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秋篠宮妃の紀子さまは、60歳=還暦の誕生日を迎えられました。
宮内記者会の質問への文書回答では、還暦にあたり、「これまでの積み重ねのもと、天皇、皇后両陛下をお支えしながら一つ一つのお役目を大切に果たしていくことができましたらと思っております」と抱負をつづられた。
情報はこの後も、随時更新されます
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秋篠宮妃紀子さまは、11日、還暦を迎えられました。
紀子さまは、60歳の誕生日に際し、宮内記者会からの質問に文書で回答されました。
還暦にあたっては「今というときを大切にし、これからも学びつつ、つながりを紡いでいくこと、また新たなことにも取り組むことができましたら」と抱負をつづり、「これからの世の中を担っていく、若い人たちの活躍にエールを送ることにも努めていきたい、という思いを強く持つようになりました」と今の心情を記されました。
また親子での公的な活動では、佳子さまや悠仁さまの意見を聞き、学ぶことや教えられることもあると明かし、佳子さまと悠仁さまがお二人での活動に臨む前によく話し合っている様子を「心強く思いながら、見守っています」とつづられました。
二十歳になった悠仁さまについては「赤坂に戻ってきたときには、生き生きとした表情でつくばでの様子を話してくれる」とした上で、周囲に支えられ経験を重ねていることに感謝を記されました。
一方、皇室典範の改正については、「事実として受け止めている」とし、「佳子や悠仁には改正されたことを話しました」「子どもたちの幸せを願いながら、見守っていきたい」と述べるにとどめられました。
2026年9月11日 日テレNEWS
秋篠宮妃紀子さまが11日、60歳の誕生日を迎え、文章で感想を寄せられました。皇室典範が改正されたことに触れ、佳子さまや悠仁さまの幸せを願われました。
紀子さまは誕生日にあたって寄せた文章の中で、23歳で結婚して皇室に入って以降の暮らしについて振り返られました。
「結婚した頃は、初めてのことばかりで無我夢中ですごしたように思います。皇族として、宮中における諸行事をはじめ、都内や遠出をしての式典への出席、さらに外国を訪れたり、海外からのお客さまをお迎えしたりと緊張の連続でしたが、宮さまがそばにいらしてくださり、いざというときにサポートしていただいたこともあり、心強かったことを覚えております」
さらに、この一年、日本各地に足を運んだことや今年8月にパラグアイを公式訪問された感想を記した紀子さまは、次女・佳子さまや長男・悠仁さまと一緒に公的な活動に励んできたことについて、次のようにつづられました。
「親子で活動することの意義ですが、同じ場所で経験を共有し、お互いに感じたことを伝え話し合うことによって、新たな気づきがあり、それぞれの活動への向き合い方を深めていくヒントを得ることができるのではないかと思います。また、それぞれが単独で務めているときに経験したことを、家族の中で伝えたり、話し合ったりすることも、意義があるように思います。佳子や悠仁の意見を聞いていると、親の私たちが学んだり、教えられたりすることもあります。佳子と悠仁が2人で仕事をすることもあり、そのときはよく話し合っているようです。そのような2人の様子を心強く思いながら、見守っています」
去年、成年式にのぞまれた悠仁さまについては「つくばでは、一人の学生として大学での学びや課外活動に取り組み、赤坂に戻ってきたときには、生き生きとした表情でつくばでの様子を話してくれ、充実した生活を送っているように思います」としました。
そして、今年7月に改正皇室典範が成立したことについては「事実として受け止めております。佳子や悠仁には改正されたことを話しました。将来にわたって子どもたちの幸せを願いながら、見守っていきたいと思います」と締めくくられました。
2026年9月11日 TBS NEWS DIG
秋篠宮皇嗣妃殿下のお誕生日に際してのご近影
<写真>
https://www.kunaicho.go.jp/watch/gokinkyo/gokinkyo03/r08-0911-ph.html
<ビデオ>
https://www.kunaicho.go.jp/watch/gokinkyo/gokinkyo03/r08-0911-mov.html
(いずれも宮内庁公式)
宮内記者会の質問に対する文書ご回答
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「お互い、どんな点に惹かれたのでしょうか」の質問に…
「生物、例えば御所内で飼ってらっしゃるナマズやアヒルなどをかわいがっておられるお姿や、熱心に魚類を研究しているお姿に強く惹かれました。タイのお酒、メコンに誘われるまま、先生やお友達と語り合い、またギターを弾かれたりするご様子、そんなところに惹かれました」 皇室会議で秋篠宮さまと紀子さまの結婚が決まったのは1989年9月12日のことだ。その直後の記者会見で、「お互い、どんな点に惹かれたのでしょうか」と、記者から尋ねられた紀子さまは、少しはにかみながら、このように答えている。 一方で、秋篠宮さまは次のように話した。 「話をしていて楽しい人。また、どことなく愛きょうがあるというか……」 「付け加えると、(紀子さまは)非常に話題が豊富な方じゃないかと思っております」
学習院大学での出会い
1985年5月、学習院大学法学部2年だった秋篠宮さまは、文学部に入学したばかりの紀子さまと大学構内の書店で初めて出会った。出会ってすぐ秋篠宮さまは、当時、家族で暮らしていた東宮御所に、紀子さまを招き、両親に紹介した。その後もしばしば、紀子さまは東宮御所を訪問し、上皇ご夫妻とテニスを楽しんだり、お茶の席を共にしている。
上皇ご夫妻は、「キコちゃん」と親しく呼んで、とてもかわいがった。秋篠宮さまが小学校時代の友人らと、一緒に始めた大学サークル「自然文化研究会」に、紀子さまは入会した。二人は、全国各地を仲間たちとともに訪れ、愛を育んだ。
交差点でプロポーズ
1986年6月26日、学習院大学近くの交差点で秋篠宮さまは、紀子さまにプロポーズした。初めて出会ってからわずか、一年余のことだった。
そして、1990年6月29日、二人は結婚し、秋篠宮家を創立した。このとき、24歳だった秋篠宮さまは英国留学直後で、紀子さまは大学院生だった。
結婚式当日の朝、紀子さまと家族は、学習院共同住宅にある自宅から階段で屋外に降りてきた。紀子さまはピンクのワンピース姿で、同じ色の帽子、胸には真珠のネックレスが輝いていた。宮内庁からの迎えの車に乗り込む紀子さまを、父親の学習院大学名誉教授、川嶋辰彦さん(故人)らが温かく見送った。
結婚前には「その瞬間の気持ちを大切にし、そのときに何か伝える言葉があれば」と、語っていた辰彦さんだったが、紀子さまの手を握り、なかなかその手を放すことはなかった。
空前の“紀子さまフィーバー”
婚約会見から結婚後にかけて、空前の「紀子さまフィーバー」が、全国各地で巻き起こった。
〈《婚約が決まってから、紀子さん人気はアイドル、いやそれ以上の国民的レベルに広がった。行く先々でカメラの放列が敷かれ、あのはにかむような紀子スマイルがますます恥じ入りそうにこぼれると、それがまた「カワイイーッ」となるのであった》〉
結婚直後、「毎日グラフ臨時増刊 おめでとう礼宮・紀子さま」(1990年7月発行)は、このように綴った。さらには美容室で、髪をセットしてもらう様子や演奏会に家族で訪れた時の紀子さまのプライベート写真などが掲載されている。紀子さまは、どこへ行っても、過剰ともいえるマスコミ取材を受け、大勢の市民たちに取り囲まれた。
「3LDKのプリンセス」と呼ばれて
それは、当時は珍しかった学生同士の恋愛結婚であったことや、学習院のアパートに家族で暮らしていたという親しみやすさが背景としてあるだろう。「3LDKのプリンセス」と呼ばれた紀子さまは、キャンパスで芽生えたラブストーリーの主人公として、日本中から熱い視線を浴びていた。
その一方で、ご結婚によって紀子さまの生活は一変した。一躍時の人となり、一人で街を出歩くことはかなわなくなった。
「都心の書店で、書棚から自由に本を取り出して読んでみたい」
結婚から1年ほど経った頃に紀子さまがそう希望したことがあったと、ある関係者が教えてくれた。車で移動される際には、窓越しに街の様子を注意深く眺めていたという。
「結婚していなければ、しんどかったでしょうね」
皇室に嫁ぐという大きな変化を受け入れた紀子さまだが、秋篠宮さまにとってその結婚は、どのようなものだったのか。
「(秋篠宮さまは)将来、幸せな結婚ができるのかということも、大きな心配事だったように思います」
秋篠宮さまをよく知る赤木攻・大阪外国語大学名誉教授はこのように語ったことがある。筆者のインタビューに対し「結婚していなければ、しんどかったでしょうね」と振り返り、こう語った。
〈「でも家庭をもち、一人じゃなく二人になった。そして家族が増えた。人生の悩みの一つが解決したことで、落ち着きや余裕が生まれた。お酒の量も減ったしね。お行儀もよくなられた。紀子さまは、とても気さくでユーモアのある方。(略)お父さんの川嶋辰彦先生の留学の関係で小さい頃に米国などで育っているので、考え方が欧米流というか、自由で柔軟です。ご夫妻で意見が違っても、最終的にはお二人でにこやかに『じゃあ、そうしましょう』となることが多い。紀子さまが生涯のパートナーで良かったと思います」(「週刊文春」2025年12月11日号)〉
紀子さまの人生が再び大きく動くこととなるのは、結婚から16年後のことだ。(つづく)
美智子さまも「大層心配」…紀子さまは39歳、帝王切開でご出産 秋篠宮ご夫妻が医師から“聞かなかったこと” へ続く
2026年9月11日 江森敬治 文春オンライン
9月11日、秋篠宮妃紀子さまが還暦を迎えられた。紀子さまのお立場を大きく変えた、秋篠宮さまとのご結婚と悠仁さまのご出産。その節目ごとに、どのようなドラマがあったのか。秋篠宮家に詳しく、秋篠宮さまの貴重な肉声をつづった『秋篠宮』(2022年/小学館)などの著書をもつジャーナリストの江森敬治氏が、その歩みを振り返る。(全2回の2回目)
41年ぶりとなる男子の誕生
「ごくろうさんでした」「帰ってまいりました」
2006年9月6日午前8時27分、悠仁さまが生まれた。身長48.8センチメートル、体重2558グラムの親王さまだった。皇室にとっては秋篠宮さま以来、じつに41年ぶりとなる男子の誕生だった。
紀子さまは、東京都港区の愛育病院に入院していた。胎盤の一部が子宮口をふさぐ「部分前置胎盤」だったため、予定日より約20日早い帝王切開での出産となった。
当時39歳、5日後に40歳の誕生日を控えていた紀子さまは、現皇室の最高齢出産となった。
帝王切開手術は、この日午前8時23分に始まり、同9時7分に終了した。予想外の大量出血などもなく、「母子ともに手術後の経過も順調」で、手術室を出た紀子さまを秋篠宮さまが優しく出迎えた。それが前述したようなやりとりで、「ごくろうさんでした」と、殿下がねぎらうと、紀子さまは「帰ってまいりました」と、明るく答えたのだった。
美智子さまも心配されていた「部分前置胎盤」
「私が初めて子どもを授かった四十数年前、前置胎盤は非常に恐れられていた状態でした。特に当時まだ20代半ばであった私は、お産は太古も今もそう変わるはずはないという思いから、その頃より更に一時代前、母が読んだという、安井修平先生の書かれたお産関係の本1冊を唯一の参考書にしておりましたので、その本で読んだ前置胎盤の怖い記述が思いだされ、大層心配いたしました。現在も危険の可能性こそ変わりませんが、その後の医学の進歩により、安全なお産に導いていただけることを知らされ、安堵いたしました」
悠仁さま誕生から1カ月余が過ぎた2006年10月20日に72歳の誕生日を迎えた上皇后美智子さまは、その折に発表された文書で、このように綴っている。美智子さまが、母子の状態を、とても心配していたことがよく分かる。
皇室典範では、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定められており、女性皇族は天皇になれず、結婚すると皇室を離れることになる。1969年4月18日、秋篠宮さまの妹である黒田清子さんが誕生してから、2001年12月1日、現在の天皇皇后両陛下の長女、敬宮愛子さままで、じつに連続して9人の女性皇族が生まれ、皇位を安定的に継承する上で危機的な状況が続いていた。
この非常時を救ったのが、悠仁さまだった。
「悠仁さま誕生」第一報が飛び込んできた瞬間
悠仁さまが生まれた日、私は東京・赤坂のTBSテレビで、紀子さま出産の緊急報道特別番組に出演していた。「悠仁さま誕生」の第一報が番組に飛び込んで来ると、出演者たちは一様に驚き、まるで奇跡が起きたかのような興奮に包まれた。
紀子さまの実家がある東京・目白では「祝親王ご誕生」の看板や季節外れの鯉のぼりが飾られ、祝賀ムードにあふれた。都心では、「紀子さま男子ご出産」の大見出しが躍る新聞の号外が配られ、道行く会社員たちは奪い合うようにしてそれを読みふけった。
性別は事前に聞かなかった
9月6日午前、執刀した主治医の中林正雄・愛育病院院長と宮内庁の金沢一郎・皇室医務主管がそろって記者会見し、出産前後の親子3人の様子などを説明した。記者からは、「秋篠宮ご夫妻は事前に性別などの情報をお持ちだったのか?」との質問も上がった。それに対して、以下のような回答だった。
中林院長 性別や障害などの情報は、両殿下ともお知りになりたくない、という話だったので超音波の医師にも伝え、医師団の誰も正確な情報を持っていなかった。
金沢皇室医務主管 両殿下とも単に知りたくないということでなく、どんな状態の子どもであっても、自分たちの子どもだから受け入れたいんだというお気持ちが非常に強い。今までもそうだったし、今回もそうだった。非常に感銘深かったので、お伝えしたい。
9月12日、「命名の儀」が愛育病院で行われ、新宮さまは「悠仁(ひさひと)」と名付けられた。宮内庁によると、「悠」には「長い、ゆったりとした」という意味があり、「ゆったりとした気持ちで、長く、久しく人生を歩んでいくことを願って」命名されたという。
ご出産に抱かれていた不安
2006年11月24日、41歳の誕生日を前に、秋篠宮さまが記者会見した。このとき、悠仁さまが生まれてから2カ月半が過ぎていた。記者たちは改めて、出産前後の気持ちやエピソードなどを尋ねた。 その際、紀子さまは抱えていた不安、そして秋篠宮さまへの感謝を語っている。
「宮様も私が入院している間、また入院する前、久しぶりに経験する出産、そして、それに加えて前置胎盤であること、そのような中で不安を持っている私を冷静にまた優しく支えてくださり、必要な医学的な事柄をわかりやすく話してくださり、大変うれしゅうございました」
「家族5人の日々が始まっていることに感慨を覚えます」
また、秋篠宮さまは次のように語っている。
「私たちにとって男の子というのは今まで経験がないことですので、どのような経緯をたどって成長するのか、分かりません。ただ、基本的には長女、次女と同じように接するつもりでおります。今の段階で言えますのは、元気に育ってくれることを願っているということです」
そして、紀子さまは、家族との近況などを紹介した。
「悠仁を囲みながら家族でにぎやかに過ごしているとき、10年以上も前、幼い娘たちを夢中になって育てながら仕事をしていた若いころを思い出します。中学生と小学生になりましても、宮さまと私に多くの楽しみと喜びを与えてくれます。そして今、家族5人の日々が始まっていることに感慨を覚えます」
秋篠宮さまが明かしていた紀子さまへの感謝
あれから20年の歳月が経った。紀子さまに、秋篠宮さまはどのような思いを抱いているのだろうか。私は数年前、直接、尋ねてみたことがある。
「結婚して以来、今日まで、自分勝手で独善的とも思える夫によくついて来てくれたと感謝しています。私と比べれば、子どもたちの養育などではるかに多忙な日々ですが、そのような中で、自分の関心を持ったことを着実に進めているところは、とても立派だと思います」(『秋篠宮』より)
妻への敬意を込めて、そう明かしてくれたのだった。
2026年9月11日 江森敬治 文春オンライン

