秋篠宮家の長男悠仁さまの成年式が6日、執り行われた。
皇室で40年ぶりとなります。
当記事では、党派的な意見・感情を一切加えずに、その内容をお伝えします。
悠仁親王成年式関係儀式行事等一覧

成年式関係儀式行事等の概要
勅使(侍従)が秋篠宮邸を訪れ、冠を悠仁親王殿下にお授けになる儀式。
天皇皇后両陛下御臨席の下に、秋篠宮皇嗣同妃両殿下の御前で加冠役が悠仁親王殿下に賜冠を加える(冠をお付けする)儀式。
加冠の儀の後、賢所(かしこどころ)皇霊殿神殿の三殿に悠仁親王殿下が拝礼される儀式です。三殿それぞれで、悠仁親王殿下が拝礼をされ、賢所では告文を奏せられます。
天皇陛下から悠仁親王殿下に、大勲位菊花大綬章を親授される行事。
(以上、宮内庁ホームページより)
加冠の儀及び賢所皇霊殿神殿に謁するの儀に関する装束について
未成年の装束
1 空頂黒幘(くうちょうこくさく)
天皇はじめ皇族男子が未成年の御装束を御召しの際に用いられる一種の額当て。幘とは髪を包む布の意味である。羅
らと呼ばれる薄い絹織物に十六葉八重表菊紋を刺繍して 2 枚を重ね、縁を黒漆で固め三山形としたものを 3 片並べて額に結ぶための紫色の紐に綴付けたもの。山の高さは約 15cm、紐には瑞鳥と唐草などが刺繍されている
2 闕腋袍(けってきのほう)
天皇はじめ皇族男子が未成年の折に召される御装束や、武官の装束に用いられてきた腋が縫われていない袍。男性皇族が召される闕腋袍は浅黄色に雲鶴文を織り出した生地で、夏の料は 縠(こめ)織(文様を織り表す組織が、穀物の粒のように見える絹織物)で裏地の無い単衣の仕立てである。後身の長さは約 6m(鯨尺(37.88cm)で 16 尺)。
3 表袴(うえのはかま)
下袴としての赤の大口袴の上に重ねて穿くことからこの名称がある。表は白地の浮織で 窠かに 霰あられの文様を表し、裏地には赤の 平へ い絹け んを用いたズボンのような前開き構造の袴である
4 絲鞋(しかい)
白絹の太撚糸で編んで作られた編み靴で底は白革を張り、白の組紐で足首に結び留めて用いる。
5 石帯
グラスファイバーの地に黒漆を塗った 本帯(ほんたい)と 上手(うわで)二部式のベルトで、表面には雲鶴文を彫った瑪瑙の飾り石を 11 個とりつけている。後ろ腰に着ける本帯と、バックルに相当する上手を正絹の組紐で結び連ね、装束全体を締めて使用する。
6 帖紙(たとうがみ)
紅の鳥子紙に金銀切り箔を置いたもの。
7 笏
材質はいちい。
8 横目扇(よこめおうぎ)
元来は板目(横目)の薄板を閉じ連ねた扇であることから横目扇の名称があるが、現在は檜柾目の薄板を閉じ連ねた檜扇で、表裏ともに彩色を施す。親橋(おやぼね)には 6 色の飾り糸と糸花(いとばな)と呼ばれる造花を付ける。
成年の装束
1 冠
表面に羅と呼ばれる薄い絹が貼られ、その上に黒漆を塗り作られたもの。十六葉八重表菊の御紋章を配した有文の冠。太い紙縒(こびねり)の掛緒(かけお)を冠の後方から掛けて頭頂で交差し、顎の下で結び固定する。
〇燕尾纓(えんびのえい)
加冠の儀に御召しになる冠に附属する燕尾纓は、冠と同じ 黒羅(くろら)の地に、十六葉八重表菊の御紋章が刺繍されている。同じものが 2 枚重なった構造で、冠の付け根から 垂下(すいか)し、左右均等に裾開きに幅が広がり、先端は丸くなっている。平安朝に用いられた纓の古い様式で、特に加冠の際に用いるものとして伝えられてきた。
〇垂纓(すいえい)
冠と同じ黒羅に、十六葉八重表菊の御紋章を刺繍する。燕尾纓から変化した平安時代後期以降にみられる纓の様式で、冠に差し込む纓の付け根から片方に袖が付くような形の長方形である。天皇の御冠の纓が 御立纓(ごりゅうえい)であるのに対し、纓を差す纓壺(えつぼ)のやや上で後方に曲げて垂れる様式からこの名称がある。纓の曲り方は身位により差があり、親王の垂纓は皇太子(皇嗣)の垂纓よりも強く曲げられている。
2 縫腋袍(ほうえきのほう)
成年の文官が着用する腋が縫い綴じられた上衣。裾さばきの便のため、襴(らん)と呼ばれる横裂が裾周りに付けられるのが特徴で、左右の裾腋に張りだした部分の襴は 蟻先(ありさき)
と呼ばれる。夏の料は縠織の単衣で、皇族男子の袍は黒地に雲鶴文を織り出している。
3 表袴(うえのはかま)
未成年の闕腋袍の束帯の料と同じ。
4 鞾(かのくつ)
束帯の際に使用する正式な履物。革製黒塗の深靴の一種で、上部に靴氈(かせん)と呼ばれる赤地蟹牡丹文(あかじかにぼたんもん)の大和錦(やまとにしき)が用いられている。
5 石帯
未成年の闕腋袍の束帯の料と同じ。
6 帖紙(たとうがみ)
白檀紙に金銀の切り箔を押したもの。
7 笏
未成年のものと同じ。
8 檜扇
檜の白木の薄板を重ね閉じた木製の扇。親橋に、十六葉八重表菊紋が 置文(おきもん)としてあしらわれている。
※ 夏の料と冬の料は、素材の加工方法、織り方に違いがあり、夏の料の素材となるシルクは、繭から紡いだ生糸をそのまま使用するため張りがある。冬はシルク(繭から紡いだ生糸)を煮た(繭から紡いだ生糸をアルカリ性の溶液で精錬(「練る」と言う)した 練糸(ねりいと)も使用するため、相対的には光沢があり、柔らかい。
(宮内庁ホームページより)
成年式「冠を賜うの儀」
男性皇族が成年を迎えたことを示す「成年式」が始まり、秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまは「冠を賜うの儀」に臨まれました。
モーニングコートを着用した悠仁さまは、6日午前9時前、秋篠宮邸で天皇陛下から贈られる成年用の冠の入った筥(はこ)を陛下の使者から受け取られました。
この後、皇居・宮殿でこの冠を身に着けられる「加冠の儀」が行われます。
悠仁さまは成年用の装束に着替え、皇室の祖先などをまつる宮中三殿を参拝したあと、午後、天皇皇后両陛下にあいさつをする「朝見の儀」などに臨まれます。
男性皇族が成年したことを示す成年式が行われるのは、父の秋篠宮さま以来、40年ぶりです。
成年式「加冠の儀」

秋篠宮家の長男・悠仁さまは「成年式」に臨み、成年の冠を身につけられました。
悠仁さまは午前10時から、宮殿で成年式の中心的な儀式「加冠の儀」に臨まれました。
両陛下や秋篠宮ご夫妻、愛子さまなど皇族方も出席され、古式ゆかしい未成年用の装束をまとった悠仁さまの頭上に成年用の冠が載せられました。
悠仁さまはゆっくりと両陛下、そして秋篠宮ご夫妻の前に進み出て、御礼と決意を述べられました。
悠仁さまは、天皇皇后両陛下に「本日は成年式にあたり冠を賜り、誠にありがとうございました。天皇皇后両陛下には、加冠の儀に御臨席を賜り、誠にありがとうございます」と述べられ、秋篠宮ご夫妻には「本日は、成年式を挙げていただき、誠にありがとうございます。成年皇族としての自覚を持ち、そのつとめを果たしてまいりたいと存じます」と述べられました。
午後には燕尾服の正装で「朝見の儀」に臨まれます。
2025年9月6日 FNNプライムオンライン
<フル動画>
宮中三殿を参拝

秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは6日、皇居で成年式に臨まれ、午前11時半ごろから宮中三殿で「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」が執り行われた。
皇居・宮殿で、成年の証の冠を着用する「加冠(かかん)の儀」を終えた悠仁さまは、成年の装束「縫腋袍(ほうえきのほう)」を身にまとい、馬車で皇居内の宮中三殿へご移動。宮殿・東庭では、宮内庁や皇宮警察の職員らが拍手で馬車を見送った。
馬車は、宮内庁が所有する4種類の儀装馬車のうち「4号」と呼ばれるもので、秋篠宮さまが昭和60年に成年式に臨まれた際と同じ馬車。新たに赴任する外国の駐日大使の「信任状捧呈式」の馬車列などに用いられている。
悠仁さまは、宮中三殿で皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)や歴代天皇などに、成年になったことを奉告された。
2025年9月6日 産経新聞
成年式「朝見の儀」

秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さまは6日午後、皇居・正殿「松の間」で天皇、皇后両陛下に成年皇族として改めてあいさつする「朝見の儀」に臨まれた。
えんび服姿の悠仁さまは天皇陛下に「本日の成年式にあたり、冠を賜り、天皇、皇后両陛下のご臨席の下、成年式を終えることができましたことに、深く感謝申し上げます。成年皇族としての責務の重さを自覚し、さらに勉学にいそしむとともに経験を積み、これまで賜りましたご恩にお報い申し上げたく存じます」と抱負を述べた。
陛下からは「成年式をあげられたことを心からお祝いします。これからは学業に励まれるとともに皇族としてのつとめを立派に果たされることを願っています」とおことばがあり、皇后雅子さまも「これからもお体を大切にされ、どうぞお元気にさまざまな経験をつまれますようお祈りしております」と祝った。
2025年9月6日 毎日新聞
成年式終えて
秋篠宮家の悠仁さまが、皇室で40年ぶりとなる成年式に臨まれました。
悠仁さまは「親王旗」を付けた天皇陛下の専用車「御料車」で、皇居・宮殿に到着されました。
40年ぶりとなった男性皇族の成年式。6日午前10時、「春秋の間」で中心的な儀式、「加冠の儀」が始まりました。
浅黄色の未成年の装束「闕腋袍」を着用した悠仁さまは、凜々しい表情で臨まれます。
未成年皇族が着ける「空頂黒幘」という額当ては、父・秋篠宮さまが40年前に使われたものです
空頂黒幘が外されると、悠仁さまは天皇陛下から贈られた成年用の「冠」を着用されました。
成年式を象徴するのが、顎の下で結ばれた冠の緒の両端を切る和ばさみの「音」です。
歯切れ良いはさみの音と共に、悠仁さまは「成年皇族の姿」となられました。
そして、長さ6メートルに及ぶ長い裾を引きながら、天皇皇后両陛下の前へ進まれます。
悠仁さまからの御礼の言葉に、陛下は優しい表情で聞き入られました。
「本日は成年式にあたり、冠を賜り、誠にありがとうございました」
続いて、両親である秋篠宮ご夫妻に感謝の言葉を伝えられました。
「成年皇族としての自覚を持ち、そのつとめを果たしてまいりたいと存じます」
その後、黒の成年の装束「縫腋袍」に着替えた悠仁さま。父・秋篠宮さまも40年前に乗った馬車に乗り込み、宮殿を出発されました。
悠仁さまは皇室の祖先や神々をまつる「宮中三殿」を参拝し、成年を迎えたことを報告されました。
午後2時からは「正殿松の間」で両陛下に挨拶をする「朝見の儀」に臨まれました。
「成年皇族としての責務の重さを自覚し、さらに勉学にいそしむとともに、経験を積み、これまで賜りました御恩にお報い申し上げたく存じます」
「皇族としての務めを立派に果たされるよう願っております」
「今日は成年式おめでとう。これからもお体を大切にされ、どうぞお元気に様々な経験を積まれますよう、お祈りしております」
さらに、天皇陛下から「大勲位菊花大綬章」を授与された悠仁さま。宮殿での一連の儀式・行事を終え、皇居を後にされました。
そして、報道陣の取材に応じられました。
記者
「本日は誠におめでとうございます」
「ありがとうございます。成年式を滞りなく終えることができ、安堵しております。これまで見守ってきてくれた家族をはじめとするお世話になった方々に深く感謝申し上げます。これから成年皇族としての自覚を持ち、皇室の一員としての役割をしっかりと果たしていきたいと思っております」
悠仁さまは6日夜、都内のホテルでお祝いの夕食会に臨まれます。
(2025年9月6日放送「news every.」より)
秋篠宮ご夫妻が感想
本日、長男悠仁の成年式が滞りなく行われました。悠仁が小さかった頃のことを思い出しながら、成年の皇族の一人として公的な務めを果たす節目を迎えるときがきたことに深い感慨を覚えます。
これまでの成長を支え、また心を寄せてくださった多くの方々の気持ちに深く感謝の意を表します。そして、悠仁が一つひとつの事柄を大切に思い、務めを果たしていくことを願っております。
祝宴
悠仁さまは6日夜、成年式のお祝いの私的な夕食会「内宴」に臨むため、秋篠宮ご夫妻や姉の佳子さまと帝国ホテルに到着されました。
夕食会は天皇皇后両陛下や、上皇ご夫妻、皇族方などが出席され、1時間45分近く行われました。
6日朝、秋篠宮邸で天皇陛下から贈られた成年用の冠を受け取る「冠を賜うの儀」に臨まれた悠仁さま。
秋篠宮ご夫妻、姉の佳子さまが笑顔で見送る中、皇居に向けて出発されました。
午前10時から宮殿で行われた「加冠の儀」では、悠仁さまは浅黄色の未成年の装束「闕腋袍」を着用。
未成年の額当て「空頂黒幘」が外され、成年の証である「冠」を着けたあと静寂の中、顎の下で結んだ緒の両端を和ばさみで切る音が響き渡りました。
続いておよそ6メートルの裾をひいて天皇皇后両陛下の前に進み、御礼の言葉を述べられました。
「本日は成年式にあたり冠を賜り、誠にありがとうございました」
その後、悠仁さまは成年の装束 「縫腋袍」に着替え、馬車で「宮中三殿」に向かうと、皇室の祖先や神々に成年を迎えたことを報告されました。
午後2時からは「正殿松の間」で両陛下に挨拶をする「朝見の儀」に臨み、さらに天皇陛下から「大勲位菊花大綬章」を授与されました。
一連の儀式を終え、皇居を後にされる際には、多くの人々が皇居前で見送りました。
「成年式を滞りなく終えることができ、安堵しております。これまで見守ってきてくれた家族をはじめとするお世話になった方々に深く感謝申し上げます。これから成年皇族としての自覚を持ち、皇室の一員としての役割をしっかりと果たしていきたいと思っております」
2025年9月6日 日テレNEWS

秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さまの成年式が執り行われた6日、宮内庁は祝宴の招待者に秋篠宮家から贈られた菓子器「ボンボニエール」の写真を公開した。
秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さまの成年式にあたり開かれた祝宴出席者に配られた陶器製のボンボニエール=秋篠宮家提供
皇室では、結婚や成人など慶事の際に祝宴出席者にボンボニエールを配るのが恒例。フランス語で砂糖菓子を入れるふた付きの小さな容器を意味する。
成年式を記念して作られたボンボニエールは、秋篠宮家の家紋と悠仁さまの「お印(しるし)」である「高野槇(こうやまき)」がデザインされた。悠仁さまが幼い頃から調査や研究に熱中してきたトンボの飛翔(ひしょう)も描かれている。
祝宴は6日夜、帝国ホテル(東京都千代田区)で開かれた。天皇、皇后両陛下や上皇ご夫妻、皇族方や元皇族ら計約30人が出席し、悠仁さまの門出を祝った。
秋篠宮ご夫妻が主催する私的な行事として行われ、宮内庁によると午後6時半ごろに始まり午後8時過ぎに終わった。ボンボニエールは銀製と磁器製の2種類あり、銀製は皇室の方々に、磁器製は元皇族らに贈られたという。
2025年9月6日 毎日新聞
悠仁親王殿下19歳のお誕生日に当たり
悠仁親王殿下は、9月6日(土)に19歳のお誕生日を迎えられます。また当日には、加冠の儀、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、朝見の儀など成年式の中心となる儀式・行事に臨まれます。
悠仁親王殿下は、本年3月に筑波大学附属高等学校を卒業され、4月、筑波大学生命環境学群生物学類に入学されました。多くの新しいご友人たちにも恵まれて、ご学業やスポーツなど多方面にわたって充実した大学生活をお過ごしになっています。
4月5日の入学式の後、数日にわたって生命環境学群生物学類のオリエンテーションが行われました。カリキュラムや履修登録に関する説明、学生生活を送る上での注意点の説明などを受けられ、クラスの仲間との親交も深められました。
4月の半ばから授業が始まりました。大学での学習の基礎知識・リテラシーを身につけ、主体的に学ぶための基本技術を習得するためのファーストイヤーセミナー、英語、情報リテラシーや、基礎生物学実験、分子細胞生物学概論、遺伝学概論などの授業に出席されています。基礎生物学実験の授業では、グループ別で実験やフィールド調査などを行われています。
大学の行事では、春季スポーツ・デーや宿舎祭に参加されました。
スポーツ・デーは、筑波大学が開学して間もない昭和52年に第1回が開催されて以来、学生、教職員がともにスポーツを楽しむ伝統ある行事です。悠仁親王殿下は生物学類のご友人たちとともにドッジボールの競技に参加され、楽しまれたそうです。
また、宿舎祭では、宿舎入居者だけでなく多くの学生が参加しており、悠仁親王殿下もご友人たちとともにベビーカステラを販売する模擬店に参加され、協力して販売にあたられるとともに、集まった人々と交流をされたそうです。
学類のクラスとは異なるご友人もできて、交友やご活動の幅を広げられています。
7月には、大学の授業のない時間帯を利用されて、ご家族おそろいでのご活動をなさっています。
7月中旬、ご家族とご一緒に東京都写真美術館を訪ねられ、被爆から80年の今年、被災した市民、報道機関のカメラマン、写真家たちがそれぞれの視点から撮影した広島の原爆記録写真と映像を展示した「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」をご覧になりました。説明をお聞きになりながら、原爆の犠牲になられた方々に思いをはせられるとともに、原爆による被害の悲惨さを改めて感じられ、平和への思いを一層強くされたご様子です。
7月下旬には、ご家族皆さまで、小学5年から中学3年まで35名の沖縄豆記者とお会いになりました。沖縄の豆記者交歓事業は今回で60回目を迎え、悠仁親王殿下がお会いになるのは中学1年生でいらした時以来2度目のことでした。沖縄豆記者の代表者が、戦後80年という節目の年、尊いたくさんの命でつながってきた今の自分たちの命の重みを胸に、豆記者として学び考え続けられる喜びを噛みしめながら取材活動に取り組みたい旨のあいさつをされる中始まり、豆記者の取材活動や今回の東京滞在の様子、沖縄の自然・文化や学校の様子などについて、和やかに懇談されました。
こうしたお忙しいご日常生活をお過ごしで、宮邸にいらっしゃる時間にも限りがある中ではありますが、合間を見て、今年も野菜、稲の栽培やトンボ類をはじめとする生き物の生息環境の観察については継続をされています。
大学の春学期の授業や試験は8月上旬まで行われました。それ以降は、お父様の秋篠宮皇嗣殿下以来約40年ぶりとなる成年式に向け、これまでの成年式の映像をご覧になったり、秋篠宮皇嗣殿下からお話をお聞きになったり、また、装束についても専門家から説明をお聞きになったりされながら、ご習礼に臨まれるなど諸準備をされるとともに、ご自身のご関心のある分野を深められる活動をなさるなど、お健やかにお過ごしでいらっしゃいます。
(宮内庁ホームページより)
<情報は随時更新します>