行われた馬頭琴交響楽団と国立交響楽団による歓迎コンサートでは、皇太子殿下御自身も演奏に参加され、御趣味のビオラを演奏されました。このように今回の御訪問において、皇太子殿下は、モンゴルの人々との親交を深められるとともに、モンゴルの悠久の歴史と大自然についての御理解を深められました。
日本・モンゴル両国外交関係樹立35週年及び「モンゴルにおける日本年」という記念すべき年に行われた今回の皇太子殿下のモンゴル御訪問が成功裏に終わったことによって、これからの日本とモンゴルとの関係の更なる発展が推進されることが大いに期待されます。(了)
以上です。