
こんにちは、ラベンダーです。
天皇皇后両陛下のモンゴル訪問を速報します。
第二次世界大戦後、旧ソ連によって抑留され亡くなった日本人を現地で慰霊されるのは歴代天皇で初めてです。
今回は、国際親善という意味だけでなく、戦後80年の慰霊の旅でもあるわけです。
モンゴル訪問の概要は、以下の記者会見記事をご参照ください。




天皇皇后両陛下、モンゴル公式訪問に出発
天皇皇后両陛下は6日午前、歴代天皇で初めてとなるモンゴル公式訪問に出発されました。
天皇皇后両陛下は6日午前10時20分ごろ皇居を出発されました。両陛下は車の窓を開け、集まった人たちに笑顔で手を振られました。
羽田空港では暑さを考慮して、秋篠宮ご夫妻らによる見送りは急きょ室内で行われ、両陛下は、にこやかに見送りを受けられました。
両陛下は政府専用機に乗り込み、モンゴルの首都ウランバートルに向かわれました。モンゴル訪問は歴代天皇で初めてとなります。
国賓として歓迎式典や晩餐会に出席するほか、第二次大戦後に捕虜としてモンゴルに抑留され亡くなった日本人慰霊碑に供花されます。
両陛下の国際親善訪問は即位後3度目で、13日に帰国される予定です。
2025年7月6日 日テレNEWS
天皇皇后両陛下、モンゴルに到着
天皇皇后両陛下は日本時間の6日午後4時前、現地時間の午後3時前、モンゴルの首都ウランバートルの近郊にあるチンギス・ハーン国際空港に、およそ5時間のフライトを経て政府専用機で到着されました。モンゴル訪問は歴代天皇として初めてとなります。
両陛下は民族衣装の女性の出迎えをにこやかに受けられ、差し出された銀の杯からモンゴルの乳製品アーロールをつまみ、口にされました。そして、花束がそれぞれに手渡されました。
出迎えるのはモンゴルのバトムンフ・バトツェツェグ外務大臣です。両陛下は挨拶し、握手を交わされました。
両側にモンゴルの儀仗兵が、およそ40人並ぶ中、両陛下は外務大臣の先導で、レッドカーペットを進まれました。
また空港では、井川原賢在モンゴル特命全権大使夫妻らも出迎えました。両陛下はモンゴル訪問を控えた先月27日、井川原大使からモンゴルの情勢などについて説明を受けられています。
両陛下は6日から13日までの8日間、ウランバートルに滞在されます。
8日にはウランバートルの中心部スフバートル広場で、国賓として歓迎式典に臨んだ後、フレルスフ大統領夫妻と懇談し、大統領夫妻主催の晩餐会では、お言葉を述べられる予定です。
また、日本人死亡者慰霊碑を訪れ、第二次大戦後に捕虜として旧ソ連からモンゴルに送られ、抑留中に亡くなった日本人およそ2000人を悼み、供花されます。
11日はモンゴルの国民的なスポーツの祭典「ナーダム」の開会式に出席し、弓や競馬の競技を観戦される予定です。
両陛下の国際親善訪問は去年のイギリス訪問以来で、即位後3度目となります。
2025年7月6日 日テレNEWS
モンゴル訪問2日目
チンギス・ハーン国立博物館を視察
国賓としてモンゴルを訪問中の天皇陛下は、チンギス・ハーンの時代に焦点をあてた国立博物館を視察されました。
日本時間午前11時ごろ、陛下はモンゴルの首都・ウランバートル市内にある博物館に到着されました。
この博物館はモンゴルの英雄=チンギス・ハーンの時代に焦点をあてた施設で、宮内庁によりますと、モンゴルの歴史に敬意を表し、最初の訪問先として選ばれたということです。
両陛下はきのう、政府専用機でモンゴル入りし、空港でモンゴル式の歓迎を受けられました。
皇后さまは公式行事に備え、きょうはホテルで体調を整えられることになっていて、あすは両陛下そろって歓迎式典や大統領夫妻主催の晩さん会などに出席するほか、先の大戦後、モンゴルで亡くなった日本人抑留者の慰霊碑に供花される予定です。
(太字、下線等はラベンダーによる)
2025年7月7日 TBS NEWS DIG
日本支援のウランバートルの「上下水道公社」を訪問
モンゴルを訪問中の天皇陛下は、日本が支援しているウランバートルの水道施設を訪問されました。
午後2時ごろ、陛下はウランバートル全体の水道を管理する「上下水道公社」を訪問されました。
ウランバートルの「ゲル地区」では、ほとんどの地区でいまだに水道が整備されておらず、住民は生活用水をくみに行くのが日課となっています。
女子中学生(13)は「1日3回水くみにいきます。そう、大変です。水を運ぶと手と肩が痛くなります」と話していました。
この施設は「ゲル」地区にも安全な水を供給していて、陛下は、給水システムなどを日本が支援していることについて説明を受けられました。
陛下は、「水道管の維持管理はどのように進めているのでしょうか」などと質問を重ねられました。
2025年7月7日 FNNプライムオンライン
市の東部にあるガチョールト水源に移動
天皇陛下は7日午後、首都ウランバートル市全体の上下水道を管理する上下水道公社を訪問されました。
1990年のモンゴル民主化以降、日本は上水道供給施設の整備などを無償資金協力で支援してきました。
「水問題」を研究する陛下は、日本の支援したプロジェクトによって、モンゴルの伝統的なテント式住居「ゲル」の多い地区への水の供給が改善されたとの説明を興味深そうに聞き、さらに「地下水はこの辺りでは少し年によって変動があるんでしょうか」と質問されていました。
その後、陛下は市の東部にあるガチョールト水源に移動し、貯水施設の屋上から取水井戸を視察されました。
両陛下は8日、歓迎式典などの公式行事に臨まれます。
2025年7月7日 日テレNEWS
モンゴル訪問3日目
天皇皇后両陛下、国賓として歓迎式典に


国際親善のためモンゴルを公式訪問している天皇皇后両陛下は、首都ウランバートルで国賓として歓迎式典に臨まれました。
天皇皇后として初めてモンゴルを訪問している両陛下は、現地時間の8日午前10時頃から、ウランバートル中心部の政府庁舎前にある広場でフレルスフ大統領夫妻とともに歓迎式典に臨まれました。


天皇陛下は、礼砲と君が代の演奏で歓迎を受けたあと、儀じょう隊の栄誉礼を受け、大統領とともに整列した隊員を巡閲されました。
広場の周りには、民族衣装を着て両国の国旗を持った人や「ありがとう日本」と日本語とモンゴル語で書かれた横断幕を持った人などが詰めかけて式典の様子を見守り、両陛下はモンゴルの閣僚らと握手を交わしたあと、モンゴル側の関係者として出席した大相撲の元横綱、朝青龍、日馬富士、白鵬とことばを交わされていました。
そして、大統領夫妻とともに階段を上り、モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハーンの巨大な像の前に進んで一礼したあと、振り返って手を振られました。
このあと両陛下は、庁舎内にある賓客応接用の「ゲル」で1時間余りにわたって大統領夫妻と会見されました。


会見の冒頭、大統領は「両陛下の国賓としての訪問は大変喜ばしいことで、心から大歓迎します。モンゴル国民の融和と独立の象徴でもあるナーダムの開会式に賓客として出席されることは、モンゴル人にとって大変光栄でうれしく思います。両国の国民の間の友好や友情、親善関係を発展させるうえで、大変すばらしい訪問になることを確信しています」と述べました。
これに対して天皇陛下は「皇后とともに訪れることができましたことを、大変うれしく思っています。心温まる大変すばらしい歓迎式典を催していただき、心から感謝しております。今回、2人でそろってモンゴルの歴史や社会、文化に触れることを大変楽しみにしています」と話されました。
また、皇后さまも「モンゴルの自然に触れる機会を楽しみにしています」と述べられたということです。
(以下、略)
2025年7月8日 NHK
天皇皇后両陛下は現地時間の8日午前10時ごろ、国賓として歓迎式典に臨むためモンゴルの首都ウランバートルの中心部にあるスフバートル広場に到着されました。
フレルスフ大統領夫妻が出迎え両陛下は挨拶を交わされました。両陛下が大統領夫妻と会うのは夫妻が2022年11月に来日した際、お住まいの御所で懇談されて以来です。
両陛下は民族衣装を着た子どもからそれぞれ花束を受け取られました。
広場の前にあるのは大きな「政府庁舎」で正面中央には巨大なチンギス・ハーン像があり、さらに両側に今回の訪問に合わせて大きな日の丸とモンゴルの国旗が掲げられています。
またこの広場に面したビルの壁面には、ご訪問に合わせて両陛下の巨大な肖像写真が掲げられています。
天皇陛下は、大統領とともに広場の中央を望む壇上に移動されます。皇后さまも大統領夫人とともに移動されました。
儀仗兵隊長が天皇陛下に歩み寄り、モンゴル語で言葉を発し、陛下は栄誉礼を受けられました。
それをきっかけに、音楽隊が「君が代」の演奏を始めました。
広場に21発の礼砲が響き渡る中、陛下は大統領の隣で演奏に聞き入られました。続いて音楽隊はモンゴル国歌の演奏を行いました。
陛下は、大統領とともに儀仗隊の前を歩き挨拶されました。これに対し、儀仗隊から答礼がありました。
そして再び広場の中央を臨む壇上に戻られました。
天皇陛下は大統領とともに儀仗隊が演奏しながら行進する様子をご覧になっています。
その後、両陛下は大統領から歓迎式典に参列するモンゴルの閣僚らの紹介を受け、挨拶を交わされました。
この中には大相撲の第68代横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさんや、第69代横綱の白鵬さん、第70代横綱・日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジさんの姿もあり、両陛下は、それぞれに声をかけられました。
この広場周辺の建物や道路は、第二次大戦後に捕虜として旧ソ連からモンゴルに送られ抑留された日本人が基礎工事に当たったものです。
日本人抑留者は、モンゴルで都市建設に従事させられ、政府庁舎や、国立オペラ・バレエ劇場など、日本人抑留者が建設に携わった建物は今もウランバートルの主要な施設として使われています。
訪問前の記者会見で、陛下は「抑留された方々が厳しい環境にありながらも自分たちの仕事に力を尽くしたことは、モンゴル国民からの尊敬を集めたと聞いています。実際に、前回モンゴルを訪問した際に、ウランバートル中心部のスフバートル広場近くにある国立オペラ・バレエ劇場の立派なたたずまいが目をひいたのですが、この劇場が、先の大戦中に日本人の捕虜によって建てられたものであることを知り、極寒の地で建設に携わった人々の苦難に思いをはせたことを記憶しています」と語られています。
抑留者が建設に従事した建物を前に、歴代天皇で初めて国賓としてモンゴル政府の歓迎を受けられました。
続いて、日本側の随員の前に移動され、宮内庁の伊原純一・式部官長から随員が大統領夫妻に紹介されます。
今回モンゴル訪問の首席随員を務めるのは元外務大臣の河野太郎衆議院議員です。
両陛下は大統領夫妻とともにチンギス・ハーン像にむかって正面の階段を上り一礼されました。
そして、振り返り広場に集まった市民らに手を振られました。
その後、政府庁舎の中に入り両陛下はゲストブックへの記帳を行われました。
このあとは大統領夫妻と会見に臨み午後はウランバートル市の北部にある「日本人死亡者慰霊碑」を訪れ、第二次大戦後、旧ソ連によって連行されモンゴルで抑留中に亡くなった日本人およそ2000人を悼み供花される予定です。
2025年7月8日 日テレNEWS
歓迎式典には、大相撲の第68代横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん、第69代横綱の白鵬さん、第70代横綱・日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジさんも出席し、両陛下は、それぞれに声をかけられました。
その後、3人の元横綱が取材に応じました。
──歓迎式典を終えましたけども、出席されて感想をお願いします。
日馬富士
「いや本当に今日はお会いできて、本当に光栄に思います。本当に、雨も降って、国民の皆様も大変喜んで、感激しております、嬉しいです」
──ご会釈されましたけれどもどんな思いになりましたか?
日馬富士
「本当にいや、もう嬉しいだけですよ。はい」
朝青龍
「学校の先生なんだから、もっとビシッと決めてよ」(一同爆笑)
──白鵬さん。改めて今の歓迎式典に出られて、感想をお願いします。
白鵬
「そうですね、モンゴルに来るってことってなかなかないですから。本当に来ていただいて、うれしく思いますし、あとそうですね、ちょっとね、父とお会いしたことも、春の園遊会で会ったことを覚えていただいて、まあもったいない言葉をいただきましたが、本当に嬉しく思いますし、ちょうど今日、父の指輪をつけてきましたので、その話をさせてもらいました」
──陛下から具体的にどんなお言葉があったんですか?
白鵬
「そうですね。以前、2007年ですか。来た時にお父様と会った、と。そしてその後の春の園遊会で会ったこと覚えていまして、ほんとにびっくりしました」
──白鵬さん、何とお伝えになったんですか?
白鵬
「はい、ありがとうございます。また、モンゴルにきていただいて、嬉しく思いますと喜びの言葉を返しました」
──続いて朝青龍さん
朝青龍
「はいどうも、みなさんこんにちは」
──式典に出られて感想をお願いします。
朝青龍
「本当に陛下さまにね、話せることってなかなかないことなので、本当にあの、自分自身としてモンゴル人として本当に誇りに思いますし。2007年の皇太子殿下の時代のときにカラコルムにも訪問されたことが、うちのまあ、横綱白鵬関のお父さんもそうだし、うちのおやじも出迎えをさせていただいて、遊牧民族の衣装で住んでいるおやじのところまでわざわざ来ていいただいて、足を運んでいただいたことは感謝ですし、それがまた本当に、天皇としてモンゴル訪問、こんなにめでたいことはないんじゃないでしょうか。 本当にもう感無量です」
──何かお話されていたように見えたんですけど
朝青龍
「そうですね。同じく、ドルゴルスレン、自分の父との思い出の話とかその後の話とか。まあ、2回目なので、たくさん思い出があると思います。 そういう感じでした」
2025年7月8日 日テレNEWS
天皇皇后両陛下、モンゴルで日本人抑留者の慰霊碑に供花
モンゴル公式訪問中の天皇皇后両陛下は、第二次世界大戦後モンゴルで抑留中に亡くなった日本人の慰霊碑に供花されました。
第二次世界大戦後、旧ソ連によって抑留され亡くなった日本人を現地で慰霊されるのは歴代天皇で初めてです。
天皇皇后両陛下は現地時間の8日午後2時半すぎ、ウランバートル北部にあるダンバダルジャーの丘にある日本人死亡者慰霊碑を訪問されました。
第二次世界大戦後、軍属・民間人を含む日本人およそ57万人以上が旧ソ連の捕虜になりました。
このうちおよそ1万4000人が旧ソ連からモンゴルに移送され、極寒のモンゴルで都市建設などに従事させられ、過酷な環境の中、およそ2000人が抑留中に命を落としました。
2001年10月、日本の厚生労働省、モンゴル赤十字社、ウランバートル市当局が、モンゴルで亡くなった日本人抑留者を悼み、ここダンバダルジャーの丘に慰霊碑を建立しています。
両陛下は井川原駐モンゴル大使から説明を聞いたあと、慰霊碑に向かってまっすぐ進まれました。
慰霊碑の前で一礼し、白を基調とした花輪を供え、深々と頭を下げられました。
陛下は2007年のモンゴル訪問の際、日本人抑留者の慰霊碑で供花されていて、今回で2回目となります。
かつて上皇さまは天皇としてサイパン、パラオやフィリピンと太平洋の島々で亡くなった日本人戦没者を慰霊されてきました。
天皇陛下は、歴代天皇で初めて、第二次世界大戦後、旧ソ連によって抑留され、大陸で亡くなった日本人を現地で慰霊されました。
天皇陛下はモンゴル訪問に先立ち、記者会見に臨み「今回の訪問では、歴史に思いを巡らせつつ、日本人死亡者慰霊碑に供花をし、心ならずも故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、その御苦労に思いを致したいと思います」と述べられていました。
8日は、慰霊碑に上る階段の手前にある「祈りの広場」で、日本遺族会の水落敏栄会長(82)と、父親をモンゴル抑留中に亡くした鈴木富佐江さん(88)が両陛下の拝礼を見守っています。
両陛下は、最後にもういちど拝礼し、慰霊碑をあとにされました。
両陛下は、8日夜、宿泊先のホテルで大統領夫妻主催の晩さん会に出席し、天皇陛下がお言葉を述べるほか、趣味のビオラを演奏し、モンゴル国立馬頭琴交響楽団と共演される予定です。
2025年7月8日 日テレNEWS
<モンゴル抑留の実態>
旧ソビエトによるシベリア抑留の過酷さは広く知られていますが、モンゴル抑留の実態は日本でも現地でもあまり知られていません。
敗戦に伴って、海外に残っていた日本軍の将兵や軍属は連合国の管理のもと復員することになり、旧満州や朝鮮半島北部などソビエト軍の管理地域にいた人たちも帰国だと告げられ移動を命じられました。
しかし、着いた先は日本ではなく、シベリアをはじめとするソビエト領内やモンゴルといった冬はマイナス30度からマイナス40度にもなる酷寒の地でした。
抑留された人たちは、民間人を含めおよそ57万5000人。
抑留者の帰国が終わったのは終戦の11年後の昭和31年で、食料や衣服などが不足する中、不衛生な環境で過酷な労働を強いられた結果、10%近いおよそ5万5000人が命を落としました。
このうち、ソビエトとの相互援助議定書に基づいて終戦直前に対日参戦したモンゴルには、シベリア経由でおよそ1万4000人が移送され、首都ウランバートルの都市建設などに従事させられました。


厚生労働省などによりますと、政府庁舎や国立大学の校舎、オペラ劇場といった建物や道路や広場で使うための石を手作業で切り出すなどの強制労働の果てに、およそ1700人が命を落としたとされています。
モンゴル抑留者はほかの地域より早く終戦後2年余りでほとんどが帰国しましたが、モンゴル側に多数の抑留者を受け入れる態勢が整っていなかったこともあり、死亡率はシベリアなどを上回るおよそ12%にのぼりました。
ウランバートルの郊外には、平成13年に厚生労働省や地元当局などが建立した抑留の犠牲者の慰霊碑があり、翌年には秋篠宮ご夫妻が、そして平成19年には当時皇太子だった天皇陛下が慰霊のため訪ねて、抑留された人たちの辛苦に思いをはせられました。
現在107歳で、抑留経験者やその家族などでつくる団体「全国強制抑留者協会」の会長を務めている富山県南砺市の山田秀三さんも、終戦後2年余りにわたってモンゴルなどに抑留されていました。
結婚の半年後に召集されて大陸に渡り、27歳の時に終戦を迎えた山田さんは、多くの日本軍将兵とともにどこに連れて行かれるか知らされないままソビエト領内で列車での移動と強制労働を繰り返したあと、モンゴル軍に引き渡され、徒歩と車で草原や原野を越えて、昭和20年の末に首都ウランバートル郊外の収容所にたどり着きました。
この間、逃亡しようとした少年兵が銃殺されたり、輸送中に仲間が飢えと寒さのため死んでいったりするのを目にしたということで、手記の中で当時のことを「地獄の監獄」とか「この境遇になった者でないと判らない餓鬼の社会」などとつづっています。
抑留後は1度も風呂に入ることができず、不衛生な環境と栄養失調で死者が続出する中で、建築物の基礎を作るためバールで土を掘る作業などに従事させられましたが、地面が凍っていて鉄板のように固かったといいます。
山田さんは「当時のウランバートルは現地の人の食料もないような貧しさで、そこに大量の日本人抑留者が入ったものだからなおさらだ。寒いけど燃料がないので、互いに体をすりあわせて暖め合い、『こんなところにいつまでいないといけないのか』と思っていた。食べ物がない当時のひどい生活や、亡くなった兵隊はかわいそうだったということを、とにかくみなさんに、そして天皇皇后両陛下に知ってほしい」と話していました。
山田さんは、今回両陛下が訪問される現地の慰霊碑をこれまでに2度訪ねたほか、地元に慰霊碑を建てて毎年慰霊祭を行い、毎日お経をあげて仏壇に手を合わせているということです。
2025年7月5日 NHK
(前略)
第二次世界大戦が終結すると、当時、旧ソ連は日本人の兵士らを捕虜にし、およそ1万4000人がモンゴルに送られました。待っていたのは過酷な労働、およそ1700人が亡くなりました。
モンゴルでの抑留はどのようなものだったのか?当時の様子を記憶しているモンゴル人の男性がいました。
チョグソムジャブさん、99歳。日本人抑留者の収容所で看守を務めていました。木の切り出しや農業に従事させられていたという抑留者たち。冬の生活は過酷なものでした。
チョグソムジャブさんは、抑留者が口にしていたある日本語を今でも覚えているといいます。
抑留者の収容所の元看守 チョグソムジャブさん
「彼らは言っていましたよ、『寒いですから』と」
抑留者が繰り返していたという「寒い」という言葉。
抑留者の収容所の元看守 チョグソムジャブさん
「とても寒かったです。マイナス35℃や45℃。あるときはマイナス50℃の寒さでした」
寒さで亡くなる人もいました。
さらに、抑留者からはいつ日本に帰国できるのかよく尋ねられたといいます。
抑留者の収容所の元看守 チョグソムジャブさん
「(抑留者は)よその国に留め置かれていたわけですから、苦しかったに違いありません」
1947年には抑留者を旧ソ連との国境まで送り届けましたが、その後どうなったかは分からないといいます。
このときの経験を通じて、二度と戦争を起こしてはいけないと語るチョグソムジャブさん。
抑留者の収容所の元看守 チョグソムジャブさん
「人の命ほど尊いものはありません。戦争はそれを奪ってしまうものです。もう戦争は起きないことを願っています」
出発前の会見では、「故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、そのご苦労に思いを致したい」と話されていた天皇陛下。
日本とモンゴル両国の言葉で平和への思いが刻まれたこの慰霊碑に、両陛下はきょう、花を手向け黙祷をされました。
2025年7月8日 TBS NEWS DIG
モンゴル大統領夫妻主催の晩さん会に出席
天皇皇后両陛下は、現地時間の8日午後7時ごろから宿泊先のホテルで行われているモンゴルのフレルスフ大統領夫妻主催の晩さん会に臨まれています。
晩さん会には、日本人とモンゴル人およそ100人が招かれているということです。
両陛下は会場の前方、真ん中にある大統領夫妻と同じテーブルにつかれます。
はじめに「君が代」が演奏されました。
続いてモンゴル国歌が演奏されました。
その後、フレルスフ大統領の挨拶が行われました。挨拶のあと大統領の発声で、全員で乾杯が行われました。大統領は席に戻り、陛下とグラスを合わせ再び乾杯しました。
つづいて、天皇陛下が答礼のおことばを述べられました。
■天皇陛下おことば
フレルスフ大統領閣下、ボロルツェツェグ夫人
御列席の皆様、
ター・ブフンテェ・ダヒン・オールズスンダー・タータェ・バェン(皆様との再会を嬉(うれ)しく思います)
この度は、私と皇后を国賓としてお招きくださり、大統領御夫妻を始めモンゴルの皆様から多大なる御配慮とお心遣いを頂きましたことに、心より御礼申し上げます。3年前、東京で大統領御夫妻を皇居にお迎えし、その後、モンゴル国立馬頭琴交響楽団の演奏会を一緒に鑑賞したことは、大変良い思い出となっています。
私は2007年にモンゴルを初めて訪問しましたが、その時の経験は大変印象深く、宝物となっています。また、今回は日本の天皇として初のモンゴル訪問であり、両国の一層の友好関係の増進につながることを願うとともに、国民的祭典であるナーダムの開会式に出席する機会を頂いたことを、大変有り難く思います。また、この度、フレルスフ大統領の御発意により、ナーダムの開会式が行われる7月11日が、国連の場において「世界馬の日」となったことは意義深いことと思います。
一昨日に当地に到着しましたが、経済発展等に伴い、前回訪問時よりも更にモンゴル社会全体に力強さを感じるとともに、深い蒼(そう)天の下、競うように草木が芽吹き、美しい花を咲かせると表現される、最も麗しい季節に皇后と共に貴国を訪問できたことを嬉(うれ)しく思っております。
我が国とモンゴルの深い友好・協力関係の基盤となっているのは、人と人とのつながりです。前回訪問の際、私は当時の両国関係が頂点ではないとお話ししました。実際に、例えば2007年のモンゴルから日本への留学生は1,100人ほどでしたが、20年弱の間に、4倍以上に増えています。今回の訪問では、日本で学んだ方々が活躍されている教育・医療施設を訪れる予定であり、次世代を担う若者たちや日本で学び、後進を指導されている方々とも交流できることを、心から嬉(うれ)しく思います。
また、前回訪問時に雨が降った際、モンゴルでは雨が降るのは非常に縁起が良いとの言い習わしがあると聞き、乾燥地帯で暮らす人々にとっての水の大切さを実感しました。昨日、私は、ウランバートル上下水道公社とガチョールト水源を視察しましたが、両国の人々が協力し、大切な水資源の安定的確保という課題に取り組んでいる姿に、感慨を覚えました。そして、ガチョールト水源は幸い雨の中でした。
人と人とのつながりや思いやりの有り難さを実感するのは、苦しいときであると思います。日本が1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災、そして2024年の能登半島地震などの大きな災害に見舞われたとき、モンゴルの人々はすぐさま支援の手を差し伸べてくれました。私たち日本人を勇気付けていただいたモンゴルの方々の温かい気持ちを、私たちは決して忘れません。
今日(こんにち)の両国の深い友好関係と、それに支えられた人材育成、ものづくり、医療、スポーツ、そして環境保護など、多岐にわたる協力関係の発展の基礎には、外交関係樹立以前からの長年にわたる両国の先人たちの交流があるということを忘れてはならないと思います。両国関係の発展に情熱を注ぎ、様々な困難を乗り越え、力を尽くしてこられた全ての方々に深く敬意を表します。
両国間の交流や協力の可能性は、モンゴルの大草原のように、果てしなく広がっています。今後、両国の架け橋となる若い世代が先人たちの歩みを受け継ぎ、広大な土地にまかれた協力の種が多くの花を咲かせてほしいと思います。そして、若い人たちが、その新たな活力を存分に発揮することで、両国関係が、モンゴルの青き大空・テンゲルに向けて更なる高みへとどこまでも発展していくことを願います。
本日のすばらしい宴を催していただいたフレルスフ大統領及びボロルツェツェグ夫人に感謝申し上げるとともに、ここに杯を挙げ、大統領御夫妻、両国国民の御健勝と御多幸、そして、日・モンゴル関係の一層の発展を心から祈ります。
ザー・ホンダガ・ウルグイー(では、乾杯しましょう)
ター・ブフン・サエハン・ナーダーラエー(ナーダムを楽しみましょう)
******
陛下のご発声で、全員で再び乾杯が行われました。
続いて、モンゴル国立馬頭琴交響楽団による演奏と民族衣装を着た女性たちの踊りが披露されました。
その後、陛下はステージ上にあがり、天皇陛下がビオラの演奏を披露されました。
陛下は、モンゴル国立馬頭琴交響楽団、およびモンゴル人ビオラ奏者と共演しモンゴルの曲と、日本の曲を1曲ずつ演奏されました。
1曲目はモンゴルの作曲家・アルタンホヤグによる「モンゴル・アヤルゴー」です。この曲は2000年代初頭に作曲された馬頭琴のための作品で、モンゴル人の広く温和な心情や心の奥底を表現しているということです。
2曲目は日本の曲「浜辺の歌」です。林古渓作詞、成田為三作曲で「日本の歌百選」に選ばれている名曲です。
この楽団はモンゴルの伝統楽器・馬頭琴によるオーケストラで2022年に日本公演を行った際には、来日中のモンゴル大統領夫妻と共に、両陛下が鑑賞されました。
また2007年、陛下が皇太子として訪問した際に、陛下はやはりビオラでこの楽団と共演されています。
天皇陛下はこれまでも外国訪問先でビオラを演奏したことがありますが、天皇として外国で演奏されるのは初めてです
陛下は愛用のビオラを日本からモンゴルに運び込まれました。
天皇陛下のビオラと馬頭琴による演奏で2曲が披露されると招待客からは大きな拍手が送られました。
晩さん会にはモンゴルで活躍する日本人のほか、日本にゆかりのあるモンゴル人も招待されました。
午前中の歓迎式典に出席した第69代横綱の白鵬さん、第70代横綱・日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジさんも招かれています。
歴代最多45回の優勝を誇る白鵬さんは先月、日本相撲協会を退職しました。ウランバートル出身ですが、2019年日本国籍を取得しました。2007年のモンゴル訪問の際、天皇陛下は白鵬さんの父親と会われています。
7日にはX(エックス)に天皇皇后両陛下がチンギス・ハーン国際空港に到着された時の写真を添えて「ありがとうございます、嬉しいです」と日本語、英語、モンゴル語で投稿し、8日も歓迎式典のあと「来ていただいてうれしい。父と会ったこと、春の園遊会で会ったことを覚えられていて、びっくりしました」と話していました。
日馬富士さんは2017年に引退後、モンゴルで日本式の教育を取り入れた幼稚園から高校までの私立一貫校「新モンゴル日馬富士学園」を設立し、理事長として教育に力を注いでいます。
日馬富士さんは、式典後「お会いできて、本当に光栄に思います。雨も降って、国民の皆様も大変喜んで、感激しております」と話していました。
2025年7月8日 日テレNEWS
天皇陛下【演奏全編動画】
天皇陛下が、モンゴル国立馬頭琴交響楽団およびモンゴル国立フィルハーモニー交響楽団のビオラ奏者と共に演奏されたのはモンゴルの曲と、日本の曲の2曲です。
1曲目はモンゴルの作曲家・アルタンホヤグによる「モンゴル・アヤルゴー」です。この曲は2000年代初頭に作曲された馬頭琴のための作品で、モンゴル人の広く温和な心情や心の奥底を表現しているということです。
2曲目は日本の曲「浜辺の歌」です。林古渓(はやし・こけい)作詞成田為三(ためぞう)作曲で「日本の歌百選」に選ばれている名曲です。
2025年7月9日 日テレNEWS
モンゴル訪問4日目
日本発祥の「コーセン」視察
国賓としてモンゴルを訪問中の天皇陛下は、日本の「高専」をモデルにした学校を訪れ、現地の生徒らと懇談されました。
モンゴル訪問4日目の天皇陛下は9日午前10時半ごろ、ウランバートルにある「モンゴルコーセン技術カレッジ」を視察されました。
日本の高等専門学校で学んでいたモンゴル人留学生らにより設立された学校で、陛下は卒業生が作った機械などについて説明を受けると、「ここの技術は色々なものに応用できますね」などと話されていました。
その後、生徒らと懇談し、「いい勉強をして下さい」などと声を掛けられました。
2025年7月9日 テレ朝NEWS
ウランバートル市内の学校訪問
国賓としてモンゴルを訪問中の天皇皇后両陛下は、日本の援助で建てられた首都ウランバートル市内の学校を訪問されました。
日本時間の午後3時ごろ、出迎えた児童から花束を贈られた両陛下。日本の資金協力で無償で建てられ、5年前に開校した「ウランバートル市第149番学校」を訪問されました。この学校は、市の中心部から離れた場所に住む子どもらも通えるように郊外にあります。
学校では歓迎イベントが開かれ、両陛下は、モンゴルの伝統的な楽器・馬頭琴を使った演奏やダンスなどを観覧し、演目ごとに拍手を送られました。
さらにICT教室でパソコンを使った授業を見学されました。
「コンピューターの授業は楽しいですか」
小学6年の子どもがコンピューターを使って描いたイラストを見ると、両陛下は「個性的ですね」などと優しく声をかけられていました。
帰り際に子どもらが見送りにでると、両陛下も手を振って応えられました。
2025年7月9日 TBS NEWS DIG
「モンゴル日本病院」を訪問
国賓としてモンゴルを訪問している天皇皇后両陛下は、現地の病院などを視察されました。
両陛下は、9日、日本の無償資金協力で建設されたウランバートルにあるモンゴル初の大学病院を訪問されました。
両陛下は、日本に留学経験のある医師に「モンゴルではどういうがんが多いですか」などと質問されていました。
また、青年海外協力隊として病院で働いている日本人が、父親も協力隊でザンビアに滞在していたことを明かすと、陛下は「お会いした機会があったかもしれません」と答えられました。
その後、モンゴルに住む日本人と懇談し、「冬の外の寒さはどんな感じですか」などと声を掛けられました。
2025年7月10日 テレ朝NEWS


国際親善のためモンゴルを公式訪問している天皇皇后両陛下は、首都ウランバートルで、日本とゆかりのある現地の学校などを視察されました。
天皇陛下は、9日午前、ウランバートルにある日本の高専=高等専門学校をモデルとした私立学校「モンゴルコーセン技術カレッジ」を訪ねられました。
日本の高専で学んで帰国したモンゴル人留学生と、日本の高専関係者らの尽力で2014年に開校したこの学校では、電気電子工学や機械工学など、5つの学科で合わせて345人が学んでいます。
天皇陛下は、機械工学科の実験室で、教員から、学生がみずから製作したロボットで技術やアイデアを競う「ロボコン」のモンゴル国内の大会に出場したことなどについて説明を受けられました。
この学校では、卒業生のおよそ4割が日本で就職しているということで、天皇陛下は、10月から東京でシステムエンジニアとして働く予定の卒業生に「就職よかったですね」とか「頑張ってください」などと、ことばをかけられていました。


午後には、皇后さまとともに、遊牧民などが使う移動式のテントや簡易な家屋が建ち並ぶ郊外の「ゲル地区」に、日本の無償資金協力でつくられた公立学校を訪ねられました。
午前と午後の2部制のこの学校は、日本の小学生から高校生にあたる子どもたちが学んでいて、両陛下は、10代の生徒たちによる伝統音楽やダンスのパフォーマンスをご覧になりました。
天皇陛下は、伝統楽器の馬頭琴を演奏した12歳の女子生徒に「何年くらい練習をされていますか」と尋ねられ、皇后さまは、和服を着た13歳の女子生徒に「よくお似合いですね」などと、ことばをかけられていました。
このあと両陛下は、日本が資金面や技術面で協力している国立の大学病院を訪問し、日本に留学した経験がある医師などと懇談して、日本とモンゴルの医療の違いなどについて質問されていました。
(以下、略)
2025年7月9日 NHK
在留邦人代表と懇談
モンゴルを訪問中の天皇、皇后両陛下は9日夕、首都ウランバートルの宿泊先のホテルで、在留邦人の代表8人と懇談された。
懇談したのは、日本語のモンゴル情報誌を発行する近彩さん(84)、「モンゲニ統合学校」日本語教師の中西令子さん(77)ら。両陛下は「(モンゴル在留は)どういうことがきっかけで」などと声を掛けて回った。
近さんは両陛下から「どういうことを日本に伝えたいですか」と聞かれ、「モンゴルの遊牧民のシンプルで、おおらかな生活を伝えたい」と答えていた。
2025年7月10日 時事通信
モンゴル訪問5日目
小中高一貫「新モンゴル学園」視察


モンゴル訪問中の天皇陛下は10日、ウランバートルにある私立の小中高一貫校「新モンゴル学園」を視察された。東北大などに留学経験があるジャンチブ・ガルバドラフさん(62)が四半世紀前に創設した同校は、卒業生約600人が日本に留学してきた日本式の学校だ。
同学園の前身となる新モンゴル高校が開校したのは、2000年10月。モンゴルでは、小学生から高校生までが同じ学校で学ぶ「一般学校」が主流で、授業は午前と午後の2部制または3部制のため、昼前に「次のグループが来るから下校を」と促される学校もあった。
モンゴルで物理教師をしていたガルバドラフさんは、1995年に東北大に留学し、96年から山形大に移った。長女が山形市内の県立高校で学ぶ中で、十分な授業時間がある日本式教育を母国に持ち帰りたくなった。
当時、ロータリークラブ関連の奨学生だったガルバドラフさん。山形の同クラブの人たちに「モンゴルで学校を作りたい」と熱っぽく語った。話はとんとん拍子で進み、「建物の柱1本の費用を出し合おう」と設立された支援団体は、「柱一本の会」と名付けられた。
支援金を元に開設された学校に、ガルバドラフさんは朝から夕方まで授業や部活ができ、給食がある日本の“当たり前”を持ち込んだ。遠方に住む生徒も通えるように学生寮を整備し、2008年には小中高一貫校とし、14年には工科大学なども併設した。
日本人教師を配置して日本語教育に力を入れ、卒業生を東大や京大を始めとした国公立大を中心に40以上の日本の大学に留学生として送ってきた。
陛下は今月2日の記者会見で、新モンゴル学園への訪問について触れ、「若い世代の学生さんたちや子供さんたちと直接交流することを楽しみにしております」と話された。この日は午前10時半(日本時間午前11時半)頃に到着された。
同学園は日本からの留学生も受け入れている。ガルバドラフさんは「両国の学生の交流をさらに深めていきたい」と意気込んでいる。
2025年7月10日 読売新聞オンライン
ガンダン寺を訪問


モンゴル滞在中の天皇陛下は10日午後、ウランバートルにあるモンゴル仏教の寺「ガンダン寺」を訪問された。
国内で広く仏教が信仰されており、ガンダン寺は信仰の拠点。
ジャブザンドルジ僧院長から「世界の平和を願い、宗教観の相互理解の活動もしている」と説明を受けた陛下は「重要で大事なことですね」と応じたという。
仏教は社会主義時代に弾圧を受け、ガンダン寺の観音像も破壊された。
1990年代に入り、多くの家庭からの寄付で再建された。高さは約26メートルで観音堂の中にある。
陛下は観音堂の中で一礼。僧院長からモンゴルの人々の自由の象徴であると聞き、「特別な存在ですね」と話した。
境内では「ツァム」という伝統的な仮面舞踊を見学。
出発の際は10歳の少年僧ゴンガーガルマーさんから花束を受け取った。「大きくなったら日本に来てください」と声をかけられたという。
午前には、ウランバートル市街地にある新モンゴル学園を訪問した。
制服や部活、小中高一貫など日本式の教育を取り入れた学校で、日本語を学ぶ高校生の授業を見学。生徒たちは将来の夢を日本語で披露した。
キノコ学者を目指す女子生徒は、日本に75歳の「キノコ友達」がいることなどを熱弁。
陛下は「キノコの区別は難しいですよね」「きれいなキノコもありますか」などと尋ねて盛り上がっていた。
2025年7月10日 毎日新聞
10日午後、天皇陛下はモンゴル仏教の中心的な寺院、「ガンダン寺」を訪問されました。
チベット仏教の流れをくむ「モンゴル仏教」は社会主義時代、弾圧を受けましたが、1990年の民主化以降、信教の自由が認められています。寺院には全長25メートルほどの「開眼観世音菩薩像」があり、観光スポットとしても知られています。
民主化以降、各家庭から寄付を募って建てられた菩薩像は、「モンゴルの人々の自由の象徴です」という僧院長の説明に、陛下は「これは特別な存在ですね」と話されたということです。
楽器が鳴らされ仮面の舞が披露される中 、広場を進んだ陛下は最後に、「歴史的に重要な話を聞き拝見して、非常に有意義な時間を過ごすことができました」と述べられたということです。
11日、両陛下は国民的な祭典「ナーダム」の開会式に臨まれます。
2025年7月11日 日テレNEWS
モンゴル訪問6日目
ナーダムの開会式へ


国際親善のためモンゴルを公式訪問している天皇皇后両陛下は11日、国民的なスポーツの祭典「ナーダム」の開会式に臨まれます。
モンゴル語で「祭り」を意味するナーダムは、年に1度、革命記念日の7月11日から3日間にわたって開かれる、モンゴル文化を象徴するスポーツの祭典です。
天皇陛下は、18年前に皇太子としてモンゴルを訪問した際にもナーダムの開会式に出席していて、11日は、皇后さまやフレルスフ大統領夫妻とともに首都ウランバートルの国立中央スタジアムで開会式を観覧したあと、伝統的な弓を使って的を射る様子をご覧になります。
さらに両陛下は、12日、騎馬遊牧民の国モンゴルを象徴する競馬も観戦し、子どもたちが馬に乗って大草原を疾走する様子をご覧になる予定です。
モンゴルの夏の祭典「ナーダム」の起源は、紀元前3世紀ごろにさかのぼるとされ、祭事と軍事訓練を兼ねて「男の3つの競技」とされる相撲、競馬、弓の腕前が競われてきました。
今では、一部の競技に女性も参加するようになり、羊のくるぶしの骨を指ではじいて的に当てる独特の競技も加わって、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。
法律で、国の独立や主権、国民の団結などを象徴する伝統的な祭典と定められたナーダムの期間は、国民の祝日となっていて、各地から多くの出場者が集まり日頃の鍛錬の成果を競います。
勝ち上がった選手には例えば相撲なら「巨人」「獅子」「鳳凰」など競技に応じて国から称号が与えられ、優勝者は国民から大きな尊敬を集めるということです。
2025年7月11日 NHK
天皇皇后両陛下「ナーダム」開会式に出席
モンゴル滞在6日目となる現地時間の11日午前11時ごろ、天皇皇后両陛下は「ナーダム」開会式出席のため、ウランバートル南部にある国立中央スタジアムに到着されました。
映像はスタジアム3階にある貴賓観覧席に着席される天皇皇后両陛下とモンゴルのフレルスフ大統領夫妻です。モンゴルの国民的なスポーツの祭典「ナーダム」の開会式が始まります。
初めに場内のアナウンスで、名誉ゲストとして「日本の天皇陛下徳仁さま、皇后雅子さまが会場に入場されました。ご覧ください」と紹介されると、場内から拍手が起き、両陛下はにこやかに応えられました。
天皇陛下の隣に座るのはモンゴルのフレルスフ大統領です。皇后さまの隣にはモンゴル国家大会議議長が座ります。両陛下は大統領と話しながら、開会式の模様をご覧になっています。双眼鏡を使ってご覧になる様子もうかがえます。
ナーダムとはモンゴル語で「祭典」の意味です。相撲、競馬、弓射つまり弓を射る競技の3つの競技を中心としたモンゴル文化を象徴する祭典で、7月11日の開会式には国の内外から多くの人が参加します。
全国から集まった出場者が、日ごろの鍛錬の成果を競い合い、優勝者には称号が与えられるほか、国民からも尊敬を集めます。
今年は相撲におよそ500人、弓に男女およそ600人が出場し、郊外の草原で行われる「競馬」は子どもたちが騎手として馬に乗り、馬の年齢別に走る距離も異なると言うことです。
毎年、人民革命による独立が達成された記念日の7月11日に開会式があり、3日間の日程で行われますが、開催日を含む11日から15日までは国民の祝日となっています。
また、きょう7月11日は、国連が今年から「世界馬の日」と定めました。これはモンゴルが提案して国連総会で採択されたもので、ナーダム開会式では「世界馬の日」となったことを祝う馬のパレードも行われます。
ナーダムを見るためにモンゴル全土から国民が集まり、開会式が行われる1万2000人ほど収容するこの中央スタジアムも満員になるということです。
開会式では出場する選手や馬が集まるほか、伝統的な音楽や踊りのパフォーマンスも披露されます。
ナーダムの起源は紀元前3世紀ごろに遡るといわれ「男の3つの競技」とされる相撲、競馬、弓の技を競う祭事として、また軍事訓練も兼ねて行われてきました。国内法で「モンゴルの独立と主権、国民の団結、国家体制、歴史、文化、伝統、習慣を象徴する国の伝統的な祭典」と規定され、2010年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました
天皇陛下は2007年、皇太子としてモンゴルを訪問した際、ナーダムの開会式に出席されていて、今回で2回目となります。
この時の思い出は、訪問前の記者会見で「最大の行事であるナーダムの開会式に出席し、当時のエンフバヤル大統領にご説明いただきながら、相撲、弓、競馬の競技などを大変楽しく見ることができました」と話されています。
また、8日に行われた歓迎の晩さん会での乾杯のご発声では、モンゴル語で「ター・ブフン・サエハン・ナーダーラエー(ナーダムを楽しみましょう)」と出席者に呼びかけられています。
皇后さまは今回初めてのナーダム出席となります。
陛下は大統領夫妻とともに、午後、弓の競技を見るほか、「シャガイ」という羊のくるぶしの骨を指ではじいて的に当てるモンゴル独特の競技も観覧される予定です。
2025年7月11日 日テレNEWS
「ナーダム」の「弓」競技を観戦
国賓としてモンゴル訪問中の天皇皇后両陛下は、国内最大のスポーツの祭典「ナーダム」の「弓射(きゅうしゃ)」=弓の競技をご覧になりました。
モンゴル最大の祭典「ナーダム」の開会式のあと、天皇皇后両陛下は、現地時間の11日午後2時前、「弓射」=弓の競技を観戦するためモンゴルのフレルスフ大統領夫妻と共に競技会場を訪問されました。
会場に入場すると歓声が起こり、両陛下は手を振って応えられました。
最初に男性競技者が矢を放ちます。
的に見事に当たると、両陛下は大きな拍手を送られました。
続いて、女性の競技者が矢を放つのを見届けられました。
両陛下は競技者から説明を受けられています。
次に、フレルスフ大統領が自ら矢を放つと両陛下は、矢の軌道を見届け拍手を送られていました。
「ナーダム」とは相撲、競馬、弓の3つの競技を中心としたモンゴル文化を象徴する祭典です。
全国から集まった出場者が日ごろの鍛錬の成果を競い合い、優勝者には称号が与えられるほか、国民からも尊敬を集めます。
ことしは弓の競技に男性415人、女性215人の合わせて630人が出場するということです。
競技では長さ1メートルほどの矢を男性は75メートル、女性は65メートル離れた的に向かって射るということです。
ナーダムの起源は紀元前3世紀ごろに遡ると言われ古来、相撲、競馬、弓は「男の3つの競技」とされてきました。その後、弓の競技に女性も参加できるようになったということです。
国内法で「モンゴルの独立と主権、国民の団結、国家体制、歴史、 文化、伝統、習慣を象徴する国の伝統的な祭典」と規定され、2010年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました
天皇陛下は、2007年皇太子としてモンゴルを訪問した際、ナーダムの開会式に出席されていて、今回で2回目となります。
両陛下はこのあと、隣接する会場で「シャガイ」という羊のくるぶしの骨を指ではじいて的に当てるモンゴル独特の競技も観覧されます。
2025年7月11日 日テレNEWS
皇后陛下「シャガイ」で最高点
モンゴルを公式訪問中の天皇皇后両陛下は、モンゴル最大のスポーツの祭典「ナーダム」を視察されました。
1万人以上の観客から拍手で迎えられ、モンゴル最大のスポーツの祭典「ナーダム」の開会式に出席された両陛下。
「ナーダム」は毎年7月に行われるモンゴル文化を象徴するスポーツの祭典で、相撲、弓射などの競技が行われます。
両陛下は馬を走らせながら騎手が乗り降りしてみせる演技や、3頭の馬の上に6人が重なって走って見せる演技に拍手を送られました。
シャガイは動物の骨を指で弾いて的に当てる競技で、大統領に勧められ両陛下も体験されることに。
陛下は的を外すごとに笑顔を見せられました。一方、皇后さまは最高得点の的に当て、周囲の人から大きな拍手を送られていました。
2025年7月12日 TBS NEWS DIG
モンゴル訪問7日目
モンゴルの草原で競馬を観戦
天皇皇后両陛下はモンゴル滞在7日目、現地時間の12日午前10時15分ごろ「ナーダム」の競馬競技の会場を訪れ、モンゴルのフレルスフ大統領夫妻の出迎えを受けられました。
天皇陛下はベージュ色のジャケット皇后さまはベージュのロングジャケットに黄色いパンツという装いです。
天皇陛下は大統領に「ナーダムを楽しませていただきました」と話されていました。
両陛下は大統領の案内で大統領のテント「ゲル」に移動されます。
「相撲」「弓」と並ぶナーダムの3つの競技の一つ「競馬」は首都ウランバートルから車で1時間ほどの距離にある、トゥブ県のフイ・ドローン・ホダグ草原で行われます。
馬の年齢ごとに2歳馬、3歳馬、4歳馬、5歳馬、6歳以上、種馬と6つのカテゴリーでレースが行われ、騎手を務めるのは8歳から13歳くらいまでの男女の子どもたちです。
大草原の中、15キロから30キロ近い距離を子どもたちが馬を駆って疾走する競馬はナーダムでも最も人気があるということです。
天皇陛下は、カメラと双眼鏡を片手にご覧になり、皇后さまは双眼鏡をのぞきながら馬が駆けていく様子をみて、拍手を送られました。
両陛下は大統領夫妻のテント「ゲル」で一番勢いがあると言われる5歳馬が22キロを走るレースを観戦されます。このレースには100頭以上の馬が出走するということです。
両陛下は、このあと、ウランバートルの西、100キロほどに位置するホスタイ国立公園に移動し、最古の野生馬「タヒ」=「モウコノウマ」を観察される予定です。
12日でモンゴル公式訪問の全日程は終了し、両陛下は、13日帰国の途につかれます。
2025年7月12日 日テレNEWS
国立公園を訪問
国賓としてモンゴルを公式訪問中の天皇皇后両陛下が国立公園を訪れ、最古の野生馬「タヒ」の生態や保全活動などについて説明を受けられました。
両陛下は日本時間12日午後、首都ウランバートル近郊にある自然保護区「ホスタイ国立公園」を訪問されました。
ここでは「タヒ」と呼ばれる最古の野生馬の保全活動が行われていて、生態や保全活動について英語で説明を受けた後、皇后さまは「生息地はどのような場所ですか」と尋ねられました。
また、陛下は荒れた草原の復元作業について、「すばらしいご活動ですね」などと感心されていました。
その後、両陛下は「タヒ」を見るため、園内を車で回られました。
今回のモンゴル滞在中のすべての行事を終え、両陛下は13日午後、政府専用機で帰国されます。
2025年7月13日 TBS NEWS DIG
天皇陛下、モンゴル訪問の感想語る
モンゴル公式訪問7日目の12日、天皇皇后両陛下はホスタイ国立公園を訪れ、モンゴルでの全ての日程を終えられました。
天皇陛下がホスタイ国立公園で日本時間午後8時ごろ、報道陣の取材に応じ、カメラの前で今回の訪問についての感想を話されました。
・・・・・・・・・・・・
陛下)大変お待たせいたしました。
記者)タヒはいかがでしたでしょうか。
陛下)とても良かったです。
記者)近くでご覧になりましたか?
陛下)そうですね。割合と近くでも見ることができましたし、何頭も確認することができました。三つのグループでタヒを見ることが出来ました。本当にここモンゴルの豊かな自然を強く感じました。他にもマーモットを見ることが出来ました。本当に自然豊かな場所であるということを改めて感じました。
記者)モンゴルの滞在を振り返って印象に残っていることをお聞かせください。
陛下)今回モンゴル国政府から国賓として、雅子とともにお招きいただき、モンゴル国を訪問することができましたことを大変嬉しく思っております。フレルスフ大統領ご夫妻には、歓迎式典、歓迎の晩餐会、そしてナーダムなどで心温まるおもてなしをいただきましたことに本当に心から感謝いたします。また行く先々で、多くのモンゴルの国民の皆さんに温かく迎えていただいたことも、大変ありがたく思います。
また今回は日本人死亡者慰霊碑への供花を、雅子とともに行うことができましたことも感慨深く思いました。
この1週間を振り返ってみますと、モンゴルの豊かな歴史、文化、そしてまた素晴らしい自然に触れることができた1週間だったのではないかと思います。
今日の国立公園でも、非常にモンゴルの豊かな美しい自然を目の当たりにすることができましたし、訪れたチンギス・ハーン博物館を始めいくつかの施設で、モンゴルの長い歴史、そして豊かな伝統文化に触れることができたこともとても良かったと思っています。
ここホスタイでは先ほども話しましたけれども、野生の馬、モウコノウマを見ることができましたし、またマーモットなどの動物なども目にすることができたこともとても良かったと思っています。
前回訪問した平成19年の時に比べますと、ウランバートルの街なども更に広がっているような印象を持ちましたし、また経済面などでも、以前に比べて何か力強さのようなものを感じ、モンゴルという国がさらに前回に来たときに比べて発展していることを目の当たりにしたように思います。
そしてそのような中で、日本の協力に対して、皆さんから大変感謝しているというような言葉をいただいたことが、非常に私も印象に残っておりますし、日本の協力がこのモンゴルの発展のために役に立っているのであれば、それは私達にとっても大変嬉しいことです。
それから今回もモンゴルと日本との関係に尽力された様々な年齢層の方とお会いすることができました。それぞれの方がやはり日本に対して、非常に温かい思いを持っていてくださることを嬉しく思いましたし、それから学校などを訪問したときにお会いした学生さん、そしてまたその卒業された皆さんが「自分たちが是非モンゴルと日本との架け橋になりたい」というふうに言ってくださったことも大変嬉しく思った次第です。
それからまたお会いした方の中には「自分たちが苦しいときに日本が支援の手を差し伸べてくれました。心から感謝いたします」というような言葉もいただいたことも、私にとっても大変ありがたく思いましたし、そのような形で我が国がこのモンゴル国に対して貢献をすることができているということを目の当たりにしたということもとても嬉しいことでした。
記者)先ほど慰霊碑の話が出ましたが、皇后さまと揃って供花されました。慰霊を終えてどのような思いになりましたでしょうか。
陛下)戦後モンゴルに抑留された方は約1万4000人おられて、そのうちに不幸にして亡くなられた方が約2000人というふうに伺っております。そのような方々は現在でも、非常に重要な役割を果たしています。政府庁舎であるとか、国立オペラ・バレエ劇場などの建設に従事して、非常に厳しい環境にありながら、自分の仕事に力を尽くしてこられたと、モンゴルの国民から尊敬を集めているというふうに聞いております。
今回もスフバートル広場を通りながら、もちろん政府庁舎の建物ですとかオペラ・バレエ劇場などを目の当たりにし、そのような歴史に思いを巡らせつつ、心ならずも故郷遠く離れた地で亡くなられた方々を、雅子とともに慰霊して、そしてそのご苦労に思いを致しました。
慰霊碑は、丘の中腹にあって、ウランバートルの街を見下ろす場所にあって、そしてその中には日本の方角を示す表示もなされていました。これもとても印象深いことでした。それからまた慰霊碑の管理維持に当たって、モンゴルの赤十字の方々が大変な尽力をされているということも本当にありがたいことと思っております。
記者)ビオラでは「浜辺の歌」などを演奏されました。選曲の理由とご感想を教えてください。
陛下)今回の馬頭琴オーケストラとの演奏は、もちろん前回の時もご一緒いたしましたけれども、今回もモンゴル側からのお誘いによるものです。まずモンゴルの曲、メロディーを演奏いたしましたけれども、これはモンゴルの馬頭琴交響楽団の方から楽譜をいただいて、いくつか候補いただいたんですけれど、そのうちの1曲を選びまして、そして今回ご一緒することにいたしました。
それからもう1曲日本の歌をと思いまして、これは雅子と2人で相談して「浜辺の歌」ということを決めたんですけれども、「浜辺の歌」については以前、馬頭琴交響楽団が日本で公演をしたときにも含まれていましたので、比較的お願いをしやすいのではないかと思いまして、それで「浜辺の歌」をお願いすることにいたしました。
実際に今回の晩餐会でフレルスフ大統領ご夫妻をはじめ皆様の大変心温まるおもてなしをいただきまして、そして馬頭琴交響楽団の皆さんとビオラを演奏を一緒に演奏することができたことは、私にとっても大変素晴らしい思い出となりました。
音楽というものは人に力を与えるものであると思いますけれども、同時に人と人とを結ぶものでもあるのではないかと思います。今回の馬頭琴交響楽団との共演が、また日本とモンゴルの友好親善の更なる発展にもし繋がるようであれば、それは大変嬉しく思います。
まあビオラの練習は最近はなかなか忙しくてできないんですけれども、少しずつ続けております。今回のような機会をいただきましたことを私としても大変ありがたく思っております。
記者)18年前はお一人でモンゴルを訪れられて、今回はお二人でいろんな場所を巡られました。お二人で巡られた思いですとか感想をお聞かせいただけますか?
陛下)以前はおっしゃるように私、単独で訪問しまして、そのときのことを雅子にもいろいろ話をしましたけれども、今回実際に二人で訪問して、雅子もある部分では私が以前に見たものと同じものを見ているわけですけれども、また新しくなったモンゴルの姿というものを目の当たりにすることができたと思いますし、またモンゴルの伝統、モンゴルの歴史、伝統文化、自然そういったものについて、二人で今度はそれを見ることができたということがとても嬉しかったということです。
記者)「浜辺の歌」について、故郷を想う望郷の歌だと思うんですけれども、モンゴルの地で演奏されて、響いてきて、モンゴルの地で亡くなった人たちにどういうふうに響いたのかなと思うのですが。
陛下)もちろん私の演奏がそういうモンゴルで亡くなられた方々のところに、どこかに響けば、それはもう大変嬉しいことです。確かにおっしゃるように、望郷の歌という面もあるのかもしれません。
今回ご一緒に演奏することができまして、馬頭琴の音の響きの素晴らしさというものを改めて感じましたし、国立馬頭琴交響楽団と一緒に演奏することができたいうことは。私も深く感謝をしております。
記者)愛子さまには今回の訪問についてどのようにお話をされたいですか。
陛下)私たちが実際に見てきたこと、それから私たちがどんなことをやったかということ、そういったことをいろいろと写真などを見せながらいろいろ話をしてあげることができたらと思います。
愛子も小さい頃からの相撲に興味を持っておりましたし、相撲を通して、モンゴルという国に親しみを持っていたんではないかと思います。それ以外の面も含めて、いろんな話を愛子にすることができればというふうに思っております。
記者)今回「未来に向けた種まき」という意味で次世代の子供たちにたくさんお会いになりましたが、特に日本とモンゴルの今後の両国関係に向けて次世代が果たす役割に期待されることがございましたらお聞かせください。
陛下)今回もそういった若い方々と、学校ですとかいろんな場所でお会いいたしましたけれども、そういった若い人たちが日本に関心を持って、しかも非常に高い志を持ってそれぞれの勉学に励んで、そして日本に対する理解をさらに深めたいと思っておられること。中には本当に留学したいと思っているような、実際に日本に行きたいと思っている人たちと実際に会うことができまして、そういった方々の日本に対する非常に熱い思いと言うんでしょうか、そういうものを感じることができました。そういった方々が、さらに今後日本に対して理解を深めていただくことが出来ればというふうに強く思っております。
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2025年7月12日 日テレNEWS
天皇皇后両陛下 モンゴル訪問を終え帰国
モンゴル訪問を終え帰国の途に
天皇皇后両陛下は、モンゴル公式訪問の全ての日程を終え、さきほどモンゴルを出発されました。
天皇皇后両陛下は現地時間の13日正午ごろ、チンギス・ハーン国際空港に到着されました。
歴代天皇で初となるモンゴル公式訪問の8日間の日程を終えた両陛下は、訪問中、現地で同行してきたバトツェツェグ外務大臣らの見送りを受けたあと、政府専用機に乗り込むと羽田空港に向けて帰国の途につかれました。
2025年7月13日 日テレNEWS
天皇皇后両陛下 モンゴルから帰国
天皇皇后両陛下は13日午後6時前、政府専用機で羽田空港に到着されました。
秋篠宮ご夫妻が出迎えると両陛下はにこやかに言葉を交わされました。
羽田空港には今崎幸彦最高裁判所長官やダワージャルガル駐日モンゴル臨時大使らも出迎え、両陛下はにこやかに挨拶を受けられています。
天皇皇后両陛下は7月6日からモンゴルに滞在し、国賓として歓迎式典やフレルスフ大統領夫妻との懇談、歓迎の晩さん会に臨まれました。
さらに第二次世界大戦後、モンゴルに抑留され亡くなった日本人の慰霊碑に歴代天皇で初めて花を供え慰霊されました。
また現地の学校視察なども行い、日本に関心を持ち留学を希望する若い生徒や留学経験者らと親しく交流されました。
また11日はモンゴルの国民的祭典「ナーダム」の開会式に出席し、弓の競技などをご観戦。12日は、草原で行われる競馬を観戦し、ホスタイ国立公園で野生の馬「タヒ」をご覧になりました。
天皇陛下は12日、帰国を前にし取材陣に「モンゴルの豊かな歴史、文化、そしてまた素晴らしい自然に触れることができた1週間だった」と振り返られています。
天皇皇后両陛下はこのあと長女・愛子さまの待つお住まいの皇居・御所に帰られます。
2025年7月13日 日テレNEWS
天皇皇后両陛下の御感想(モンゴル御訪問を終えて)
この度、モンゴル国から国賓として御招待を頂き、二人で同国を訪問できたことをうれしく思います。フレルスフ大統領御夫妻には、歓迎式典や晩餐会など、心をこめて御準備くださり、また、ナーダムの開会式をはじめ弓射やシャガイ、競馬など様々な競技を御一緒頂き、素晴らしいおもてなしを頂いたことに深く御礼を申し上げます。また、行く先々でモンゴルの方々に温かく迎えて頂いたことは、うれしく、有り難いことでした。モンゴル国政府・国民の皆さんの御厚意に対し、心から感謝いたします。
今回、歓迎式典や晩餐会、ナーダムの開会式や競技を通じ、また、ガンダン寺やホスタイ国立公園などを訪れ、モンゴルの豊かな歴史・文化や素晴らしい大自然を肌で感じることができました。また、平成19年に訪問した時から、経済発展などに伴いモンゴル社会全体が更に力強さを増したように感じました。日本の様々な支援・協力が発展の一助となっていることを、モンゴル日本病院やガチョールト水源などを訪れて実感することができたこともうれしく思います。
また、今回の訪問を通じ、我が国とモンゴルの人々の間で長年にわたって培われてきた友好親善の歩みについて理解を深めることができました。日本とモンゴルの交流に様々な形で携ってきた幅広い年代の方々に直接お会いしてお話しする中で、両国の友好親善関係が人々の交流を通じて深まってきたことや、モンゴルの人々が日本に対して温かい気持ちを寄せて頂いていることを実感し、うれしく思いました。ウランバートル市第149番学校、モンゴルコーセン技術カレッジなどにおいて、モンゴルの若い人々や子どもたちと交流することもできました。若い世代の人々が、今後もお互いの国に対する関心を深め、両国の相互理解と友好親善に大きな役割を果たしていくことを期待しています。
日本人死亡者慰霊碑に供花し、心ならずも故郷を離れた地で亡くなった方々を慰霊し、その御苦労に思いを致しました。また、モンゴル赤十字社の方々などが慰霊陣を大切に維持管理して頂いていることを有り難く思いました。先の大戦で亡くなられた方々のことを忘れず、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと改めて思います。
今回、初めて二人でモンゴルを訪れ、とても思い出深い訪問となりました。この訪間を準備して頂いた日本とモンゴル双方の多くの関係者の皆さんの尽力に深く感謝いたします。この度の訪問により、両国の国民の相互理解が更に深まり、日本とモンゴルの友好親善と協力関係がより一層進展することを心から願っています。
ではまた



また、よろしくお願いいたします。