(情報を速報中)
12日から天皇皇后両陛下と長女・愛子さまが県内を訪問されます。
天皇皇后両陛下は12日から3日間、愛子さまは2日間の日程で県内を訪問され、平和公園で花を供え、原爆資料館を視察し、被爆者との懇談などを予定しています。
天皇皇后両陛下は、「ながさきピース文化祭」の開会式に出席するため、12日、長崎を訪問されます。天皇陛下が長崎を訪問されるのは、皇太子だった2014年の「全国障害者スポーツ大会」以来11年ぶりで、即位後は初めてです。
また、天皇皇后両陛下お揃いでの来崎は、1996年以来29年ぶりとなります。両陛下の訪問にあわせ、今回は、長女の愛子さまも初めて長崎を訪問されます。
両陛下は、14日に行われる「ながさきピース文化祭」の開会式に出席するため、12日、長崎県に入り、3日間ご滞在ー。
愛子さまは、12日から2日間長崎に滞在されることになっていて、この間、両陛下と愛子さまは、原爆落下中心地や原爆資料館、恵の丘長崎原爆ホームなどを訪問される予定です。
2025年9月11日 NBC長崎放送
(初日)両陛下、愛子さま長崎へ
天皇皇后両陛下と長女の愛子さまが12日午前、長崎県に向けて羽田空港を出発されました。
12日午前9時半すぎ、天皇皇后両陛下と愛子さまは皇居を出発し、羽田空港に向かわれました。
両陛下は12日から2泊3日の日程で、愛子さまは1泊2日の日程で長崎県を訪れ、戦後80年の節目にあたって原爆犠牲者の慰霊や被爆者らとの懇談などを行われます。
さらに両陛下は、長崎県で行われる国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式などに出席されます。
両陛下が長崎県を訪問されるのは即位後初めてで、愛子さまの長崎訪問は初めてとなります。また、両陛下が戦没者の慰霊に愛子さまを伴われるのは6月の沖縄訪問以来、2度目となります。
今回の長崎訪問は、沖縄訪問のときと同様に、両陛下は天皇旗をつけた御料車、愛子さまはその後ろのお召車と2台に分かれて移動されます。
羽田空港の映像です。両陛下を乗せた車と愛子さまを乗せた車が到着しました。愛子さまが先に車を降り、両陛下を待たれます。天皇ご一家は、特別機で長崎空港に向かわれます。両陛下と愛子さまが、見送りの人々に丁寧に挨拶をされています。
今回の訪問は長崎県から両陛下と愛子さまに対して訪問の願い出があったもので、ご一家は戦後80年の節目にあたり、12日午後、長崎市の平和公園を訪れ「原爆落下中心地碑」に供花し、原爆犠牲者の慰霊を行われます。
両陛下がおそろいで平和公園を訪問されるのは1996年以来、天皇陛下おひとりでの慰霊は2009年以来となります。
愛子さまは被爆地・広島には中学3年生のときに修学旅行で訪れていますが、長崎を訪問されるのは初めてとなります。
ご一家は慰霊碑での供花のあと長崎原爆資料館を訪れ、展示を視察したあと、100歳を超える高齢者を含む被爆者や被爆の経験を語り継ぐ20代の語り部と懇談に臨まれます。
2日目の13日午前には、ご一家は「恵の丘 長崎原爆ホーム」を訪れ入居している80代から90代の被爆者と懇談される予定です。愛子さまはこのあと、お一人で帰京されます。
両陛下は長崎県に残り、午後は長崎県美術館を訪れ「全国障害者芸術・文化祭」の作品展を視察したあと、佐世保市に移動されます。
14日は、両陛下は佐世保市で行われる国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式に出席される予定です。
戦後80年の今年、天皇皇后両陛下は硫黄島、沖縄、広島を訪れ、それぞれ戦争犠牲者を慰霊されてきました。
また、公式訪問したモンゴルでは、戦後モンゴルで死亡した日本人抑留者の慰霊碑を訪れ、天皇皇后として初めて慰霊を行われました。
さらに先月行われた全国戦没者追悼式で天皇陛下は、お言葉の中に「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」という新たな文言を加え、過去の記憶を次の世代へ伝える大切さを強調されています。
両陛下と愛子さまは、今回の長崎訪問でも若い世代の語り部などと懇談される予定です。
この長崎訪問で両陛下は、戦後80年の節目に国内各地を巡る「慰霊の旅」を締めくくられることになります。
2025年9月12日 日テレNEWS
12日正午過ぎ、天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、長崎空港に到着されました。
今回の訪問は、両陛下は2泊3日の日程で、愛子さまは1泊2日の日程で長崎県を訪れ、戦後80年の節目にあたって原爆犠牲者の慰霊や被爆者らとの懇談などを行われます。
さらに両陛下は、長崎県で行われる国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式などに出席されます。
この後ご一家は長崎市内に移動し、戦後80年の節目にあたって、平和公園を訪れ「原爆落下中心地碑」に供花し、原爆犠牲者の慰霊を行われます。
両陛下がおそろいで平和公園を訪問されるのは1996年以来、天皇陛下おひとりでの慰霊は2009年以来となります。
愛子さまは、被爆地・広島には中学3年生のときに修学旅行で訪れていますが、長崎を訪問されるのは初めてとなります。
ご一家は慰霊碑での供花の後、長崎原爆資料館を訪れ展示を視察した後、100歳を超える高齢者を含む被爆者や、被爆の経験を語り継ぐ20代の語り部と懇談に臨まれます。
2日目の13日午前には、ご一家は「恵の丘 長崎原爆ホーム」を訪れ、入居している80代から90代の被爆者と懇談される予定です。
愛子さまは13日、お一人で帰京されます。
両陛下は長崎県に残り、13日午後と14日は国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式に出席するほか、展示などをご覧になる予定です。
この長崎訪問で両陛下は、戦後80年の節目に硫黄島、沖縄、広島と国内各地を巡ってきた「慰霊の旅」を締めくくられることになります。
2025年9月12日 日テレNEWS
両陛下と愛子さま長崎・平和公園で供花
天皇皇后両陛下と長女の愛子さまが12日、戦後80年の節目に長崎市の平和公園を訪れ「原爆落下中心地碑」に供花されました。
12日午後3時半ごろ天皇皇后両陛下と愛子さまは、長崎市内の平和公園に到着されました。
ご一家は「原爆落下中心地碑」に向かって静かに進まれます。
長崎に原子爆弾が落とされたのは1945年8月9日の午前11時2分で、ことし被爆から80年の節目を迎えました。
原爆落下中心地に設置された「原爆殉難者名奉安所」には20万1942人の原爆死没者の名前が記された名簿が奉安されています。
両陛下と愛子さまが白いテッポウユリとトルコギキョウ、デンファレの花を慰霊碑の前に供えられます。
ご一家は「原爆落下中心地碑」に深く頭を下げられました。
両陛下が即位後長崎を訪問されるのは初めてです。両陛下おそろいで平和公園を訪れるのは1996年以来で、当時は「平和祈念像」の前で供花されました。その後、平和公園が整備されたため、天皇陛下がおひとりで2009年に訪れた際は「原爆落下中心地碑」に供花されています。
また愛子さまは、被爆地・広島には中学3年生のときに修学旅行で訪れていますが、長崎を訪問されるのは初めてとなります。
両陛下が戦没者の慰霊に愛子さまを伴われるのは、6月の沖縄訪問以来、2度目となります。
ご一家はこのあと、長崎原爆資料館を訪れ展示を視察した後、100歳を超える高齢者を含む被爆者や、被爆の経験を語り継ぐ20代の語り部と懇談に臨まれます。
2日目の13日午前には、ご一家は「恵の丘 長崎原爆ホーム」を訪れ、入居している80代から90代の被爆者と懇談される予定です。
愛子さまはこの後、お一人で帰京されます。
両陛下は、長崎県に残り13日午後と14日は国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式に出席するほか展示などをご覧になる予定です。
戦後80年の今年、天皇皇后両陛下は硫黄島、沖縄、広島を訪れそれぞれ戦争犠牲者を慰霊されてきました。
また公式訪問したモンゴルでは戦後モンゴルで死亡した日本人抑留者の慰霊碑を訪れ天皇皇后として初めて慰霊を行われました。
さらに先月行われた全国戦没者追悼式で天皇陛下は、お言葉の中に「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」という新たな文言を加え、過去の記憶を次の世代へ伝える大切さを強調されています。
この長崎訪問で、両陛下は戦後80年の節目に国内各地を巡る「慰霊の旅」を締めくくられることになります。
2025年9月12日 日テレNEWS

天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、12日午後長崎に到着されました。
戦後80年の「慰霊の旅」にあたり、爆心地公園で原爆の犠牲者を追悼されました。
両陛下と愛子さまは12日正午過ぎ、特別機で長崎空港に到着し、出迎えた大石知事などとあいさつを交わされました。
両陛下がそろって長崎を訪問されるのは皇太子時代以来29年ぶりで、即位後は初めてです。
空港では集まった地元の人たちに笑顔で手を振られました。
諫早市・佐世保市民
「お三方を見られるのは空港が確実かなと思ったので頑張ってきました」「皆さん敬愛しているという感じで良かった」
大村市民
「両陛下並びに愛子親王殿下が笑顔でいられて こちらまでもが笑顔になりました」「場所、場所でお心を通わせているのではないかと思います」
KTN記者
「午後1時ごろの長崎市大黒町です。沿道には多くの方が集まっています」
愛子さまにとっても初めての長崎ご訪問です。
一目見ようと、長崎市内の沿道には子供から大人まで多くの市民が詰めかけました。
長崎市出身 広島県在住 1歳7カ月の子供と母親
「長崎に来ていただけるなんて光栄でしかない」「お目にかかるだけでもありがたいので(子供と)一緒に」
長崎市出身 福岡県在住の男性
「長崎の復興したまちも見ていただくのはもちろん(原爆が投下された)1945年、昭和20年の当時の姿も感じていただけるとありがたいと」
沿道から「愛子さま」「ようこそ」などと声が上がると、微笑みながら手を振り応えられていました。
2025年9月12日 テレビ長崎
両陛下と愛子さま、長崎原爆資料館で展示ご覧
天皇皇后両陛下と長女の愛子さまが長崎原爆資料館を訪れ、展示を視察したあと、被爆者や語り部らと懇談されました。
12日午後3時半すぎ、天皇皇后両陛下と愛子さまは、長崎市内の長崎原爆資料館に到着されました。
この資料館は原爆被爆50周年事業として1996年に開館し、遺品や被爆資料、再現展示などによって被爆の実相を伝え、平和を発信する拠点施設となっています。
長崎原爆資料館の常設展示室です。
天皇皇后両陛下と愛子さまは、長崎市街の地形模型の上に火球や熱線、爆風、火災、放射線がどのように広がって行ったかを示す展示をご覧になっています。
長崎に原子爆弾が落とされたのは1945年8月9日の午前11時2分で、ことし被爆から80年の節目を迎えました。
資料館への訪問前に両陛下と愛子さまは、平和公園にある「原爆落下中心地碑」に白い花を供え、原爆犠牲者を慰霊されました。
両陛下は即位後初めての長崎訪問で、また愛子さまは被爆地・広島には中学3年生のときに修学旅行で訪れていますが長崎を訪問されるのは初めてです。
両陛下が戦没者の慰霊に愛子さまを伴われるのは、6月の沖縄訪問以来2度目となります。
そしてご一家は、先ほどから被爆者らとの懇談に臨まれています。
最初に声をかけられたのは、4歳の時に被爆した田中重光さん84歳です。
田中さんは長崎原爆被災者協議会の会長で、また去年ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会=被団協の代表委員を務め、これまで国内外で講演し被爆体験の継承と平和発信を行ってきました。
続いて声をかけられているのは、中村キクヨさん101歳です。中村さんは21歳の時に被爆しました。
2008年には、国連本部で被爆体験を語り平和の発信に尽力してきました。
現在も平和公園の「長崎の鐘」を鳴らす活動などに参加しています。
両陛下は、このあとさらに2人の被爆者から話を聞き、また「伝承者」として被爆体験などを語り継ぐ活動やボランティア活動を行っている2人の20歳の男女とも懇談されます。先月行われた全国戦没者追悼式で天皇陛下は、お言葉の中に「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」という新たな文言を加え、過去の記憶を次の世代へ伝える大切さを強調されています。
今回の長崎訪問で両陛下は、戦後80年の節目に硫黄島、沖縄、広島と国内各地を巡ってきた「慰霊の旅」を締めくくられることになります。
2025年9月12日 日テレNEWS

天皇皇后両陛下と愛子さまは、12日午後、長崎市の原爆資料館で被爆者らと懇談しました。
このうち、長崎県被爆者手帳友の会の会員で101歳の中村キクヨさんは、
「21歳の時に被爆しました。親戚はみんな亡くなってしまいました。平和が一番大切だということを皆さんにお伝えしたい」と語りました。
天皇陛下は「ご親戚が亡くなられたのですか」と尋ねられ、中村さんは「遺骨はまだ見つかっていません」と答えました。
両陛下と愛子さまは、車いすに座った中村さんの話に身をかがめて耳を傾けられました。
懇談後、取材に応じた中村さんはこう振り返りました。
「私の姪や叔母が亡くなったので遺体を探しに、原爆が落ちた翌日行きました。その時の状況をお話しくださいとおっしゃったので、『人間が山のように積まれ、動物のように積まれて扱われていました。戦争のむごたらしさをこの身で感じました』と伝えました」
皇后さまは「本当に長い間ご苦労様でした。どうぞお身体を大事になさって、これからも少しでもご活躍ください」と声をかけられ、愛子さまも「若い方にもお話をなさるんですか」と質問されたといいます。
中村さんは「体は動きませんが、若い方に戦争がどんなものであるかを少しでも伝えています」と答え、愛子さまからは「頑張ってください」と励ましの言葉があったといいます。
中村さんは「101歳にもなって、天皇ご一家とお話ができ、一生懸命やってきてよかった、この思いが無駄ではなかったと思って涙が出ました。私たちの言葉を聞いていただき、本当にありがたく思っています。被爆者がどんな思いで生きているかを、外国でも伝えていただければ」と語りました。
2025年9月12日 NBC長崎放送

天皇皇后両陛下と愛子さまは、長崎市の原爆資料館で被爆者らと懇談されています。
このうち、長崎原爆被災者協議会の会長で、日本被団協の代表委員でもある田中重光さんは、父親が肝臓がんで亡くなったことや、孫のひとりが横隔膜がなく生まれ、生後3日で亡くなったことを語った上で、
「核兵器は絶滅だけを目的とした悪魔の兵器だと思います。この核兵器をなくすために、私たちはこれまで協力してきました。今後もよろしくお願いします」と伝えました。
陛下は「大変でございました」と述べ、被団協のノーベル平和賞受賞にも触れられました。
被爆者らとの懇談の中で、皇后さまは「体を大事にして下さい」と話されました。
また、愛子さまは「貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました」と話されました。
2025年9月12日 NBC長崎放送
両陛下と愛子さま「提灯奉迎」に参加
戦後80年の節目にあたり長崎県を訪れ、原爆犠牲者を慰霊された天皇ご一家は12日夜、地元の人々による提灯奉迎を受けられました。
天皇皇后両陛下と愛子さまは12日午後7時ごろ、長崎市内のホテルで地元の人々から提灯を使った歓迎を受けられました。
宿泊先のホテル近くに集まった人々が提灯を振ると、ご一家も部屋から提灯を振って応えられました。
地元の有志による「提灯奉迎」は、両陛下が地方を訪問した際に行われています。
愛子さまが、両陛下と共に提灯奉迎を受けられるのは、ことし6月の沖縄訪問以来、2度目となります。
12日、天皇ご一家は戦後80年の節目にあたって、長崎市内の平和公園を訪れ「原爆落下中心地碑」に供花し、原爆犠牲者の慰霊を行われました。
両陛下がおそろいで平和公園を訪問されたのは、1996年以来、天皇陛下おひとりでの慰霊は2009年以来です
愛子さまは被爆地・広島には中学3年生のときに修学旅行で訪れていますが、長崎を訪問されるのは初めてです。
続いてご一家は、長崎原爆資料館を訪れ、被爆当時の状況を伝える展示などを視察したあと、101歳の被爆者中村キクヨさんや、被団協=日本原水爆被害者団体協議会の代表委員を務める田中重光さんらと懇談されました。
さらに語り部やボランティア活動を行う20歳の男女2人とも懇談し、その活動をねぎらわれました。
2日目の13日午前には、ご一家は「恵の丘 長崎原爆ホーム」を訪れ、入居している80代から90代の被爆者と懇談される予定です。
愛子さまは13日、おひとりで帰京されます。
両陛下は長崎県に残り、13日午後と14日は国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式に出席するほか、展示などをご覧になる予定です。
この長崎訪問で両陛下は、戦後80年の節目に硫黄島、沖縄、広島と国内各地を巡ってきた「慰霊の旅」を締めくくられることになります。
2025年9月12日 日テレNEWS
(初日)天皇皇后両陛下ご感想
初めて3人揃って長崎県を訪れることができ、嬉しく思います。
今日は午後に平和公園を訪れ、原爆落下中心地で花をお供えし、80年前の原爆投下により犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、これまでの長崎の人々の苦難を思い、平和への思いを新たにしました。
長崎原爆資料館では実物資料や写真の展示、また井上館長の説明などから伝わってくる原爆被害の悲惨さや被爆された方々が受けた差別・偏見に深く心が痛みました。また、ジオラマを用いた説明を通じて被爆前後の長崎市外や被害の状況について理解を深めることができました。
その後、被爆された方々のお話を伺い、皆さんが経験された苦難の一端に触れ、そのご苦労を偲ぶとともに、皆さんがこれまでの辛い体験を自ら語ることを通じて平和の大切さを伝えておられることに深い敬意を抱きました。
被爆された方々の体験を伝承する活動をされている若い方々ともお話をしました。戦後80年が経ち、被爆を体験した世代が減りつつある中で、こうした若い人々の活動を通じて被爆された方々のご苦労を次の世代に語り継いでいくことは大変意義深いことと思いました。
初めて長崎県を訪れた愛子も改めて原爆被害の実相を肌で感じるとともに、苦難を乗り越えてこられた長崎の人々の強い平和希求の思いを深く心に刻んでいます。
夕刻、大石長崎県知事から長崎県勢の概要と県が現在取り組んでいる諸施策についてもお話を伺い、県が多くの離島・半島地域から構成されていることを踏まえ、遠隔教育や遠隔医療の充実に取り組まれていることなどについて理解を深めることができました。
今日は暑い中、多くの県民の皆さんに温かく迎えていただいたことに深く感謝いたします。
(2日目)両陛下と愛子さま、長崎原爆養護ホームを訪問
12日から長崎県を訪問中の天皇皇后両陛下と長女の愛子さまが、高齢の被爆者が入居する原爆養護ホームを訪問されました。
12日から長崎県を訪問中の天皇皇后両陛下と愛子さまは、13日午前、長崎市内にある「恵の丘 長崎原爆ホーム」に到着されました。
この施設は1970年、カトリックの女子修道会「純心聖母会」によって開設された被爆者養護施設です。
この施設を運営する「純心聖母会」の高平美智子理事長の出迎えに両陛下と愛子さまはにこやかに応じられ、その後、天皇ご一家は施設に入居する高齢の被爆者8人と懇談されました。
8月1日現在、この「恵の丘 長崎原爆ホーム」には特別養護ホームにおよそ300人、一般養護ホームにおよそ50人の高齢の被爆者が入居しています。
両陛下と愛子さまは12日、平和公園の「原爆落下中心地碑」を訪れ、花を供えて原爆犠牲者を慰霊した後、被爆者や若い世代の語り部らと懇談されました。
その後、両陛下は訪問初日を終えての感想を公表し、「被爆された方々のお話を伺い、皆さんが経験された苦難の一端に触れ、そのご苦労をしのぶとともに、皆さんがこれまでの辛い体験を、自ら語ることを通じて、平和の大切さを伝えておられることに、深い敬意を抱きました」と述べられました。
さらに、被爆体験を伝承する活動を行っている若い世代について、「戦後80年が経ち、被爆を体験した世代が減りつつある中で、こうした若い人々の活動を通じて、被爆された方々のご苦労を次の世代に語り継いでいくことは大変意義深いことと思いました」とつづられています。
愛子さまはこの後、お一人で帰京の途につかれます。愛子さまは今回が初めての長崎訪問で、両陛下の「慰霊の旅」に同行されるのは、6月の沖縄訪問に次いで2度目となりました。
両陛下は長崎県に残り、13日、14日と国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式に出席するほか、展示などをご覧になる予定です。
2025年9月13日 日テレNEWS

長崎県に滞在中の天皇、皇后両陛下と長女愛子さまは13日午前、長崎市内の「恵の丘長崎原爆ホーム」を訪問された。80~90代の被爆者8人と懇談。被爆体験だけではなく、約350人が暮らすホームでの生活も話題になり、笑顔で握手を交わす場面もあった。
入所者は車椅子などに座り、ご一家は腰を落としてそれぞれの被爆体験に耳を傾けた。「つらい思いをなさいましたね」「ご無事でよろしかったです」などと伝え、今の生活についても質問。手芸や歌を楽しんでいるといい、皇后雅子さまが「若々しい」と応じるなど笑い声も広がった。
最後に天皇陛下は「お体にどうぞお気を付けて」、皇后雅子さまは「今日はお会いできてうれしく思いました」と伝え、懇談は30分ほどで終わった。
小川ハツヱさん(84)は4歳で被爆。部屋でままごとをしていたが、ガラス戸からとっさに離れて命拾いをした体験を語った。懇談後の取材に「被爆の話を聞いていただいて、優しいお人柄だと思いました」と話していた。
原爆ホームは、介護が必要になった被爆者専用の入居施設。被爆者援護法に基づいて設置されている。広島、長崎両県にあり、両陛下は今年6月の広島市訪問の際は「矢野おりづる園」に足を運んだ。
戦後80年にあたり、ご一家は12日に長崎に入り、平和公園や原爆資料館を訪ねた。13日午後からは「国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭」に関係する日程となり、愛子さまは同行せずに帰京する。両陛下は14日に佐世保市で開会式に臨む。
2025年9月13日 毎日新聞
天皇皇后両陛下、長崎県美術館を訪問
天皇皇后両陛下は13日午後、長崎県美術館を訪問されました。
「全国障害者芸術・文化祭」の障がい者作品展が開かれていて、両陛下は空飛ぶ鳥が上から見下ろした街並みを繊細に再現した絵画の説明を受けながら、作者に「書かれるのに どのくらいの時間を?」と質問されていました。
また下書きをすることなく、画用紙に一筆書きのようにハサミを入れる「切り絵」作品の実演を見て、陛下は「指先が本当に器用ですね」、皇后さまは「どういうハサミを使われて?」などと関心を示し、できあがった恐竜の作品をプレゼントされると、両陛下は「ありがとうございます」と喜ばれていました。
両陛下はこの後、佐世保市に入られ、14日に行われる「ながさきピース文化祭」の開会式に出席されます。
愛子さまは、2日間の戦後80年にあたっての日程を終え、午後4時半ごろ、長崎空港から帰京の途につかれました。
2025年9月13日 長崎国際テレビ
愛子さま 長崎訪問を終え帰京へ
長崎県を訪問していた天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは戦後80年にあたっての訪問日程を終え、さきほど長崎空港からお一人で帰京の途につかれました。
愛子さまは、13日午後4時15分頃、長崎空港で長崎県副知事らの見送りを受けられました。
愛子さまは、にこやかに会話を交わされています。
愛子さまにとって今回が初めての長崎訪問で、両陛下の「慰霊の旅」に同行されるのは6月の沖縄訪問に続いて2度目となりました。
天皇ご一家は12日、戦後80年の節目に長崎市の平和公園の「原爆落下中心地碑」に花を供え、原爆の犠牲者を慰霊されました。
その後、長崎原爆資料館を訪れ被爆当時の状況を示す展示を見た後4人の被爆者や、語り部活動などを行う20歳の2人の男女と懇談されました。
13日午前には、「恵の丘長崎原爆ホーム」を訪れ高齢の入居者8人と懇談し愛子さまは「普段はどのように過ごされていますか」などと尋ね、両陛下と共に入居者の手を握られる場面もありました。
両陛下は、12日夜、初日を終えて次のような感想を公表されました。
「初めて3人そろって長崎県を訪れることが出来、うれしく思います。」「初めて長崎県を訪れた愛子も、改めて原爆被害の実相を肌で感じるとともに、苦難を乗り越えてこられた長崎の人々の強い平和希求の思いを深く心に刻んでいます。」
両陛下は、引き続き長崎県で国民文化祭の行事などに出席されます。
愛子さまは、長崎空港から民間機に乗り込み一足先に帰京の途につかれました。
2025年9月13日 日テレNEWS
(2日目)天皇皇后両陛下ご感想
「今日は午前に恵の丘長崎原爆ホームを訪問し、入所者の方々と懇談しました。このホームは、原爆で大勢の生徒さんを亡くされた純心女子学園のシスター方が、生徒さんたちの慰霊のために、その生徒たちに代わって原爆で傷つかれた方々を迎え幸せな生活を送ることができるよう願って作られ運営されてきた原爆ホームと伺い、感銘を受けました」
「原爆で大変な想いをされた入所者の方々が、いまこのホームで穏やかな日々を送っておられることに安堵し、嬉しく思いました。入所者の方々からは、被爆体験やその後の様々な困難、またそうしたご苦労を乗り越えてこられたお話も伺いました」
「私たちと一緒に愛子も熱心に耳を傾けて入所者の方々のお話を伺っており、皆さんが経験された大変な苦難の一端に触れることを通じて、戦争の悲惨さや平和の大切さについて想いを新たにしたものと思います」
「また午後は長崎県美術館を訪問し、第25回全国障がい者芸術・文化祭の全国障害者作品展 アール・ブリュット展を鑑賞しました」
「出展された作家の方々が描かれた色彩豊かなアクリル画や精緻な鳥瞰図、独創的な切り絵について、それぞれ集中力を要する制作過程と出来上がった作品の繊細さや美しさが深く心に残りました」
「また作家の方々やご家族から、作品の特徴や工夫したところなどを伺い、作家の皆さんの作品制作にかける情熱を肌で感じることができました」
「全国障がい者芸術・文化祭をはじめとするさまざまな催しを通じて、障がいのある方々が制作された作品の素晴らしさがより多くの人々に知られるようになることを願っております」
「今日は雨も降る蒸し暑さの中、多くの県民の皆さんに温かく迎えていただいたことに感謝いたします。あすの国民文化祭事業、みんな集まれ!ダンス&ダンスやながさきピース文化祭2025開会式を楽しみにしています」
<情報は随時更新されます>