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天皇皇后両陛下モンゴル訪問(速報中)

ラベンダー

こんにちは、ラベンダーです。

天皇皇后両陛下のモンゴル訪問を速報します。

第二次世界大戦後、旧ソ連によって抑留され亡くなった日本人を現地で慰霊されるのは歴代天皇で初めてです。

今回は、国際親善という意味だけでなく、戦後80年の慰霊の旅でもあるわけです。

モンゴル訪問の概要は、以下の記者会見記事をご参照ください。

目次

天皇皇后両陛下、モンゴル公式訪問に出発

天皇皇后両陛下、モンゴル公式訪問に出発 歴代天皇で初

天皇皇后両陛下は6日午前、歴代天皇で初めてとなるモンゴル公式訪問に出発されました。

天皇皇后両陛下は6日午前10時20分ごろ皇居を出発されました。両陛下は車の窓を開け、集まった人たちに笑顔で手を振られました。

羽田空港では暑さを考慮して、秋篠宮ご夫妻らによる見送りは急きょ室内で行われ、両陛下は、にこやかに見送りを受けられました。

両陛下は政府専用機に乗り込み、モンゴルの首都ウランバートルに向かわれました。モンゴル訪問は歴代天皇で初めてとなります。

国賓として歓迎式典や晩餐会に出席するほか、第二次大戦後に捕虜としてモンゴルに抑留され亡くなった日本人慰霊碑に供花されます。

両陛下の国際親善訪問は即位後3度目で、13日に帰国される予定です。

2025年7月6日 日テレNEWS

天皇皇后両陛下、モンゴルに到着

天皇皇后両陛下、モンゴルに到着 歴代天皇として初のモンゴル訪問

天皇皇后両陛下は日本時間の6日午後4時前、現地時間の午後3時前、モンゴルの首都ウランバートルの近郊にあるチンギス・ハーン国際空港に、およそ5時間のフライトを経て政府専用機で到着されました。モンゴル訪問は歴代天皇として初めてとなります。

両陛下は民族衣装の女性の出迎えをにこやかに受けられ、差し出された銀の杯からモンゴルの乳製品アーロールをつまみ、口にされました。そして、花束がそれぞれに手渡されました。

出迎えるのはモンゴルのバトムンフ・バトツェツェグ外務大臣です。両陛下は挨拶し、握手を交わされました。

両側にモンゴルの儀仗兵が、およそ40人並ぶ中、両陛下は外務大臣の先導で、レッドカーペットを進まれました。

また空港では、井川原賢在モンゴル特命全権大使夫妻らも出迎えました。両陛下はモンゴル訪問を控えた先月27日、井川原大使からモンゴルの情勢などについて説明を受けられています。

両陛下は6日から13日までの8日間、ウランバートルに滞在されます。

8日にはウランバートルの中心部スフバートル広場で、国賓として歓迎式典に臨んだ後、フレルスフ大統領夫妻と懇談し、大統領夫妻主催の晩餐会では、お言葉を述べられる予定です。

また、日本人死亡者慰霊碑を訪れ、第二次大戦後に捕虜として旧ソ連からモンゴルに送られ、抑留中に亡くなった日本人およそ2000人を悼み、供花されます。

11日はモンゴルの国民的なスポーツの祭典「ナーダム」の開会式に出席し、弓や競馬の競技を観戦される予定です。

両陛下の国際親善訪問は去年のイギリス訪問以来で、即位後3度目となります。

2025年7月6日 日テレNEWS

モンゴル訪問1日目

チンギス・ハーン国立博物館を視察

モンゴルでチンギス・ハーン国立博物館を視察 歴史に敬意表して

国賓としてモンゴルを訪問中の天皇陛下は、チンギス・ハーンの時代に焦点をあてた国立博物館を視察されました。

日本時間午前11時ごろ、陛下はモンゴルの首都・ウランバートル市内にある博物館に到着されました。

この博物館はモンゴルの英雄=チンギス・ハーンの時代に焦点をあてた施設で、宮内庁によりますと、モンゴルの歴史に敬意を表し、最初の訪問先として選ばれたということです。

両陛下はきのう、政府専用機でモンゴル入りし、空港でモンゴル式の歓迎を受けられました。

皇后さまは公式行事に備え、きょうはホテルで体調を整えられることになっていて、あすは両陛下そろって歓迎式典や大統領夫妻主催の晩さん会などに出席するほか、先の大戦後、モンゴルで亡くなった日本人抑留者の慰霊碑に供花される予定です。

(太字、下線等はラベンダーによる)

2025年7月7日 TBS NEWS DIG

日本支援のウランバートルの「上下水道公社」を訪問

モンゴル訪問中の天皇陛下が日本支援のウランバートルの「上下水道公社」を訪問

モンゴルを訪問中の天皇陛下は、日本が支援しているウランバートルの水道施設を訪問されました。

午後2時ごろ、陛下はウランバートル全体の水道を管理する「上下水道公社」を訪問されました。

ウランバートルの「ゲル地区」では、ほとんどの地区でいまだに水道が整備されておらず、住民は生活用水をくみに行くのが日課となっています。

女子中学生(13)は「1日3回水くみにいきます。そう、大変です。水を運ぶと手と肩が痛くなります」と話していました。

この施設は「ゲル」地区にも安全な水を供給していて、陛下は、給水システムなどを日本が支援していることについて説明を受けられました。

陛下は、「水道管の維持管理はどのように進めているのでしょうか」などと質問を重ねられました。

2025年7月7日 FNNプライムオンライン

市の東部にあるガチョールト水源に移動

モンゴルで「水」関連の施設を視察 日本支援でテント式住居「ゲル」地区の水供給も改善

天皇陛下は7日午後、首都ウランバートル市全体の上下水道を管理する上下水道公社を訪問されました。

1990年のモンゴル民主化以降、日本は上水道供給施設の整備などを無償資金協力で支援してきました。

「水問題」を研究する陛下は、日本の支援したプロジェクトによって、モンゴルの伝統的なテント式住居「ゲル」の多い地区への水の供給が改善されたとの説明を興味深そうに聞き、さらに「地下水はこの辺りでは少し年によって変動があるんでしょうか」と質問されていました。

その後、陛下は市の東部にあるガチョールト水源に移動し、貯水施設の屋上から取水井戸を視察されました。

両陛下は8日、歓迎式典などの公式行事に臨まれます。

2025年7月7日 日テレNEWS

モンゴル訪問2日目

天皇皇后両陛下、国賓として歓迎式典に

モンゴル訪問中の天皇皇后両陛下 国賓として歓迎式典に

国際親善のためモンゴルを公式訪問している天皇皇后両陛下は、首都ウランバートルで国賓として歓迎式典に臨まれました。

天皇皇后として初めてモンゴルを訪問している両陛下は、現地時間の8日午前10時頃から、ウランバートル中心部の政府庁舎前にある広場でフレルスフ大統領夫妻とともに歓迎式典に臨まれました。

NHKより

天皇陛下は、礼砲と君が代の演奏で歓迎を受けたあと、儀じょう隊の栄誉礼を受け、大統領とともに整列した隊員を巡閲されました。

広場の周りには、民族衣装を着て両国の国旗を持った人や「ありがとう日本」と日本語とモンゴル語で書かれた横断幕を持った人などが詰めかけて式典の様子を見守り、両陛下はモンゴルの閣僚らと握手を交わしたあと、モンゴル側の関係者として出席した大相撲の元横綱、朝青龍、日馬富士、白鵬とことばを交わされていました。

そして、大統領夫妻とともに階段を上り、モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハーンの巨大な像の前に進んで一礼したあと、振り返って手を振られました。

このあと両陛下は、庁舎内にある賓客応接用の「ゲル」で1時間余りにわたって大統領夫妻と会見されました。

NHKより

会見の冒頭、大統領は「両陛下の国賓としての訪問は大変喜ばしいことで、心から大歓迎します。モンゴル国民の融和と独立の象徴でもあるナーダムの開会式に賓客として出席されることは、モンゴル人にとって大変光栄でうれしく思います。両国の国民の間の友好や友情、親善関係を発展させるうえで、大変すばらしい訪問になることを確信しています」と述べました。

これに対して天皇陛下は「皇后とともに訪れることができましたことを、大変うれしく思っています。心温まる大変すばらしい歓迎式典を催していただき、心から感謝しております。今回、2人でそろってモンゴルの歴史や社会、文化に触れることを大変楽しみにしています」と話されました。

また、皇后さまも「モンゴルの自然に触れる機会を楽しみにしています」と述べられたということです。

(以下、略)

2025年7月8日 NHK

天皇皇后両陛下 モンゴルの歓迎式典に出席 ウランバートル中心部の広場で訪問最初の公式行事

天皇皇后両陛下は現地時間の8日午前10時ごろ、国賓として歓迎式典に臨むためモンゴルの首都ウランバートルの中心部にあるスフバートル広場に到着されました。

フレルスフ大統領夫妻が出迎え両陛下は挨拶を交わされました。両陛下が大統領夫妻と会うのは夫妻が2022年11月に来日した際、お住まいの御所で懇談されて以来です。

両陛下は民族衣装を着た子どもからそれぞれ花束を受け取られました。

広場の前にあるのは大きな「政府庁舎」で正面中央には巨大なチンギス・ハーン像があり、さらに両側に今回の訪問に合わせて大きな日の丸とモンゴルの国旗が掲げられています。

またこの広場に面したビルの壁面には、ご訪問に合わせて両陛下の巨大な肖像写真が掲げられています。

天皇陛下は、大統領とともに広場の中央を望む壇上に移動されます。皇后さまも大統領夫人とともに移動されました。

儀仗兵隊長が天皇陛下に歩み寄り、モンゴル語で言葉を発し、陛下は栄誉礼を受けられました。

それをきっかけに、音楽隊が「君が代」の演奏を始めました。

広場に21発の礼砲が響き渡る中、陛下は大統領の隣で演奏に聞き入られました。続いて音楽隊はモンゴル国歌の演奏を行いました。

陛下は、大統領とともに儀仗隊の前を歩き挨拶されました。これに対し、儀仗隊から答礼がありました。

そして再び広場の中央を臨む壇上に戻られました。

天皇陛下は大統領とともに儀仗隊が演奏しながら行進する様子をご覧になっています。

その後、両陛下は大統領から歓迎式典に参列するモンゴルの閣僚らの紹介を受け、挨拶を交わされました。

この中には大相撲の第68代横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさんや、第69代横綱の白鵬さん、第70代横綱・日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジさんの姿もあり、両陛下は、それぞれに声をかけられました。

この広場周辺の建物や道路は、第二次大戦後に捕虜として旧ソ連からモンゴルに送られ抑留された日本人が基礎工事に当たったものです。

日本人抑留者は、モンゴルで都市建設に従事させられ、政府庁舎や、国立オペラ・バレエ劇場など、日本人抑留者が建設に携わった建物は今もウランバートルの主要な施設として使われています。

訪問前の記者会見で、陛下は「抑留された方々が厳しい環境にありながらも自分たちの仕事に力を尽くしたことは、モンゴル国民からの尊敬を集めたと聞いています。実際に、前回モンゴルを訪問した際に、ウランバートル中心部のスフバートル広場近くにある国立オペラ・バレエ劇場の立派なたたずまいが目をひいたのですが、この劇場が、先の大戦中に日本人の捕虜によって建てられたものであることを知り、極寒の地で建設に携わった人々の苦難に思いをはせたことを記憶しています」と語られています。

抑留者が建設に従事した建物を前に、歴代天皇で初めて国賓としてモンゴル政府の歓迎を受けられました。

続いて、日本側の随員の前に移動され、宮内庁の伊原純一・式部官長から随員が大統領夫妻に紹介されます。

今回モンゴル訪問の首席随員を務めるのは元外務大臣の河野太郎衆議院議員です。

両陛下は大統領夫妻とともにチンギス・ハーン像にむかって正面の階段を上り一礼されました。

そして、振り返り広場に集まった市民らに手を振られました。

その後、政府庁舎の中に入り両陛下はゲストブックへの記帳を行われました。

このあとは大統領夫妻と会見に臨み午後はウランバートル市の北部にある「日本人死亡者慰霊碑」を訪れ、第二次大戦後、旧ソ連によって連行されモンゴルで抑留中に亡くなった日本人およそ2000人を悼み供花される予定です。

2025年7月8日 日テレNEWS

【朝青龍、白鵬、日馬富士】3人のモンゴル人元横綱 両陛下の歓迎式典出席に感想

歓迎式典には、大相撲の第68代横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん、第69代横綱の白鵬さん、第70代横綱・日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジさんも出席し、両陛下は、それぞれに声をかけられました。

その後、3人の元横綱が取材に応じました。

──歓迎式典を終えましたけども、出席されて感想をお願いします。

日馬富士
「いや本当に今日はお会いできて、本当に光栄に思います。本当に、雨も降って、国民の皆様も大変喜んで、感激しております、嬉しいです」

──ご会釈されましたけれどもどんな思いになりましたか?

日馬富士
「本当にいや、もう嬉しいだけですよ。はい」

朝青龍
「学校の先生なんだから、もっとビシッと決めてよ」(一同爆笑)

──白鵬さん。改めて今の歓迎式典に出られて、感想をお願いします。

白鵬
「そうですね、モンゴルに来るってことってなかなかないですから。本当に来ていただいて、うれしく思いますし、あとそうですね、ちょっとね、父とお会いしたことも、春の園遊会で会ったことを覚えていただいて、まあもったいない言葉をいただきましたが、本当に嬉しく思いますし、ちょうど今日、父の指輪をつけてきましたので、その話をさせてもらいました」

──陛下から具体的にどんなお言葉があったんですか?

白鵬
「そうですね。以前、2007年ですか。来た時にお父様と会った、と。そしてその後の春の園遊会で会ったこと覚えていまして、ほんとにびっくりしました」

──白鵬さん、何とお伝えになったんですか?

白鵬
「はい、ありがとうございます。また、モンゴルにきていただいて、嬉しく思いますと喜びの言葉を返しました」

──続いて朝青龍さん

朝青龍
「はいどうも、みなさんこんにちは」

──式典に出られて感想をお願いします。

朝青龍
「本当に陛下さまにね、話せることってなかなかないことなので、本当にあの、自分自身としてモンゴル人として本当に誇りに思いますし。2007年の皇太子殿下の時代のときにカラコルムにも訪問されたことが、うちのまあ、横綱白鵬関のお父さんもそうだし、うちのおやじも出迎えをさせていただいて、遊牧民族の衣装で住んでいるおやじのところまでわざわざ来ていいただいて、足を運んでいただいたことは感謝ですし、それがまた本当に、天皇としてモンゴル訪問、こんなにめでたいことはないんじゃないでしょうか。 本当にもう感無量です」

──何かお話されていたように見えたんですけど

朝青龍
「そうですね。同じく、ドルゴルスレン、自分の父との思い出の話とかその後の話とか。まあ、2回目なので、たくさん思い出があると思います。 そういう感じでした」

2025年7月8日 日テレNEWS

天皇皇后両陛下、モンゴルで日本人抑留者の慰霊碑に供花

両陛下、モンゴルで日本人抑留者の慰霊碑に供花 旧ソ連による抑留者の慰霊は歴代天皇で初めて

モンゴル公式訪問中の天皇皇后両陛下は、第二次世界大戦後モンゴルで抑留中に亡くなった日本人の慰霊碑に供花されました。

第二次世界大戦後、旧ソ連によって抑留され亡くなった日本人を現地で慰霊されるのは歴代天皇で初めてです。

天皇皇后両陛下は現地時間の8日午後2時半すぎ、ウランバートル北部にあるダンバダルジャーの丘にある日本人死亡者慰霊碑を訪問されました。

第二次世界大戦後、軍属・民間人を含む日本人およそ57万人以上が旧ソ連の捕虜になりました。

このうちおよそ1万4000人が旧ソ連からモンゴルに移送され、極寒のモンゴルで都市建設などに従事させられ、過酷な環境の中、およそ2000人が抑留中に命を落としました。

2001年10月、日本の厚生労働省、モンゴル赤十字社、ウランバートル市当局が、モンゴルで亡くなった日本人抑留者を悼み、ここダンバダルジャーの丘に慰霊碑を建立しています。

両陛下は井川原駐モンゴル大使から説明を聞いたあと、慰霊碑に向かってまっすぐ進まれました。

慰霊碑の前で一礼し、白を基調とした花輪を供え、深々と頭を下げられました。

陛下は2007年のモンゴル訪問の際、日本人抑留者の慰霊碑で供花されていて、今回で2回目となります。

かつて上皇さまは天皇としてサイパン、パラオやフィリピンと太平洋の島々で亡くなった日本人戦没者を慰霊されてきました。

天皇陛下は、歴代天皇で初めて、第二次世界大戦後、旧ソ連によって抑留され、大陸で亡くなった日本人を現地で慰霊されました。

天皇陛下はモンゴル訪問に先立ち、記者会見に臨み「今回の訪問では、歴史に思いを巡らせつつ、日本人死亡者慰霊碑に供花をし、心ならずも故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、その御苦労に思いを致したいと思います」と述べられていました。

8日は、慰霊碑に上る階段の手前にある「祈りの広場」で、日本遺族会の水落敏栄会長(82)と、父親をモンゴル抑留中に亡くした鈴木富佐江さん(88)が両陛下の拝礼を見守っています。

両陛下は、最後にもういちど拝礼し、慰霊碑をあとにされました。

両陛下は、8日夜、宿泊先のホテルで大統領夫妻主催の晩さん会に出席し、天皇陛下がお言葉を述べるほか、趣味のビオラを演奏し、モンゴル国立馬頭琴交響楽団と共演される予定です。

2025年7月8日 日テレNEWS

<モンゴル抑留の実態>

モンゴル抑留の実態は

旧ソビエトによるシベリア抑留の過酷さは広く知られていますが、モンゴル抑留の実態は日本でも現地でもあまり知られていません。

敗戦に伴って、海外に残っていた日本軍の将兵や軍属は連合国の管理のもと復員することになり、旧満州や朝鮮半島北部などソビエト軍の管理地域にいた人たちも帰国だと告げられ移動を命じられました。

しかし、着いた先は日本ではなく、シベリアをはじめとするソビエト領内やモンゴルといった冬はマイナス30度からマイナス40度にもなる酷寒の地でした。

抑留された人たちは、民間人を含めおよそ57万5000人。

抑留者の帰国が終わったのは終戦の11年後の昭和31年で、食料や衣服などが不足する中、不衛生な環境で過酷な労働を強いられた結果、10%近いおよそ5万5000人が命を落としました。

このうち、ソビエトとの相互援助議定書に基づいて終戦直前に対日参戦したモンゴルには、シベリア経由でおよそ1万4000人が移送され、首都ウランバートルの都市建設などに従事させられました。

NHKより

厚生労働省などによりますと、政府庁舎や国立大学の校舎、オペラ劇場といった建物や道路や広場で使うための石を手作業で切り出すなどの強制労働の果てに、およそ1700人が命を落としたとされています。

モンゴル抑留者はほかの地域より早く終戦後2年余りでほとんどが帰国しましたが、モンゴル側に多数の抑留者を受け入れる態勢が整っていなかったこともあり、死亡率はシベリアなどを上回るおよそ12%にのぼりました。

ウランバートルの郊外には、平成13年に厚生労働省や地元当局などが建立した抑留の犠牲者の慰霊碑があり、翌年には秋篠宮ご夫妻が、そして平成19年には当時皇太子だった天皇陛下が慰霊のため訪ねて、抑留された人たちの辛苦に思いをはせられました。

現在107歳で、抑留経験者やその家族などでつくる団体「全国強制抑留者協会」の会長を務めている富山県南砺市の山田秀三さんも、終戦後2年余りにわたってモンゴルなどに抑留されていました。

結婚の半年後に召集されて大陸に渡り、27歳の時に終戦を迎えた山田さんは、多くの日本軍将兵とともにどこに連れて行かれるか知らされないままソビエト領内で列車での移動と強制労働を繰り返したあと、モンゴル軍に引き渡され、徒歩と車で草原や原野を越えて、昭和20年の末に首都ウランバートル郊外の収容所にたどり着きました。

この間、逃亡しようとした少年兵が銃殺されたり、輸送中に仲間が飢えと寒さのため死んでいったりするのを目にしたということで、手記の中で当時のことを「地獄の監獄」とか「この境遇になった者でないと判らない餓鬼の社会」などとつづっています。

抑留後は1度も風呂に入ることができず、不衛生な環境と栄養失調で死者が続出する中で、建築物の基礎を作るためバールで土を掘る作業などに従事させられましたが、地面が凍っていて鉄板のように固かったといいます。

山田さんは「当時のウランバートルは現地の人の食料もないような貧しさで、そこに大量の日本人抑留者が入ったものだからなおさらだ。寒いけど燃料がないので、互いに体をすりあわせて暖め合い、『こんなところにいつまでいないといけないのか』と思っていた。食べ物がない当時のひどい生活や、亡くなった兵隊はかわいそうだったということを、とにかくみなさんに、そして天皇皇后両陛下に知ってほしい」と話していました。

山田さんは、今回両陛下が訪問される現地の慰霊碑をこれまでに2度訪ねたほか、地元に慰霊碑を建てて毎年慰霊祭を行い、毎日お経をあげて仏壇に手を合わせているということです。

2025年7月5日 NHK

モンゴル人の元看守(99)が語る日本人抑留者の過酷な生活「とても寒かった。あるときはマイナス50℃」

(前略)

第二次世界大戦が終結すると、当時、旧ソ連は日本人の兵士らを捕虜にし、およそ1万4000人がモンゴルに送られました。待っていたのは過酷な労働、およそ1700人が亡くなりました。

モンゴルでの抑留はどのようなものだったのか?当時の様子を記憶しているモンゴル人の男性がいました。

チョグソムジャブさん、99歳。日本人抑留者の収容所で看守を務めていました。木の切り出しや農業に従事させられていたという抑留者たち。冬の生活は過酷なものでした。

チョグソムジャブさんは、抑留者が口にしていたある日本語を今でも覚えているといいます。

抑留者の収容所の元看守 チョグソムジャブさん
「彼らは言っていましたよ、『寒いですから』と」

抑留者が繰り返していたという「寒い」という言葉。

抑留者の収容所の元看守 チョグソムジャブさん
「とても寒かったです。マイナス35℃や45℃。あるときはマイナス50℃の寒さでした」

寒さで亡くなる人もいました。

さらに、抑留者からはいつ日本に帰国できるのかよく尋ねられたといいます。

抑留者の収容所の元看守 チョグソムジャブさん
「(抑留者は)よその国に留め置かれていたわけですから、苦しかったに違いありません」

1947年には抑留者を旧ソ連との国境まで送り届けましたが、その後どうなったかは分からないといいます。

このときの経験を通じて、二度と戦争を起こしてはいけないと語るチョグソムジャブさん。

抑留者の収容所の元看守 チョグソムジャブさん
「人の命ほど尊いものはありません。戦争はそれを奪ってしまうものです。もう戦争は起きないことを願っています」

出発前の会見では、「故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、そのご苦労に思いを致したい」と話されていた天皇陛下。

日本とモンゴル両国の言葉で平和への思いが刻まれたこの慰霊碑に、両陛下はきょう、花を手向け黙祷をされました。

2025年7月8日 TBS NEWS DIG

情報は随時更新いたします。

最終更新 2025年7月8日 18:00

ではまた

ラベンダー

また、よろしくお願いいたします。

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