こんにちは、ラベンダーです。
とりあえず、
文藝春秋 令和5年9月号
本文を紹介します。
論評は、後ほど書き加えます。
コメントしていただいても大丈夫です。
よろしくお願いいたします。
飛行機内で涙を流した小室眞子
今から2年前の11月14日、太平洋上空の高度1万メートルを、全日空(ANA)110便がニューヨークに向って飛んでいた。機内ではビジネスクラスの最後尾の座席に、1組の男女が目立たぬよう身を寄せ合って座っている。小室圭さんと眞子さんだ。
その2週間ほど前の10月26日に、念願の結婚を果たした2人は、生活の拠点をアメリカ・ニューヨークに移すため、この日の午前10時20分、羽田空港を飛び発ち、ジョン・F・ケネディ空港に向けて、12時間半におよぶ長旅の途上にあった。
大勢の人だかりができた羽田空港国際便の搭乗ゲートを、マスク姿の小室さんと眞子さんが、SPに囲まれながら歩いていく場面は、マスコミ各社が報じていた。小室さんはノルディック調のカーディガンを身に纏い、眞子さんは、濃紺のトップスに黒のワイドパンツという暗い色遣いの服装。二人に笑顔はなく伏し目がちで、どこか悲愴な雰囲気すら漂っていたのが印象的だった。
ANA関係者が語る。
「飛行機のチケットは、宮内庁が用意したものではなく、小室さん自らネットで予約して購入しました。それに気づいたANA側が、慌てて宮内庁に連絡を取り、搭乗の調整をしたのです。小室さんは、最初はエコノミークラスを予約していましたが、大勢の記者やカメラマンが、二人を追って乗り込んで来ることが予想された。混乱を避けるために、ANA側が直前にビジネスクラスへとアップグレードしたのです」
実際に機内には八十人ほどの搭乗者がいたが、そのうち六十人近くがマスコミ関係者だった。
ファーストクラスとの仕切りのカーテンの前には、屈強な体格のセキュリティー担当者が仁王立ちになって警戒。だが、これも小室さんと眞子さんから記者たちの目を逸らし、さも二人が背後のファーストクラスにいるかのように見せるためのカムフラージュだったという。
二人は声を潜め、終始、緊張感が漂う中でのフライトを余儀なくされた。ただ、担当の女性チーフパーサーは、二人の状況に同情を禁じえなかった。そして、ささやかなお祝いのケーキを二人のために用意したという。
「ご結婚、おめでとうございます!」
頃合いを見て、チーフパーサーは、小室さんと眞子さんの前にケーキを差し出した。意外な計らいに二人は驚き、ケーキに目を向けると、
そこには「Wedding aboard, Kei & Mako(新婚記念搭乗)」という文字が書かれていたという。
その瞬間、眞子さんは感情を抑えることができず、目からはポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「初めて祝ってもらいました……。親にも祝ってもらえてないんです」
眞子さんはそう呟いたという。二人の結婚は、およそ慶事には似つかわしくない物々しい状況下で行われた。小室さんの母親が抱えた金銭トラブルは解決したものの、納采の儀など結婚に伴う儀式は行わず、元皇族として支給されるはずの一億円以上の一時金も辞退して、眞子さんは皇籍離脱している。
秋篠宮と紀子さまも、儀式を執り行うことを最後まで許すことはなかった。結婚に寄せたコメントでも、「ご迷惑をおかけした方々に誠に申し訳ない気持ち」「皇室としては類例を見ない結婚」と複雑な心境を覗かせている。
結婚延期の発表から三年以上の歳月を経て、眞子さんは小室さんと念願の結婚を果たした。だが、家族や国民から祝われることなく、なかば日本を脱出するような形でアメリカへと渡った。幸せを掴んだはずの眞子さんは、飛行機の中で悔しさと孤独感に苛まれ、涙を流したのかもしれない
文藝春秋 令和5年9月号(太字、下線等はラベンダーによる)
大丈夫です。慣れていますから
去る七月十七日、渋谷区千駄ヶ谷の東京体育館に秋篠宮家の次女佳子さまの姿があった。
この日、開催された「東京都障害 者ダンス大会ドレミファダンスコンサート」にご臨席されたのだ。佳子さまは、鮮やかな緑色のストライプ柄のワンピースに、白いジャケットという夏らしい装い。ダンスがお好きなためか、ヒップホップやフラダンスなどが披露される度に、ステージに拍手を送り、弾けるような笑顔で鑑賞されていた。山本リングの「狙いうち」や、B’zの「ultra soul」が流れると、リズムに合わせて頭を小刻みに震わせながら、黄色いタオルを上下に振っていた。
宮内庁担当記者が語る。
「最近の佳子さまは、紀子さまや姉の眞子さんから引き継がれたものも含めて、数多くの公務にとても真摯に取り組まれています。皇族としての役割に目覚められたのではないでしょうか。ご自身が活躍されることで、女性の地位向上に役立ちたい、そんな気概も感じます」
たしかに近頃、同じような評判が頻繁に聞こえてくる。例えば、今年一月に開催された「聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会」にご臨席されたときのこと。佳子さまは、切れ目のない流暢な手話を披露され、出席者たちを感嘆させた。
同会を主催した聴覚障害者教育福祉協会の担当者もこう感心していた。
「寒い日で、会場も冷え込んでいましたが、佳子さまは『大丈夫です。慣れていますから』と少しも寒そうな素振りをされず、終始、背筋をピンと伸ばして、貴賓席に座られていたのを覚えています。緊張する出席者の子供を優しく気遣われる姿が印象的で、あそこまで上手に手話で話すためには、相当な準備をされたのだと思いました」
そして、最後にこう付け加えた。
「ご家族のことで何かと言われていますが、佳子さまは、そんな空気を一切見せられませんでした」
だが、この半年間、秋篠宮家を巡っては佳子さまの「独り暮らし」問題が炎上し続けている。
秋篠宮邸は、もともと旧秩父宮邸を引き継いだ住まいで、老朽化が進み、改修が必要とされていた。また、お代替わりで秋篠宮が皇位継承順位第一位の皇嗣になるのにともない、職員が二十四人から五十一人に膨れ上がった。そのため、事務スペースも確保しなければならなかった。そこで2020年三月から改修工事を行い、約四年間、秋篠宮ご一家は、歩いて二、三分の距離に建てられた御仮寓所に一時的に移り住んだのだ。改修工事が終われば、今年三月までに、ご一家は再び秋篠宮邸に戻って暮らす計画だった。
昨年九月末に工事は無事に終了している。延べ面積は、二千九百七十二平方メートルで、改修前の二倍の広さになった。地上二階、地下一階の鉄筋コンクリート造りで、全面的に壁紙や絨毯を張り替え、照明もLEDに切り替えたほか、大食堂には
シャンデリアが吊り下がり、金粉をあしらった蒔絵が飾られたことも話題になった。改修工事には、約三十億二千万円がかかり、御仮寓所の建設費用である九億八千万円と合わせると、一連の工事で、実に四十億円もの費用をかけたことになる。
同記事 (太字、下線等はラベンダーによる)
「秋篠宮邸改修について」の説明
一部では巨額の建設費用に批判の声も上がっていた。だが、今年一月に「女性セブン」(二月二日号)が「佳子さま ひとり暮らしは10億円豪邸!」の記事で、佳子さまだけが引っ越さず、御仮寓所に住み続ける事実を報じると、さらに波紋は大きく広がった。ご一家で移り住むという当初の説明との食い違いに、宮内庁には抗議が殺到したという。
以来、マスコミ各社はこの別居騒動に沸き立ち、「佳子さまと両親が深刻な不仲にある」「工事に欠陥があり、部屋が狭かった」といったように原因を追究していた。
宮内庁側は沈黙を貫いていたが、約五ヵ月が経った六月三十日に、事態が急転する。
「みなさんに配布した文書は、本日、宮内庁のホームページに掲載する予定です」
そう言って、秋篠宮家に仕える皇嗣職のトップである加地隆治皇嗣職大夫が突然、定例会見の場で宮内記者たちにA4判の資料を配り始めた。大夫会見でペーパーが用意されるのは、異例のこと。記者たちはにわかに色めき立った。
そのペーパーには「秋篠宮邸改修について」とあり、〈両殿下、眞子内親王殿下(当時)、佳子内親王殿下で相談された結果、この経費を削減する目的で、眞子内親王殿下ならびに佳子内親王殿下が、分室(旧御仮寓所)に引き続きお住まいになるよう計画を変更することとなりました〉と書かれていた。
文書を読んだ記者からは「具体的にいつ計画が変更になったのか?」「なぜ発表が遅れたのか?」と矢継ぎ早に質問が飛んだ。だが、加地氏は「変更の理解を得るために文書で説明したまで」と明言を避け、口ごもるばかりだったという。
これで記者たちが納得するはずもない。「それならば、宮邸に眞子さんと佳子さまの部屋を作らないことで、幾らの経費削減になったのか?」
と食い下がった。この質問にも加地氏は「具体的に幾らかは資料を持っていない」「数字を発表するつもりはない」と苦しい回答を続けた。
「あの説明文書には、秋篠宮ご夫妻の意向が大きく反映されていたようです。経費削減という理由を拵えるために両殿下と皇嗣職、そして管理部工務課との間で、何度もやり取りをしていた。ただ、あれではかえって自分たちで火種を撒いているようなもの。文書の内容も疑わしい点が多く、宮内庁の対応はあまりに杜撰だったと言わざるを得ません」(前出・宮内庁担当記者)
同記事 (太字、下線等はラベンダーによる)
何もしない西村長官
さらに物議を醸したのが、二週間後に行われた西村泰彦宮内庁長官の会見だった。発表時期について質問が飛ぶと「タイムリーではなかったんじゃないですか」と他人ごとのように答え、宮内庁側の説明についても「結果的に違ったのであれば反省すべき」と、皇嗣職や秋篠宮家を突き放すような姿勢を見せたのだ。
佳子さまの「独り暮らし」問題は、結果的に西村長官をはじめ宮内庁内に蔓延する「事なかれ主義」を露呈させたと言える。
別の宮内庁担当記者が語る。
「加地皇嗣職大夫は、八月の人事で退任となると見られています。現在、御用掛を務めている元警視総監の吉田尚正氏が、後任に就くとの噂です。一方の西村長官は、慣例である七十歳になるまでのあと二年は続けると言われています。彼らの今のアタマの中は、自分たちの官僚人生をつつがなく。軟着陸”させることでいっぱいなのです。
とくに西村長官は2013年に警視総監を務めた時点で、すでに官僚として役目を終えたという印象があります。後に内閣危機管理監になっていますが、『東京を離れられないから、ゴルフもできない』とボヤいていました。近年の宮内庁長官のなかでも飛び抜けて前評判の高い人物でしたが、あくまで調整型の官僚であり、”平時の人”決して”改革者”ではありません。
今回の佳子さまの別居騒動でも、秋篠宮ご夫妻の意向で発表した文書は事前に読んでいたはず。つまり、両殿下に諌言して、炎上を食い止めることまではしなかったわけです」
同記事 (太字、下線等はラベンダーによる)
一刻も早く皇室から抜け出して、外の世界に行きたい
しかし、問題の本質は別のところにある。実は、佳子さまの「独り暮らし」問題には、皇室の存在を揺るがしかねない、より重大な問題が潜んでいるのだ。
秋篠宮家関係者が明かす。
「佳子さまが、独り暮らしを選択されたのは、ご結婚をして、皇室から出たいということを明確に意思表明されたことに他なりません。現在は具体的な縁談が進んでいるわけではないようですが、もはや皇室に残るつもりはないと。年頃だから独り暮らしくらい当たり前と軽く見てばかりはいられないのです。これは『親子仲が悪い』とか『費用がかかる』ことよりも、もっと深刻な問題を孕んでいるのです」
この秋篠宮家関係者によれば、秋篠宮は、数年前には「(改修後の宮邸に)娘たちの部屋は作らないんですよ」と明かしていた。これは宮内庁の説明と一致する。その発言には「結婚して独立するのだから、部屋を改修しても無駄になってしまう」
とのニュアンスが滲んでいたという。
「忘れてはならないのは、皇族にも一人の人間としての人生があるということです。成年になれば、さまざまな人生の選択を考えていかねばならない。少なくとも言えるのは、眞子さんが結婚し、佳子さまが御仮寓所での独り暮らしを決断された時点で、秋篠宮家に女性宮家創設の可能性は消えたということです。
政府は有識者会議のもと、皇統の存続や皇族数の減少に対応するための議論を行い報告書を提出したものの、一向に実現の兆しがない。法制度が無い限りは、秋篠宮ご夫妻も、娘の独立を止める理由はありませんし、佳子さまも、遅々として進まない政府の議論を待って、人生を翻弄されるわけにはいかない。今回の独り暮らしの問題は、そんな佳子さまのお考えが、はっきりと顕在化したと言えるのです」(同前)
今から十年ほど前―まだ高校生だった頃の佳子さまは、思春期だったこともあってか、精神的なアップダウンが激しかった。とくに落ち込んだ時には、ある人物を頼り、毎日のように相談を持ち掛けていたという。「男女が交際し結婚することは、どんな考えに基づいて行うのか」「私たち皇族が置かれている立場をどう考えるべきか」など、疑問に思ったことは何でも聞いていた。
佳子さまの精神的な乱れの原因は、皇室という環境で生活することにあった。二十四時間、どこに行くにも側衛官が付き添い、その一挙手一投足が見られている。赤坂御用地という世間と隔絶された空間でしか生活を許されない人生に、耐えがたい息苦しさを感じていたのだ。
その苦しみは、大学や高校で自由に暮らす友人たちと交流することで増幅したという。それは子供たちの意志を尊重し、個性を自由に伸ばすことを教育方針に掲げていた秋篠宮家に育つたからこそ、尚さら強く感じられたのかもしれない。
「一刻も早く皇室から抜け出して、外の世界に行きたい」
それが佳子さまの唯一の願いだった。
同記事 (太字、下線等はラベンダーによる)
姉妹はまさに一心同体、「運命の姉妹」だった
2012年に民主党の野田佳彦政権下で、本格的な女性宮家創設の議論が開始されると、秋篠宮家には動揺が走った。秋篠宮は「今さら言われても遅いよね」と周囲に不満を漏らしたという。
このとき眞子さんは二十歳、佳子さまは十七歳。眞子さんが小室さんと交際を開始したのは、この年の夏からだ。
そして議論開始の報道に、最も衝撃を受けたのが佳子さまだった。女性宮家が創設されることは、結婚後も独立した宮家の当主として皇室に残り続けることを意味する。
当時、佳子さまの相談相手になっていた人物が語る。
「佳子さまは、一生ここから抜け出せないのではないか、という大きな恐怖心を抱かれているようでした。
メンタル的には重い鬱状態だったと思います。表向きには笑顔を絶やさない気丈な性格の方ですが、内心では『このまま皇室から出られないのであれば、もはや生きている意味はない』とすら思われていた。極端な言い方をすれば、自分で自分の命を絶つ、そんなことも辞さないほど、当時の佳子さまは深刻な悩みを抱えていらっしゃったのです」
この人物は、佳子さまに少しでも希望を持たせるよう努めた。様々な話題を持ち掛ける中で、佳子さまの気分を明るくしたのが、結婚による皇籍離脱と、それに伴い、皇族の品位保持のために支給される一時金の存在だった。
この人物が「内親王であれば一時金は、一億三千七百万円が支払われる」と話すと、佳子さまは。
「そんなにもらえるんですか!」
と目を輝かせたという。当時、高校生だった佳子さまは、両親からその話を聞いたことがなかったようで、一億円超の資金があれば、皇室の外に出ても充分暮らしていけると考えたのかもしれない。
佳子さまは、この人物と話したことを逐一、姉の眞子さんに報告されていた。数年前に、そのことが初めて分かったという。というのも、まだ小室さんとの結婚問題が燻っていたある日、眞子さんが、意を決したようにこの人物のもとを訪れて、こう言われたからだ。
「あなたが、妹にアドバイスしてくださっていたことは、’妹から聞いて全て知っています。私も同じ考えでいます」
姉妹はまさに一心同体、「運命の姉妹」だった。時に佳子さまが、姉のことを「一番信頼できる人です」
と話していたこともあったという。
家族の中でも、深い悩みを打ち明けられるのは、眞子さんただ一人だけだった。そして、姉妹二人は早い時期から、結婚して降嫁することでしか、皇室を抜け出せないという考えで一致していたという。
同記事 (太字、下線等はラベンダーによる)
佳子さまは当然、眞子さんと小室さんの結婚を応援していた
「結婚がお二人にとっての唯一の希望だったのです。しかし、それは二人だけの秘密でした。成年皇族として、今後も皇室を支えて欲しい、と期待を寄せる周囲に『本当は一刻も早く結婚したい』などといった本心は決して悟られてはならない。それはいわば二人だけの『脱出計画』のようなものでした。
眞子さんにとっては、小室さんが自分を外の世界に連れ出してくれる唯一の存在でした。何よりもそれが重要だった。金銭トラブルで世間から激しく叩かれましたが、途中で挫けてしまう男性では駄目です。
眞子さんは、小室さんの身を案じながらも、苦境に耐えて本当に自分を皇室から連れだしてくれる人物なのか、交際中は、その点をずっと見極めていたのだと思います。結果的に小室さんは、眞子さんの願いを叶える人物だったわけです」(同前)
佳子さまは当然、眞子さんと小室さんの結婚を応援していた。
その想いが最も強い形で表面化したのは、ICU(国際基督教大学)卒業の際に公表した文書だろう。そこで佳子さまは〈私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています〉と綴られた。
二年前の十月二十六日の結婚当日に、当時の住まいだった御仮寓所の玄関前で、眞子さんは家族に別れを告げた。佳子さまも悲しそうな表情を浮かべていたが、最後は思わず両手を挙げ、笑みを浮かべて姉のもとに近づき抱擁(ハグ)した。
これは姉妹が十年以上前から抱いていた、結婚による「皇室脱出」の夢が、遂に実現したことを意味した―。
個人の人権が一切守られていないのが今の皇室
「個人の人権が一切守られていないのが、今の皇室という場所です。人権擁護の立場からは一番遠いところにあるとすら言えます」
本誌の記者に対して、宮内庁幹部はこう証言した。この幹部は、皇族一人一人と、長年にわたり対話を重ねてきた。話を聞くと、佳子さまや眞子さんが、なぜあそこまで深い悩みを抱き、皇室からの脱出を渇望されたのか、その理由の一端が分かってくる。
「一般の人からすれば、皇族は高い地位にあって、煌びやかで贅沢な生活をしているので、羨ましいとすら思われているかもしれません。ただ、実態はまったく違います。皇族は選挙権や戸籍も無く、職業選択の自由や信教の自由も持たず、財産権も制限されている。
公務についても、たとえ皇族ご本人の体調が悪くても『出るのが当たり前』と言われて無理を押してご臨席され、雅子さまのように、お世継ぎを生まなければ、『なぜ生まないんだ』と批判される。これらは人権侵害以外の何ものでもないわけです。
どこへ行くにも側衛官が付き、何をするにも両陛下や警察庁長官、そして総理大臣に逐一報告されてしまう。皇族方は、監視下での生活を余儀なくされています。赤坂御用地や御所など、高い塀に囲まれた空間で、幽閉されているのと同じです。あるいは、囚われの身にあると言ってもいいかもしれません」(同前)
皇族方は公務先で笑顔を見せ、お手振りをされる。だが、邸宅に戻ると、すっかり精神的に疲弊されたご様子になるという。この宮内庁幹部は、そんな場面を何度も見てきた。
紀子さまなどは、「もうこれ以上、公務はできません」と、涙ながらに訴えることもあったという。
宮内庁幹部は、さらにこう語る。
「現在、十七方いらっしゃる皇族の中で、精神面で鬱的な状況に陥っていない方は、一人もいません。皆さま、それを押し隠して公務や儀式に臨まれている。『自分は鬱病なので』と、周囲に口にするのは秋篠宮さまくらいです。中には抗不安薬の類を服用されている方もいて、皇族の場合、体調不良の原因の九九・九%が、精神的なものと言っても過言ではありません。『体調がよろしいですから、安心してください』と、国民の皆さんにお伝えできる状態の皇族はI人もいないのです。
皇族の世界は、芸能界のアイドルにも似ています。ステージでは笑顔を見せますが、その背後には苦労があって、泣きながら努力をしている。皇族の方々も、国民の前ではお元気そうに笑顔で振舞われます。ただ、大きく違うのは、芸能人の場合は努力した分、その成果が自分の地位や名誉に直結してくる。
皇族の場合は、国民の税金で、自分たちの生活が成り立っていることを自覚されています。世間から『皇室はいらない』という声が上がるのを最も恐れているので、あくまでも憲法に従いながら、幽閉に近い状況下でも、必死に皇族としての役割を果たしているのです」
国民の皇室に対する見方には、こうした文脈が抜け落ちていると、この宮内庁幹部は訴える。
同記事 (太字、下線等はラベンダーによる)
皇族は本当にこのまま人権が守られない立場でよいのか
「昭和、平成と時代を経るに従って、皇室の状況も少しは改善されたと思います。ただ、1993年に、雅子さまが現在の天皇陛下とご結婚されて皇室に入られたときは、今以上に人権擁護など考えられない組織だったはずです。その環境に馴染めないからこそ、雅子さまは『適応障害』と診断されることになった。
雅子さまは、一貫して『皇族は本当にこのまま人権が守られない立場でよいのか』という問題意識を抱いていらっしゃいます。
眞子さんも同じです。小室さんとの結婚は、皇室や世間に突き付けた挑戦だったとも言えます。結婚を批判する声に対して、『国民は、私たち皇族が何十年も人権が与えられずに過ごしていることをどう思うのか。もし自分が同じ立場だったらどうか』
と。
そう訴えかけることも含めて、皇室のあり方全体に対する問題意識のもとで行動をとられていました。
ただ単に、自分が皇室を脱出すればいいと考えていたのではありません。ご自身の結婚を通して、国民に『今の皇室の状況が、現代社会で許されるのか。もう少し真面目に考えてほしい』とのメッセージも暗に送られていたのです」(同前)
佳子さまもまた、将来の結婚を見越して独り暮らしをされた。先の秋篠宮家関係者が述べたように、「皇室に残るつもりはない」という佳子さまの意思表示であれば、国民や政府に投げかけた問いは重い。それはある意味で、皇室という存在の再考を促すために、佳子さまが発した”警告”とも言えるのだ。
「ただ、改革は非常に難しい。いま説明したことは世間では理解されがたいでしょうし、人権問題を持ち込んで、皇族の自由を認めれば、皇室制度が崩壊してしまう」(同前)
同記事 (太字、下線等はラベンダーによる)
長い間、人生設計が宙ぶらりん
岸田文雄政権のもとでも、皇室の在り方を検討する会議が行われ、皇位継承や皇族の減少について、一昨年に一応の報告書が提出されている。ただ、具体化させる議論は遅々として進んでいない。
2012年当時、女性宮家創設を議論した野田佳彦元首相に聞いた。
「皇族方の本心は分かりません。宮内庁内にも様々な思惑がありますから、その種の憶測に基づく議論は避けるべきです。憲法四条で、天皇は『国政に関する機能を有しない』と定められているので、我々は皇族の皆さんの本心を推し量りながら、議論を進めるしかないのです」
だが、まさに2012年当時、三笠宮彬子女王が毎日新聞のインタビューに応じ、女性宮家創設の議論について、「(結婚したら民間人になるという)前提が大きく変わるかもしれないというので、私自身、落ち着かない」「お相手の方の将来にも関わってくる問題ですので、決めるのであれば早く決めていただきたい」と明確に心境を述べていた。だが、発言から十一年。いまだ何も解決していない。これについて訊ねると、野田氏はこう答えた。
「結婚したら皇室を離れるのか、それとも皇族の活動を続けるのか、長い間、人生設計が宙ぶらりんでいることほど過酷なものはない。皇族の方々もものすごいプレッシャーがあると思うので、政府が議論を進めないことはあまりに失礼な話ですね。
私としては、やはり、佳子さまのような方が、皇室に留まって、天皇陛下をお支えすることは良いことだと思います。春の園遊会で、佳子さまに久しぶりにお会いした時に、出席者一人一人に気さくに声をかけていかれる姿を拝見しました。本当に爽やかで輝いていらっしゃった」
同記事 (太字、下線等はラベンダーによる)
佳子さまからの警告は愛子さまにどのような影響を与えるのか
今年四月十二日、東京の目白にある学習院大学で珍しい光景があった。愛子さまが、コロナ禍で三年におよぶ自粛を経て、今年度初めての登校をされたのだ。花柄のブラウスに肩からトートバッグを下げられており、その笑顔からは、キャンパスライフに心躍らせているご様子が伝わってきた。日本語日本文学を専攻され、最近は卒業論文のための研究にも打ち込まれているという。
眞子さんに続き、佳子さまもご結婚で皇室を離れれば、女性宮家の創設や、政府の有識者会議が議論していた「女性皇族が婚姻後も皇室に残り続ける」という案の実質的な対象になるのは、内親王である愛子さましかいない。その時、愛子さまは、どのような選択をされるのか。
「まだ大学生ですし、現段階では具体的にご結婚を考えているご様子は窺えません。最近ある週刊誌が、旧皇族の賀陽家のご子息が、愛子さまの本命であり、御所でも会っている、と報じました。これについて本当に二人は御所でお会いになっているのか、西村長官は実際に部下に照会をかけさせ、御所の出入りの記録も調べさせています。結果的にその事実はなかったようで、西村長官も『あれ、嘘だよ』と話していました」(前出・宮内庁担当記者)
だが、いずれ愛子さまの前にも結婚相手が現れるはずだ。その時に眞子さんや佳子さまと同様に、愛子さまも皇室からの脱出を望まれるのであれば、皇室の運命はすべて秋篠宮家の悠仁さまお一人に委ねられることになる。ある宮内庁関係者はこんな見方を示す。
「皇后になられてから、雅子さまはとても変わられました。以前であれば、『適応障害』と診断されるような過酷な皇室という環境から、一刻も早く愛子さまを外に出してあげたいと思われたはずです。ただ、今の雅子さまは、皇后としての務めを果たし、国民の役に立ちたいとの強い想いを抱いていらっしやる。愛子さまも、そんな母の姿に心から同調し、主体的に皇室に残る道を選ばれるかもしれません」
果たして、佳子さまからの警告は愛子さまにどのような影響を与えるのか。国民や政府が気づかぬうちに、皇室は重大な転換点に差し掛かっているのだ。
なかなか濃い内容です。
特に天皇家支持者に顕著ですが、
皇族の人権や人生、幸福をまったく無視して、
人格攻撃を続けるとか、爆上げして祭り上げるとか。
皇族を一人の人間としてリスペクトできない誹謗中傷人間が多すぎます。
今のままでは、日本皇室も崩壊するでしょう。
なぜなら、皇族も生身の人間だから。
人間として、まともに処遇されない状態では、いずれ誰もいなくなる。
当然の帰結だと思います。
詳しい論評は後日に
ではまた
また、よろしくお願いいたします。