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特集<秋篠宮家の危機>①(暫定版)

ラベンダー

こんにちは、ラベンダーです。

週刊文春 2024年5月23日号

警察との暗闘 紀子さま「あなたは使用人」vs警察幹部「もう人は出さない」

とりあえずは、速報バージョン。

後日、論評することといたします。

目次

秋篠宮夫妻の石川県「訪問」について

秋篠宮夫妻の石川県訪問

「そうくんは くつひもをうまくむすべないけど てをうごかすのが すきな みくちゃんが たすけてくれる」

 4月26日の昼すぎ、秋篠宮妃紀子さま(57)の姿は、金沢市内の公民館の一角にあった。能登半島地震で被災し、故郷を逃れた妊婦たちが身を寄せる、小さな2次避難所だ。

 避難者や子供たちが過ごす部屋を訪れた紀子さまは、持参した6冊の絵本を手にとりマットに膝をつかれた。2歳から小学3年生までの子供も4人ほど集まり、穏やかな声の読み聞かせに聞き入った。

 案内を担当した、石川県助産師会の吉田みち代会長が振り返る。

「到着されて最初に20分ほど、避難所の運営について、メモを取りながら熱心に耳を傾けてくださった。避難するお母さんともお話しされましたが、被災時のことではなく、現在のことをお尋ねに。被災者の中には、被災当日のことを聞かれると辛くなる人も多い。その気持ちにご配慮いただいたように感じました」

 母親たちの頼みで寝ていた赤ちゃんをそっと抱きかかえたり、7月に出産予定の妊婦のお腹を撫でられるなど、紀子さまと母子らとの交流は約1時間に及んだ。

 秋篠宮(58)は4月18日に石川県穴水町の被災地を訪問されたが、紀子さまはそこには同行されず、別の日に単身で石川県を訪問されたことになる。この日は避難所のほか、自身が総裁を務める結核予防会の石川県支部などを訪問された。

「別行動で石川入りされたのは、日ごろ繋がりのある組織や施設をそれぞれお訪ねになることで、警備や調整の負担が少なく済むようにというご配慮だったそうです」(秋篠宮家関係者)

週刊文春 2024年5月23日号

地方警察署幹部の嘆き

地方警察署幹部の嘆き

 ご夫妻は被災地に心を寄せ、精力的にご活動を続けておられる。ところが、そんな秋篠宮家に今、ある異変が起きているという。

「1月25日付の人事で、秋篠宮家を支える皇嗣職宮務官のA氏が任期を終えて依願免職となりました。A氏は警察庁から出向してきた職員だったので、慣例通りであれば、後任も警察庁出身の職員になるはず。ところが翌日に宮務官に就任したB氏は、外務省からの出向者でした。19年5月のお代替わりに伴い、皇嗣となられた秋篠宮ご一家を支えるために新設された皇嗣職では、これまで必ず警察庁出身の宮務官が1人置かれていた。それが初めてゼロになったのです」(皇室担当記者)

 一体、何が起きているのか。小誌が取材を進めると、警察幹部が重い口を開いた。

「前々からタイミングを窺っていたんです。もう、警察庁から人は出さない」

 仰々しい警備を好まず、「ソフト警備」を望んでこられた秋篠宮。皇位継承順位第1位の秋篠宮、第2位の悠仁さま(17)がおられるご一家だからこそ、警備を一層手厚くしたい警察。これまでも、両者の意向はしばしばすれ違いを見せてきた。

 前出の秋篠宮家関係者が語る。

「秋篠宮さまの『ソフト警備』の一例が、信号の操作です。天皇陛下の皇太子時代には、車での移動の際に信号を青に変えて、停車することがないようにしてきた。しかし秋篠宮さまは皇嗣になられてからも、そうした操作をしないよう要望されています。

 ご訪問先を警備する警察官についても、制服を着た警察官が大勢配備されている状況を好まれず、『目立たぬように』と望まれている。それは(ひとえ)に『自分たちの活動が国民生活に影響を及ぼさないように』というお気持ちからなのです」

 だが、警備の簡素化はリスクの増加と表裏一体だ。ある関西地方の警察署幹部はこう嘆息する。

「駅前広場など、交通が滞留する場所でご夫妻の車が止まると、必ず安倍晋三元首相の銃撃事件を思い出し、冷や汗をかきます。長く停車するほど危険度が上がりますから。小さな事故や少しの想定外でも、何人もの首が飛ぶのが皇族の警備です。警察にとっては『簡素化』のご要望で、かえって負担が増している」

 ご夫妻が国民生活に配慮すればするほど、警察の負担は増していく。両者の溝は深まり、警察側からの不満の声は膨らんでいった。

 この警察署幹部が複雑な心境を明かす。

「“警備は簡素で良い”というご認識もあってか、天皇皇后両陛下に比べて、秋篠宮さまや紀子さまの地方訪問は直前に決まることが多いのです。両陛下なら1、2カ月前には地元警察に話がおりてきますが、紀子さまのご訪問は最終的に1週間前に告げられたことすらある。当然、ご夫妻が目指される“身軽なご公務”をお支えしたい気持ちはありますが、1週間で警備計画を詰めるのは至難の業なのです

 秋篠宮は国民とのつながりを大切にされ、私的なお出かけも多い。こうした交流が、警察側に頭痛の種を生むこともあった。

(太字、下線等はラベンダーによる)

精悍な顔だちの官僚が……

精悍な顔だちの官僚が……

「秋篠宮さまは大のお酒好きです。客員教授を務めておられる東京農業大学で、月に1回ほど小規模な講義を受け持たれていますが、講義を夕方に設定し、終了後に学生たちと一緒にお酒を飲んで楽しまれることもある。今は同大の世田谷キャンパスだけになりましたが、以前は神奈川県の厚木キャンパスでも授業をされることがあった。この時の警備は神奈川県警が担当しましたが、皇族の警備に慣れていない県警は、しばしば深酒をなさる秋篠宮さまの警備に困惑していました」(神奈川県警関係者)

 警察側の不満や困惑が蓄積されていく中、警察庁にとって“転機”となる、ある事件が起きる。皇嗣職の発足当初に宮務官として派遣された警察庁の若手エースが、わずか9カ月で交代となったのだ。

 秋篠宮は19年のお代替わりに伴い、皇位継承順位1位の皇嗣となられた。それまで秋篠宮家の職員は約20人だったが、新設された皇嗣職の定員は、お代替わり前の皇太子一家を支えた東宮職とほぼ同規模となる51人に倍増した。

 中でも定員10人の宮務官は、ご一家の公務の調整や報道対応、身の回りの品々の準備などに幅広く対応する重要な役職だ。そこに抜擢されたのが、警察庁刑事局で捜査第二課課長補佐などを務めてきた、東大卒キャリア官僚のC氏だった。

「宮内庁では長官などの要職を、総務省や国交省、警察庁など旧内務省系の出身官僚が務めるのが慣例です。中でも、19年12月には元警視総監の西村泰彦氏が警察庁出身者としては23年ぶりに宮内庁長官に就任したほか、初代の皇嗣職大夫にも警察庁出身の()()隆治氏が就くなど、安倍政権以降、宮内庁の“警察色”は年々強まってきた。宮務官に警察庁から職員が派遣されるのも自然な流れでした」(前出・記者)

 警察官僚は実務能力の高さが評価されているのに加え、宮務官に警察庁出身者がいれば、地方へのお出ましでの地元警察との調整が早いなどのメリットもあったという。

 一方、秋篠宮家といえば「ご難場」と囁かれる部署としても知られる。

「紀子さまは、いずれ天皇になられる悠仁さまのご教育に大変熱心でおられる。悠仁さまが小学校に入学されるころから、紀子さまが職員に要求する仕事のレベルが格段に高まりました。お代替わり前は人員が圧倒的に少なかったので、紀子さまも苦慮されていた。一方、紀子さまが指1本で出す細かな指示や、都度の叱責、長時間の労働などに耐えられず、短期間で精神的に参ってしまう職員が続出した。それで“宮内庁一厳しい職場”として名を馳せるようになった」(同前)

 宮内庁のプロパー職員でも、異動にあたり「秋篠宮家に行くくらいなら、宮内庁を辞める」と直訴して“難を逃れた”職員や、秋篠宮家に異動した途端にみるみる痩せていった職員もいるほどだ。そのため、警察庁が宮務官に職員を出向させる際には、厳しい人選が行われたという。別の警察幹部が打ち明ける。

「結局、紀子さまのお気に召しそうな精悍な顔だちで、経歴も申し分ないC氏が選ばれました。実際に着任すると、紀子さまにも大変気に入られ、定例会見にも臨席するなど重用されていました」

 だが――。20年1月、C氏が警察庁に戻る人事が発表される。宮務官就任からわずか9カ月後のことだった。

「通常、出向者の任期は約2年です。しかしC氏が秋篠宮ご一家から不興を買い、交代させざるを得なくなったのです」(同前)

 原因となったのは、19年8月、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまのブータンへの私的旅行だった。

「私的旅行ということもあり、旅行の日程調整は、秋篠宮さまの研究仲間が担当していた。一方、旅行に同行予定だったC氏は、独自に外務省と細部を調整していました。こうしたC氏の動きを耳にされた秋篠宮さまが『旅行計画を許可なく外務省に伝えた』と不信感を抱かれたのです。結局、旅行の同行者も急遽、別の職員に差し替えられた。これを機に信頼を失い、C氏も最後は精神的にかなり参っていた」(同前)

 当時のことをC氏に尋ねた。

――なぜ皇嗣職を離れた?

「あくまで人事上の異動ですので、大きな流れの中の動きといいますか」

――ブータンにも本来は同行するはずだった?

「配置にも色々な事情がございますので」

――不興を買った理由は。

「答えられません。とにかく、ノーコメントです」

 キャリアのエリート官僚が“脛に傷”を負い、早々に帰還することになったのだ。警察庁関係者が苦々しい表情で言う。

(太字、下線等はラベンダーによる)

宮務官の初仕事は缶蹴り遊び

宮務官の初仕事は缶蹴り遊び

「これで警察側も懲りてしまった。それで一旦は『今後、警察庁から宮務官に人を出すのはやめよう』という話になった。ですが、皇嗣職は元来“ご難場”で、ただでさえ誰も行きたがらない。結局、皇嗣職トップの大夫だった加地氏から強い要望があり、派遣を続けることになったんです」

 ただ、次に宮務官として派遣されたD氏は、国家2種採用のいわゆる「ノンキャリ」だった。

「この人事には“ないがしろにされる職場にキャリア官僚は送らない”という、反発の意味もある。加えて人選にあたっては“ご夫妻に特段気に入られなくても良いから、とにかくご叱責をかわせそうな人材を”と苦慮を重ねたそうです。その結果として選ばれたのが、温和で人の好いD氏でした。その結果、狙い通りD氏は2年間の任期をやり遂げたのです。そのためD氏の後任にも、D氏と人柄が近い2種採用のA氏を派遣しました」(同前)

 だが、こうした警察庁出身の職員が、秋篠宮だけでなく紀子さまの不興を買うこともあった。紀子さまから強い言葉を投げかけられることもあったという。

「あなたは国家公務員ではなく、使用人です。あなたに休日はありません!」

 秋篠宮家と警察の溝は深まる一方だった。今年2月1日には加地氏に代わる皇嗣職大夫に、宮内庁御用掛を務めていた元警視総監の吉田尚正氏が就任したが、

「ちょうど同時期に、宮務官として派遣していたA氏の約2年の任期が訪れました。吉田氏は加地氏とは異なり、警察庁から無理に人を派遣させようとはしなかった。そこで、吉田体制になるのを機に、警察庁から人を出すのをやめたのです」(前出・警察幹部)

 宮内庁関係者も語る。

「吉田大夫や西村長官は今の警察庁からしても大物ですから、この2人がどうしても警察官僚の出向が必要だと言えば、警察庁も無下にはできないはず。それでも派遣がないということは、宮務官は警察官僚が能力を発揮できるような仕事ではないとの判断もあったのでは。実際、キャリア官僚のCさんも、宮務官としての初仕事は中学生だった悠仁さまとの缶蹴り遊びだったようですから……」

 かように秋篠宮家と警察は“暗闘”を繰り広げ、ついにその亀裂が人事にまで影響を及ぼすことになったのだ。だが、今の秋篠宮家はただの一宮家ではなく、“次代の天皇”を擁するご一家である。さらに悠仁さまは今年9月に18歳となり、成年皇族となられる。男性皇族が成年を迎えられるのは、父の秋篠宮以来、約39年ぶりのことだ。

 ますます存在感を高めていくはずの秋篠宮ご一家。その将来を見据えれば、警察との亀裂は大きな不安材料に他ならないのだ。

「今の悠仁さまは高校3年生で、大学受験も目前です。ご両親は『自然誌を学びたい』という悠仁さまのご関心に応えられる大学であれば、必ずしも都内の学校でなくてもよいとのお考えです。筑波大(茨城県つくば市)など、御所を離れての学生生活も十分にあり得る」(前出・秋篠宮家関係者)

 親元を離れての1人暮らしとなれば、当然付きまとうのが、日ごろの警備の問題だ。警視庁の捜査員はこう警鐘を鳴らす。

「我々にとって忘れがたいのが、お代替わり直前の19年4月、悠仁さまの学校の机に刃物がおかれた事件です。当時は詳細が明かされることはありませんでしたが、実際はあと一歩で本当に取り返しのつかない事態になっていたんです」

 “刃物事件”が起こったのは19年4月26日のことだ。男が工事関係者を名乗り、お茶の水女子大の敷地に侵入。長さ約60センチの棒の先に果物ナイフ2本を巻き付け、悠仁さまの通う附属中に忍び込んだ。悠仁さまは偶然、体育の授業で教室に不在だったため大事には至らなかったが、男はその後の調べに「悠仁さまを刺すつもりだった」と供述していた。男は20年に建造物侵入と銃刀法違反などの罪で、執行猶予付きの有罪判決を受けている。

「逮捕後の調べによると、ナイフに棒を付けたのは『もし誰かに囲まれても刃が届くと思ったから』、刃を2本にしたのは『殺傷能力が増すから』。実際、人間の肌に近い豚の皮膚で実験すると、本当によく刺さり、血の気が引いた。しかも、無人の教室を見て、男は20分弱にわたって近くに隠れていたのです。当時は皇族方のご心境や学校関係者の去就に配慮し、詳細はなるべく伏せられましたが、実は殺人予備罪が適用されてもおかしくなかった。大事に至らなかったのは幸運だったとしか言いようのない事件でした」(同前)

背後10メートル以内は接近NG

背後10メートル以内は接近NG

 だが、悠仁さまをとりまく現状の警備態勢は、事件の教訓が生かされているとは言い難いのが現状だ。

 現在、悠仁さまはお茶の水女子大附属中から目と鼻の先の、筑波大学附属高校(筑附)に通われている。ご入学時には秋篠宮家側から「自由な校風が魅力なので、警備態勢はぜひそのままで」とご要望があったという。

「ですが、筑附は生徒が私服なので学外者と見分けがつかない上、当時は来校者の身分確認も無かった。警察側も説得に苦労したようですが、結局、来校者の身分確認などには納得いただいた」(筑附関係者)

 “普通の子と同じように”。そんなご両親の思いから、悠仁さまは登校時、学校の近くで送迎の車を降りた後、200メートルほど歩いて正門へ向かわれる。

「本当は送迎の車を門に横づけしたいのですが、秋篠宮さまからNGが出た。歩いて正門に向かわれる悠仁さまの背後10メートル以内に近づかないようにとも言われています。こうした警備態勢には正直、不安が残ります」(警備関係者)

 悠仁さまの現在の警備態勢には周囲も不安を抱く。さらに、警察庁出身の宮務官が不在となれば、日ごろの警察との円滑なコミュニケーションが一層不足してしまう懸念も生じる。

 警察庁に出向者が途切れた理由について尋ねると、「宮内庁の人事についてはお答えする立場にない」。宮内庁に尋ねると、報道室からこう回答があった。

「皇嗣職宮務官については、人格、識見を考慮し、ふさわしい人物を任命している。個別の人事については回答を差し控えます。(警察庁出身者がゼロになることの警備上の影響については)秋篠宮家のご活動の警備に関しては、常に皇宮警察本部を始めとする関係機関と必要な調整を行っているところです」

 定員10人でスタートした宮務官は、お代替わり前の“慣らし運転”期間中から辞退者が相次ぎ、結局は8人のまま現在に至っている。前出の宮内庁関係者が嘆く。

今の宮内庁では、秋篠宮家に仕える職員に必要な資質は3点だと囁かれています。それは『自分で考えない』、『提案しない』、『逆らわない』。当然、秋篠宮家の警備の在り方にも多くが不安を覚えていますが、ご夫妻に物を申せないのが現状なのです。そこへ日常生活をお支えする宮務官に警察庁出身者がいなくなり、ご夫妻に警備の重要性をそれとなくお伝えする存在がますますいなくなってしまった。職員の意見を拾うような風通しの良さが生まれるといいのですが……」

 秋篠宮家にとって令和の御代は、“次代の天皇”をお育てし、その御代を国民に歓迎してもらうための準備期間とも言える。国民生活に心を砕かれ、被災者に寄り添う姿勢を見せるご一家。だが、そのご活動を陰ながら支える人々の声にも、耳を傾ける必要があるのではないか。

 次号では、そんな秋篠宮家が直面するさらなる危機に迫る。

とりあえず、記事速報でした。

論評は、後日に。

ラベンダー

ではまた

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